第2話 最初の体液

「はあ、はあ……この身体では大変な旅だった……」


 肩に背負った大きなリュック。そのポケットから、最後の魔力保存水晶を取り出した。

 水晶の鏡面に自分の顔が映っている。

 水色の髪に同色の瞳。首筋にほくろが一つ。歳は七歳くらい。

 ブーツもマントも鞄も、旅に出てから拵えたものだというのに、既にかなり年季が入っているように見える。雪に濡れ砂を浴び、裾はボロボロ。


「道は記憶と違うし、この身体はすぐ疲れるし……想定より何倍もかかっちゃった」


 変に怪しまれることから、老人口調は引っ込めた。この年齢の体感時間では、老人でいた頃はもう遥か昔のことのように感じられる。

 水晶に意識を向けて魔法を唱えれば、空気中に円形の魔法陣が浮かび上がる。


「六位の精霊よ、ここに——〝自己走査ステータス〟」


 魔法陣は半透明の青いビジョンに変身した。その上では、これまた半透明で揺れる文字が浮かんでいる。そこには自分の身体に関する色々な情報が数値と共に列記されていた。

 これで水晶は一切の魔力を失ってしまった。

 〝肉体経過年数〟は「7年0か月0日」、〝魔力〟は「0.00……」。


「まるきり一年か。長かった——けど、遂に辿り着いた!」


 そうして僕は、切り立った断崖に足をかけて景色を見渡した。

 港を有す大きな入り江の向こう、こちらと鏡写しの様に聳え立つ岸壁の上、目的地はそこに在った。

 学園は巨大にして荘厳だった。王国の城塞都市にも勝る広大な敷地。帝国の砦にも負けない城壁。施設の外縁に施された曲線の意匠は貴族邸のそれに劣らない。曇り一つない大理石の柱が神殿を形作る。

 あれが『世界の魔法の最先端』魔法学園フレニアロサイト。


 入り江の港町を横切って、坂道を登り、学園の入り口に着いた。門扉には幻想的な青い文様が浮かんでいる。

 門兵が一人立っていた。


 ——挨拶は大事! 元気よくいこう!


「すみません、こんにちは! 学園長のアカラという方に、友人オズミックが来たと伝えてもらえませんか!」


 簡単な装備に槍を構えた壮年の彼女は、膝を曲げて僕と目線を合わせた。


「あはは、こんにちは。可愛らしいですね。アカラ様は忙しいのでお繋ぎできません。ちびっこ魔法使いさんにここはまだ早いですよ」





 夜。何事もなく学園への侵入に成功した。


「まあ僕にかかればあの門の防御魔法の開錠如き赤子の手を捻る様なものだよ」


 ——それにしても、元気な挨拶だけじゃあどうにもならなかったか。結局力技に頼っちゃった。五十年前に魔法特許局をぶっ飛ばしたときのことを思い出すなあ。


 無数の建物群を抜けて、敷地中央辺りにくれば、図書館らしきものを発見できた。

 天井まである吹き抜けを見上げた。壁の一面が本棚になっている。天井近くでは極小の月が——魔法で創られた自立式の明かりが浮かび、柔らかな青い光を放っていた。


「カウンターはどっちかな。検索用の術式があるはずだけど……」


 無数に積まれた本の山を倒さないように、壁際のカウンターに潜り込む。

 そこには一人の女生徒が寝ていた。


「おっ——!!?」


 慌てて自分の口を両手で封じる。驚きから声を出さないように。


 ——制服……生徒!? なんでこんな時間に!?


 すーすーと寝息を立てて、床で丸くなっている。

 ベージュのカーディガンとチェックのスカート。十七歳くらいだろうか。丸いシルエットのブロンド髪は前髪を作らず流す。左の人差し指には翡翠色の宝石が一粒。

 ここの薄暗さと青い色彩もあって、一枚の絵画のようでもあった——と一度は思ったのだが、そんな印象は彼女の浮かべる間抜けな表情にすぐに打ち消された。

 目を閉じたままに「にへへ」と笑っている。何か楽し気な夢を見ているらしい。


 ——そっとしとこうか。起こしたら悪いし、見つかっても困るし。


 抜き足差し足で女生徒を乗り越えていく。

 カウンターに這い上り、机をすべすべ撫でると、淡い光を伴ってキーボードと検索フォーマットが浮かび上がった。

 検索欄にそれらしい言葉を入力してみる。すると、吹き抜けのかなり上で、僅かな物音がした。見上げると、一冊の本がふわふわと浮遊して吹き抜けを下りてきている。


 ——な……便利だなあ! 今の学生ったら、楽してるんだから!


 カウンターの上に立ち上がって両腕を上げれば、。分厚い本が一冊ドサリと落ちてきた。


「えっ、おも——」


 予想していたよりも少し高い位置で浮遊魔法が途切れたのもあって、それは想像以上に重く感じられた。

 あえなくカウンターから足を滑らせる。そして落下した。


 ——しまっ。


 女生徒のお腹の上に。


「えうっ。う、んー……?」


 女生徒の目が僅かに開かれる。僕は彼女の目の前で膝をつき、慌てて弁明した。


「い、いや待ってください! 僕は決して怪しいもんじゃなくて——」

「ん~~~?」


 女生徒は寝ぼけたまま両腕を伸ばしてきた。背中に腕を回されると——。


「え、なに?」


 いきなり強く抱き寄せられた。


「ん!? ん!!?」


 突然、顔面に豊満な柔らかさが広がる。


「ん♡」


 女生徒はそのまま満足そうに、再びの眠りについた。


「えっ。ち……ちょっと、え。えっ……え、うそ、力つよ」


 どうしたってこうしたって振り解けない。残酷な体格差である。


 ——ど……どうしよう。詰んだ。


 その後、女生徒の腕から抜け出そうとしばらく奮闘したものの結果は得られず。次第に年相応の眠気に襲われて、眠りについてしまった。





 朝。目を覚ますと——。


「あ、起きた?」


 昨晩の女生徒がベッドの脇に肘を置いて僕のことを眺めていた。数十センチの距離。


 ——あれ……何がどうなったんだったっけ。


「んふふ、何回見ても可愛い顔してるね」

「あ、えっと……」


 身体を起こす。自分はベッドに寝ていたようだ。

 見渡せば、机、本棚、鏡——人ひとりが暮らせる程度の部屋。床の踏み場もないほどの服と本、化粧品に空き瓶などが散乱している点を除けば、普通の女子の部屋だ。つまり普通ではない。


 ——僕の地下研究室に負けず劣らずの散らかりっぷりだなあ!


 制服の女子は頬を紅潮させながら手を伸ばしてきた。ぬるりと頬を撫でられる。

 鳥肌が立った。


「はあ……何回見ても可愛い。私ったら遂に成功したんだ」


 なんだか分からないが冷たい汗が浮かぶ。


「なんのことですか?」

「君はね、私が魔法で創った人形なんだよ」

「違いますけど?」

「違わないよ。だってほら見て!」


 彼女が持ち上げて見せたのはノートの一ページである。


「えーと、なになに?」


 見ればそこには少女漫画な作画で描かれた美少年がいる。髪と目には水色の色鉛筆。


「ほらね! 私が創りたいと思ってた人形にそっくり!」

「そっくり……いや本当にそっくりだな。こんなにそっくりなことあるんだ」

「きっと昨晩、天啓が降ってきて完成したんだ! ちょっと記憶は朧気だけど」

「いやあのえっと、事情を聞いてもらいたくて——」


 一旦落ち着いてもらおうと両腕を挙げようとした——そのとき。


『ガシャン——』


 両手首の手錠から伸びた鎖が無機質な音を鳴らした。

 驚いて睨めばしっかり鉄製の手錠。伸びる鎖は床の金具と繋がれている。


「え、え!?」


 慌てて立ち上がろうと布団を跳ねのけて気付く。足首の方にも枷がついている。

 自分の活動域は、ベッドの周囲数十センチまでになっていたのだ。


「こらこら、暴れないで! 他の部屋の人に気付かれちゃうでしょ!」

「え、あの!? その……なんで繋がれてるんですか!?」

「そりゃあ当然、逃げられないように!」


 女生徒は「あっ」と掛け時計に目を遣った。


「もう講義が始まっちゃう。ごめん、昼休みには戻ってくるからね!」

「え……あの、ええ!?」


 女生徒は慌てて出ていき、しかし一度戻ってきてから、僕の頬にキスして去っていった。


「私の名前、ノルンって言うの! また後でね!」





 三時間後。僕はベッドに面した壁にもたれながら、彼女の置いていったノートに目を通していた。魔法の論理式と美少年のイラストが交互に描かれている。


「あの子の専攻する魔法は〝ゴーレム〟。この魔法を応用して、人間とそっくりな土人形を作ろうとしていた……それで勘違いされたのか」


 近くの床に落ちていた真っ白なフィギュアを持ち上げる。裸の男性をモチーフにしたもののようだが、手首足首がポキリと折れてどこかにいってしまっていた。眺めていると突然に暴れ始めたので、おっかなびっくり投げ捨てた。


「ゴーレムって土人形を動かす魔法だけど……そっか、フィギュアに命を吹き込めるんだ」


 ノートをパラパラとめくると、美少女が美ショタを好きなようにするR18イラスト群を見つけることが出来る。

 うんうんと頷きながらノートを閉じた。深呼吸して、改めて手錠に目をやる。


「ヤバイな。一生監禁されるぞこれ」


 まだ性的な欲求は無いし、元が枯れた老人なのもあって何にも興奮しない。もし監禁されたら拷問のような生活を送ることになるだろう。


「爆発魔法さえ使えれば、こんな手錠ごとき簡単に破壊できるんだけど……」


 枕元の本に目を遣る。これは昨日自分が借りようとしていた本だ。ノルンが一緒に持ってきていたらしい。数十分前に読了している。


「この本の論理を組み込んで、〝他人の体液を魔力に変換する術式〟はもう完成した。したっちゃ、したんだけど……」


 そう、術式は既に完成していた。このアブない状況から脱するためにも爆発魔法は使わなければならない。つまり、今すぐ人体から漏出した液体を摂取しなければならないのだ。


「そして体液はある」


 そう、それはすぐ手の届くところにあった。しかし僕は酷く躊躇していた。


「でも……う、ええー……? 最初が、これなの……??」


 目の前にあるのは——瓶。口を閉められた瓶である。このゴミ部屋の雑多な山の中にありながら埋もれることなく、窓から差す陽の光を受けて、燦然と輝いている。





 中にあるのは黄金色の液体。一見すればお茶。

 しかしそれは術式に照らせば、間違いなく体液だった。





 改めて深呼吸して、ソレを見やる。

 僕がこの学園に来てから一発目に摂取することになった体液は、ボトルに注がれた——体内の余剰な水分が排出されたもの——そう。

 尿、だった。

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