第3話 最先端の魔法学園

「ボトラー! ボトラーかあっ……!!」


 頭を抱える。腕を満足に上げられないので頭の方を下げる。

 流石に不衛生だからやめた方がいいよと言いたい気持ちと、そのおかげで僕が助かりそうな現状を見比べて何も言えず、ただただ唸る。


「いや……助かっ……てるのかな。人間の大事な尊厳を捨てちゃあないかな」


 手元のノートには既に魔法陣が描かれている。


「この魔法陣から始まる一連の魔法には、そういうモノを摂取した際に起こりうる病気を対策するための工程もちゃんと含まれております……偉い、偉いじゃん、僕——」


 言いながら、ノートを足元に叩きつけた。


「とでもいうと思ったか、このっ……バカ!! なんで〝体液を摂取する〟のところに今の今まで疑問を感じて来なかったんだよ! バカ? バカバカ!!」





 人間や魔法生物の老廃物に微量の魔力が含まれているのは周知の事実だ。とはいえそれを有効活用しようとした人間はこれまでほとんどいなかった。未開拓の分野だったのだ。

 かつて地下研究室に引きこもっていた頃の僕(老人)は、これに疑問を感じていた。


『生理的な嫌悪だなんて些細な問題のせいでこの研究が進んでいないなど、全くもって非論理的じゃ。なら私がやってやろうじゃあないか!』





「我ながら……昔の僕ってかなり狂ってたなあ」


 壁に手を付いて深呼吸一つ。


「ヘモグロビンは体内に置いてきてるから味はしない。問題は臭いか。誰だかき氷は全部味が同じだなんて言ったヤツは! 匂いの方がよっぽど大事だろ! とはいえ臭いは鼻を抓んで空気の流れを止めれば問題ない。原理的には、これで美味しく頂けるはずなんだ」


 四つん這いの形になり、右腕をうーんと伸ばして瓶の首を手に取った。


「いける、いけるな。勢いで。一気に行こう。——ふんっ!」


 コルクを投げ捨てながらすぐに自分の鼻をつまみ、瓶を思い切りグイッと煽った。


「ん……ん。ん……。ん! んんんん。んー……。お——ぅえ」 





 ベッドに黄色い染みが広がっている。


「ま、まあ……おねしょってことで。七歳児だからさ、ギリギリセーフだよね」


 ほとんど吐いてしまったとはいえ、わずかながら身体に取り込まれたようだ。


「何はともあれ完璧だ。さすが僕、天才的だったな」


 ほんの僅かにだが、自分の身体を巡る魔力を感じる。


「なーんて。は、はは……三位の精霊よ、ここに」


 両腕を前方に伸ばしながら、空笑いしつつ魔法の詠唱を行う。両手の間に魔法陣が浮かび上がった——文様と文字列で構成された、黄色で半透明の円陣である。


「〝爆発〟」


 最後、魔法陣はクルッと回って一点へ収束した。果物大の爆発が起こる。


『ドッ——!!』


 部屋に烈風が巻き起こった。ベッドの周りに落ちていた本や下着、ぬいぐるみなんかが全て壁際まで吹き飛ばされる。

 手枷がぐしゃりと歪んでいた。力を加えればすぐに折れる。同様の手順で足の方も壊す。


「よし、よし!」


 ベッドから立ち上がって伸びをした。喜びから綺麗になった床を跳ねる。何かの蓋を踏んで、痛みに悶絶した。





 女子寮を脱出することに成功した。学園の大通りの人はまばらだった。箒や絨毯に乗って空を飛ぶ生徒がちらほらいるくらいだ。多くの生徒は講義を受けているのだろう。


「学園長室はどこだろう。学園長のアカラに事情を話して……いや、それも上手くいくかは分からないけど……」


 道端で立ち止まっていると、お腹がぐうと鳴る。


「ご飯食べるか」





 食堂らしき施設に辿り着いた。中央に大きな木の植えられた、半開放の広いホールだ。かなりの数の机が並んでおり、まだ昼休み前だというのに、既にまばらに人が座っていた。老若男女問わず、楽し気に雑談している。

 手の平大の妖精たち——カラフルな粘土で造形したような、自然発生する自立した人型——も机の上でピョンピョンと戯れていて、人々から和やかな目を向けられていた。昼下がりの公園のような雰囲気である。

 僕はわなわなと両手を握った。


「一般の人めっちゃいるじゃん! 許可がないと入れないみたいなわけじゃないじゃん!! なんで僕は門前払いされたんだよ、もう!!」


 昨日、膝を曲げて目線を合わせ、有無を言わさず追い返してくれたかの門兵。彼女を思い出してプンプン怒りながら、僕は券売機に向かった。

 飾り気のない石柱に、先日の図書館の検索データベースのようなものが浮かぶ。

 背を伸ばして『三種のチーズハンバーグ』と書かれた文字を押してみれば、量はどれくらいだとか、付け合わせがどうだとか、新たなページが次々に表示されていく。


「くっ……ページの遷移が多いなあ、もうもう!」


 何ページか連続で『次へ』を押した結果、やっと会計のページへ移った。


「……ん?」


 しかし、僕は遂に気付いた。この筐体には現金を入れるようなところがない。

 職員らしき人が通りかかったので捕まえて尋ねる。


「これ、どうやって払うんですか?」

「おっと、これは魔法payでなければ支払いができないんだよ」

「魔法payでなければ支払いができない!!?」

「なんたってここは世界の魔法の最先端、フレニアロサイトだからね!」





 食後、手元の木馬(お子様向け玩具ガチャで手に入れた)を揺らしながらぼやいた。


「『世界の魔法の最先端』って、そういう意味でいいのかなあ……」


 次に、机に置いた魔法phoneに目をやる。

 これはショタコン監禁魔ノルンの部屋に落ちていたものだ。部屋に戻ると見つけたので(より正確な表現をするなら「踏みつけたので」)拝借してきた。

 一見すると手の平大の板でしかないのだが、魔力を通すと文字や模様が浮かび上がり、様々な機能が使える。板の色は黒。ノルンは堅実な色が好きらしい。


「パスワードが分からなくても魔法payの支払いはできて良かったな。でもこれを起動するので魔力を使い切っちゃった」


 この携帯について僕は一つ、懸念することがあった。この携帯が無いとノルンは困るんじゃないだろうか。


「部屋に戻しておくか。魔法payで払った分の金貨も置いていこう。それでさよならだ」





 もう昼休み前の講義は終わったようで、通りを行き交う生徒はかなり増えていた。足を速めようとした、その折——。


「あれ」


 ノルンが視界の端に写った。しかし彼女は大通りを歩いていたわけではない。


「連れてかれた……?」


 彼女は複数の女生徒に引っ張られ、体育ホールの裏に連れていかれるところだった。





 建物群の裏側にあるちょっとした林。僕は壁際に張り付いて、向こうの様子を伺ってみることにした。


「おい、なんで魔法phone持ってねえんだよ。友達料金払いたくねえのか?」

「しかも講義が終わった途端に逃げようとするし。自分の立場分かっとらんみたいやのお」

「この変態女が! 身の程弁えろよ!」


 三人の女生徒のうちの一人がノルンを地面に引き倒した。ノルンは頬についた土を拭いながら悲痛の表情で訴える。


「わ、私、すぐに部屋に戻らなきゃいけなくて。私のゴーレムにご飯をあげないと……」

「オラオラ舐めんなあ! その前に示しってもんをつけてけよなあ!!」


 それは、最先端というには古風に過ぎる、いじめの現場だった。

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