第3話 最先端の魔法学園
それは積み上がった本の山の上にあった。なるほど積み上がった本の上に置かれるものといえば檸檬だろうか? しかしこの本の山には数々の下着も絡みついている。となるとこれは一筋縄でいくものではあるまい。
改めて、本の上に鎮座しているのは、瓶である。
瓶……瓶と来た。本の山……そうかつまり、この瓶の持ち主は読書家だったのだ。ならばきっと彼女は文筆家で、誌的なところもあったのではないか? だから彼女はきっと、そう、ボトルメールを書いたのだ! その瓶だろう!
しかしそれは波間に浮いているわけではなかった。なんなら波を作っているのは中の液体の方。黄金色をしたジャスミンティーのような液体である。
端的に換言すれば、尿。
——ポエマーじゃなくてボトラーだよ……!
ソレを睨むのが僕ことオズミック。肩書は稀代の天才魔法使い、あるいは世界で最も人を殺した賢者。
「う、うううー」
そんな僕は今、女生徒の部屋で鎖に繋がれ監禁されて、目の前の尿を飲むか飲まないかをかれこれ三十分近く悩む羽目になっていた。
「ああー! もう!」
叫んで頭を抱えた。腕を満足に上げられないので頭の方を下げる。
「飲めばいいだけなのに! 飲めば解決するけど凄く嫌! 嫌だああ!!」
手元のノートには既に魔法陣が描かれている。
「この魔法陣から始まる一連の魔法には、そういうモノを摂取した際に起こりうる病気を対策するための工程もちゃんと含まれております……偉い、偉いじゃん、僕——」
言いながら、ノートを足元に叩きつけた。
「とでもいうと思ったか、このっ……バカ!! なんで〝体液を摂取する〟のところに今の今まで疑問を感じて来なかったんだよ! バカ? バカバカ!!」
人間や魔法生物の老廃物に微量の魔力が含まれているのは周知の事実だ。とはいえそれを有効活用しようとした人間はこれまでほとんどいなかった。未開拓の分野だったのだ。
かつて地下研究室に引きこもっていた頃の僕(老人)は、これに疑問を感じていた。
『生理的な嫌悪だなんて些細な問題のせいでこの研究が進んでいないなど、全くもって非論理的じゃ。なら私がやってやろうじゃあないか!』
「自分にそれが出来るのかを勘定に入れておけっ——!!」
もう瓶には背を向け、壁に額をつけている。
「我ながら……昔の僕ってかなり狂ってたなあ。俗世から離れるとなんであれ思考が先鋭化しちゃうものなんだな。反省しなきゃ……」
壁に手を付き、意を決して呟いた。
「ダメだ。現実逃避してても埒が明かない。僕とてかつては天才と評された人間だ。論理的に考えていこう」
ふう、とベッドの上で足を組む。
「生理的に無理……どうにか誤魔化してこの本能を回避しようか」
——まずは味か。味は確か無味だったはずだ。一度血液となっている以上、摂取した食材の物質は含まれていない。ヘモグロビンは血管に置いてきているから鉄の味もしない。
問題は臭いの方。味覚なんて嗅覚に比べれば些細なもんだ。誰だかき氷のシロップはどれも同じ味だなんて言ったやつは! 香りが違えば味も違うだろ!
「臭いは鼻をつまめばいい。空気の流れさえ生まれなければ、口腔内の粒子は鼻に到達しないはずだよね」
——後は……色か。見た目ね。これは当然、天才的に論理的に考えて——。
「暗示しかない。あれはお茶あれはお茶あれはお茶あれはお茶あれはお茶——」
四つん這いの形になり、右腕をうーんと伸ばして瓶の首を手に取った。
改めて腰を下ろす。目の前に、胸の前に、この手の中に、お茶がある。
「お茶、お茶、お茶」
一心に呟きながら、手元の瓶の口、コルクに左手をかけた。
「抜いたらすぐ鼻をつまむ」
事前にイメージトレーニング。瓶と顔の間で左手を素早く往復させる。シュッシュッ。この集中力、手術前の執刀医にも劣らない。
「いける、いけるな。勢いで。一気に行こう。——ふんっ!」
コルクを投げ捨てながらすぐに自分の鼻をつまみ、瓶を思い切りグイッと煽った。
「ん……ん。ん……。ん! んんんん。んー……。お——ぅえ」
ベッドに黄色い染みが広がっている。
「ま、まあ……おねしょってことで。七歳児だからさ、ギリギリセーフだよね」
ほとんど吐いてしまったとはいえ、わずかながら身体に取り込まれたようだ。
「何はともあれ完璧だ。さすが僕、天才的だったな」
ほんの僅かにだが、自分の身体を巡る魔力を感じる。
「なーんて。は、はは……三位の精霊よ、ここに」
両腕を前方に伸ばしながら、自嘲気味な声で魔法の詠唱を行う。両手の間の空中に魔法陣が浮かび上がった——文様と文字列で構成された、黄色で半透明の円陣が。
「爆ぜて~」
最後、魔法陣はクルッと回って一点へ収束した。果物大の爆発が起こる。
『ドッ——!!』
部屋に烈風が巻き起こった。ベッドの周りに落ちていた本や下着、ぬいぐるみなんかが全て壁際まで吹き飛ばされる。
手枷がぐしゃりと歪んでいた。力を加えればすぐに折れる。同様の手順で足の方も壊す。
「よし、よし!」
ベッドから立ち上がって伸びをした。喜びから綺麗になった床を跳ねる。
「やった! よくやったぞ僕! 天才天才!」
「お腹減って死にそうだな」
テーブルに着いた僕は、次なる危機に瀕していた。
——そういえばさっき吐いたとき、胃液以外のものは何も出てこなかったな。
目の前の残飯の山にはハエがたかっている。
「これは無理」
乾いた笑いが顔に張り付きそうだ。
外に出ることにした。扉をゆっくりと開く。
「誰もいませんようにー……」
木製の質素な廊下。向こうには洗い場が見える。壁には『男子連れ込み厳禁!!!!』と荒々しく書かれた張り紙。近くに人はいないようだ。
——女子寮、なのかな?
「寮なら近くに食堂の一つや二つくらいあるかな」
一度部屋に戻り、転がっていた自分のカバンから金貨を取って来て、そろりそろりと階段を下りていった。
近くの食堂らしき施設に辿り着いた。中央に大きな木の植えられた、半開放の広いホールだ。かなりの数の机が並んでおり、まだ昼休み前だというのに、既にまばらに人が座っていた。老若男女問わず、楽し気に雑談している。
手の平大の妖精たち——カラフルな粘土で造形したような、自然発生する自立した人型——も机の上でピョンピョンと戯れていて、人々から和やかな目を向けられていた。昼下がりの公園のような雰囲気である。
僕はわなわなと両手を握った。
「一般の人めっちゃいるじゃん! 許可がないと入れないみたいなわけじゃないじゃん!! なんで僕は門前払いされたんだよ、もう!!」
昨日、膝を曲げて目線を合わせ、有無を言わさず追い返してくれたかの門兵。彼女を思い出してプンプン怒りながら、僕は券売機に向かった。
飾り気のない石柱に、先日の図書館の検索データベースのようなものが浮かぶ。
背を伸ばして『三種のチーズハンバーグ』と書かれた文字を押してみれば、次のページへ進んだ。量はどれくらいだとか、付け合わせがどうだとか、新たなページが表示されていく。
「くっ……ページの遷移が多いなあ、もうもう!」
何ページか連続で『次へ』を押した結果、やっと会計のページへ移った。
「……ん?」
しかし、僕は遂に気付いた。この筐体には現金を入れるようなところがない。
職員らしき人が通りかかったので捕まえて尋ねる。
「これ、どうやって払うんですか?」
「ああ、これは魔法payでなければ支払いができないんだよ」
「魔法payでなければ支払いができない!!?」
「なんたってここは世界の魔法の最先端、フレニアロサイトだからね!」
「『世界の魔法の最先端』って、そういう意味でいいのかなあ……」
十分後、僕はハンバーグランチ(肉量少なめ(チーズふつう(目玉焼き有り(サラダふつう(ごはん少な目(スープ無し(ドリンクバー無し(魔法バフ無し(駐馬車券無し(おもちゃセット無し(おもちゃガチャコイン有り)))))))))))を食べていた。
手元の木馬のおもちゃを揺らしながらぼやく。
「おもちゃセットとおもちゃガチャが別なのはどういうこと? どれだけ子連れを想定してんの。子連れだっておもちゃ二つは与えないよ。この辺りに子育て世帯住んでんのかよ、いや住んでないよ! 僕が港町の人から珍しがられてたもん! 誰なんだここのマーケティング担当は! ちゃんと市場調査をしろ!!」
一息ついて、手元の魔法phoneを眺める。
改めて、この魔法phone。これはショタコンJKノルンの部屋に落ちていたものだ。部屋に戻ると見つけたので(より正確な表現をするなら「踏みつけたので」)拝借してきた。
一見すると手の平大の板でしかないのだが、魔力を通すと文字や模様が浮かび上がり、様々な機能が使える。板の色は黒。ノルンは堅実な色が好きらしい。
「パスワードが分からなくても魔法payの支払いはできて良かったな。でもこれを起動するのでアレ——お茶を飲んだときの分の魔力を使い切っちゃった」
この携帯について僕は一つ、懸念することがあった。
——この携帯が無いとノルンは困るんじゃないかな。そろそろお昼休みの時間らしいし、部屋に戻しておこっか。魔法payで払った分の金貨も置いていこう。それでさよならだ。
さくさく食べ終わって食堂を後にする。そろそろ午前の講義も終わる時間のようで、通りには制服の生徒たちの姿が多く見えた。足を速めようとした、その折——。
「あれ」
ノルンが視界の端に写った。しかし彼女は大通りを歩いていたわけではない。
「連れてかれた……?」
彼女は複数の女生徒に引っ張られ、体育ホールの裏に連れていかれるところだった。
建物群の裏側にあるちょっとした林。ノルンはそこに連れて来られたようだった。
僕は壁際に張り付いて、向こうの様子を伺ってみることにした。
「おい、なんで魔法phone持ってねえんだよ。友達料金払いたくねえのか?」
「しかも講義が終わった途端に逃げようとするし。自分の立場分かっとらんみたいやのお」
「この変態女が! 身の程弁えろよ!」
三人の女生徒のうちの一人がノルンを地面に引き倒した。ノルンは頬についた土を拭いながら悲痛の表情で訴える。
「わ、私、すぐに部屋に戻らなきゃいけなくて。私のゴーレムにご飯をあげないと……」
「オラオラ舐めんなあ! その前に示しってもんをつけてけよなあ!!」
それは、最先端というには古風に過ぎる、いじめの現場だった。
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