第21話 アットマの歴々たる殺人への糾弾

 月が昇り始める夜の始まり、学園の女子寮の前に人間は三人。

 一人はパジャマ姿のノルン。一人は剣を構えたロウラン。そして三人目が、左腕にタブレットを抱える金髪黒目の獣人、アットマ・マーチン。


「ノルンさん! さあ、一緒に敵をやっつけようか!」

「あ、あれ? アットマさんなんか、さっきまでとキャラ変わったね」

「そう? あ、じゃあきっと、そういう記憶で自分の人格を上書きしたのかな! それよりノルンさん、ヴァルキリーちゃんを出してくれるかな?」


 ノルンは言われた通りに、指輪からヴァルキリーちゃんを召喚した。その間、ロウランは剣を前方に構えて魔法を唱えている。

 アットマがタブレットを操作すれば、ヴァルキリーちゃんに白い魔法がかかった。


「失礼、アプデさせてもらったよ。ヴァルキリーちゃん、第三世代と言ったところかな」


 ノルンはヴァルキリーちゃんの背中に描かれた緑色の魔法陣を撫でた。


 ——アットマさんの魔法は、石像の剣と盾にかかったように感じる。それはどっちも石材——つまりゴーレムの一部だ。私の術式に通じてないと、更新なんてできないはずだけど。


「この魔法の名前は——〝山狩りテンタオ〟」


 ロウランが剣を横に振れば青い波動が放たれる。飛来した斬撃をヴァルキリーちゃんは盾で受け——るどころか、そのまま弾き返した。


「えっ」

「な——!?」


 ロウランは慌てて剣を前に構えて魔法の斬撃を受けた。それでも防ぎれない分が彼の両腕に掠って袖に血が滲む。

 ノルンすらも起こった現象に驚いている中で、アットマだけがその結果を予測していた。


「剣と盾に、それぞれ反射魔法を仕込んでおいたんだ。もちろんボクはオズほどの天才じゃあないから、何でも跳ね返す魔法は作れないけどね。せいぜい——ミオンのチームの既出の魔法、その全てを弾く——その程度の反射魔法さ」


 ロウランは驚愕に目を見開いた。


「なん……だと!?」

「おおっとビックリな目線は光栄だが、過大評価されては生き辛いな。これはボクがこの数か月かかりきりで組み上げた術式なんだ。時間をかければ誰にでもできる。とはいえ、ヴァルキリーちゃんの術式を熟知してなくちゃあこの形での実現は叶わなかったけれど、ね」


 ノルンは腕を組んで唸る。


「んん~~~? ヴァルキリーちゃんの術式は門外不出のはずだけど?」

「え? そりゃあほら、ボクらは何度も共闘してる仲だし、そこで見たんだよ」

「共闘なんてしたことないよう」

「ありゃま。じゃあこの記憶は捏造っぽいね」


 ヴァルキリーちゃんは剣を振り上げてロウランに襲い掛かっていく。


「——この魔法の名前はっ——〝身体強化リェンシェン〟!」


 次の詠唱を終えたロウランが一歩踏み込めば、地面に亀裂が入る。


「はああっ!!」


 続けて打ち出した拳はヴァルキリーちゃんの盾にバキリとめり込み貫通した。


「あっ! 物理攻撃には弱いんじゃ——」

「おいおい勉強不足だな! ほらノルンさん、言ってやれ!!」

「——? ——!! そうだ!!」


 ノルンは気分よくロウランを指差した。


「その盾! 爆発するから!!」

「は——」


 盾に魔法陣が浮かび上がって、指向性の爆発が起こった。全身ボロボロになったロウランに、ヴァルキリーちゃんは容赦なく畳みかける。思いきり振り下ろして地面を揺らした。


「勝った……勝った!? やった。やった! 一位のメンバーに勝っちゃった!」

「やったなノルンさん!」

「うん! ありがとうアットマさ——」

「『オズの神様』だから、そういうことでよろしく」


 タブレットに表示された魔法陣。ノルンはそれを見た瞬間に意識を失った。

 アットマは倒れ込んできたノルンを抱え、ゆっくりと地面に寝かす。


「これで一件落着かな」


 しかし彼女の視界の端で、ロウランがフラフラと立ち上がっていた。


「おっと、まさかまだ動けるとは」


 ロウランは辛うじて立っているものの、しかし虫の息だった。頭からはダクダクと血を流し、目に光は無い。人形を一本の糸で引き上げたよう。

 吐いた血で顎を染めつつ、震える指先をアットマに向ける。


「チッ……。アットマ……僕は、忘れないぞ……」

「そのためには、ボクほどの〝記憶〟魔法への理解が必要になるな。あるいはオズのほとんど完璧に近い魔法反射や、キューさんほどに極められた呪詛返しがあれば」

「勝ち誇るには——まだ、早い——」


 ロウランの指先には一枚の呪符が抓まれている。


「一位の精霊よ。七位の精霊よ。萩が色付き雁が鳴く。命芽吹かす肥え土の精霊よ、空を覆う紅葉の精霊よ」


 ——その詠唱は記録にあるよ。もしかしたらオズは覚えていなかったかもしれないけど、でもボクはそれもきちんと録音していた。だからこの魔法は——。


 アットマはタブレットを操作した。浮かび上がった紫色の魔法陣は、アットマ自身の記憶を書き換えていく。


「象るのは四神の方。棚に伸びる蔓で編む。成る果実は繁栄の葡萄である。この魔法の名前を聞き届けたまえ——〝傷鏡シャンジン〟!」


 次の瞬間、ロウランの全身の傷が一瞬にして無くなり、代わりにアットマの全身に生傷が表れた。ロウランが受けた斬撃、爆撃、打撃の全てが一瞬に叩きこまれる。アットマは全身を襲う激痛と、骨折や筋肉の断裂から、為すすべなく地面に倒れ込んだ。


「うっ」


 ロウランは役割を終えた呪符を放り、アットマのことを見下ろす。


「決まったな。僕の傷は全てお前に押し付けた。形勢逆転、そしてもう覆ることは無い」


 アットマは鬼の形相で歯をギリリと鳴らしている。


「そ、そんな道理はない! ボクが貴様に負けるだなんて……そんな道理は無いっ!!」

「チッ。なんだお前。その傷でよくもまあそんな大声を出せるな」

「——!? まさか、ボクが声を荒げる理由が分からないのか!! 両親の仇を前にして、激昂しない人間がいるか! ボクはこの百年間、貴様への恨みを募らせてきたんだ!!」

「はあ? お前、何を言って——」


 アットマは自分のタブレットに、さっき撮ったばかりの魔法陣を表示した。


「これがボクの積年の恨みだ!! 喰らえ——〝傷鏡〟!!」

「は?」


 傷は再びロウランの身体に返った。二人の姿勢と視線が逆転する。


「——な、んだ?」

「覆したぞ」

「なぜ、それを撃てる……お前に、帝国の言語の魔法が、理解できるわけが……」

「ふん。ボクには百年間募らせてきた『恨み』の感情があるんだ。この百年間、毎日毎日毎日毎日! 食べる時も働くときも、いつだって欠かさずお前のことを恨み続けてきた! これほどの理屈があれば——どんな魔法であっても一度くらいなら、無理やりに行使できる!」

「な……何を言って、やがる……」


 ロウランは遂に意識を失って地面に倒れた。

 アットマは星を見上げる。意識せずとも、涙が頬を流れるのだった。


「ああ。お父様、お母様。遂に、遂に——ボクは復讐を果たしました」


 アットマが感慨に浸っていたところ、蝙蝠の群れが視界を横断した。


「……?」


 群れは彼女の隣で山のように積み重なっていき——。


「ああ……。キューさんか。やあ、久しぶり」


 キューは人の形をとった。彼女の声色は異様に重い。


「遂に……遂に尻尾を出しましたわねアットマ」


 両者、似たような様子で目を細める。どちらも口は横に結ばれていた。

 木陰に隠れて成り行きを観察していたリー・コンは何事かと困惑している。


 ——なにこのじとっとした剣呑な雰囲気は。喧嘩別れしたカップルみたいだけど。


「はあ。やっぱりキューさんの記憶だけは消せてないな。〝呪詛返し〟に加えて、長命種特有の忘却耐性もある。流石は上位種族の吸血鬼様だ、まだ呪いは足りないとボクは思うな」

「先に飛ばした蝙蝠で、ここ数分のおどれの言動を見て、聞いていましたわ」

「そう。ボクの百年の復讐が結実する瞬間を見ててくれたんだ。嬉しいな」

「まだその記憶の矛盾に気付きませんの?」

「いいや。キューさんを見て自分が二十年も生きてない学生って思い出したし、ロウランさんも近い歳だって思い出した。こりゃ矛盾してるな」


 キューは額に指をやって細い溜息を吐いた。僅かに俯きながら、ジロリと睨む。


「以前、私が言ったことを覚えていますかしら。いいえ、そんなわけありませんわね」

「クラウドにも端末にも記録してるよ、今調べるから少し待ってね。えっと——ボクがキューさんと顔を合わせたのは三回。何を言われたかというと——一度目は『不気味』、二度目は『気に入らない』、三度目は『惨め』だって。散々だなあ」

「そう。おどれが私のセリフから取り上げるのはそこですのね」

「今度もきっちり録音してるから、四回目の感想を聞かせてくれるかな?」


 右手をあげて促すアットマに、キューはピキリと青筋を立てた。喉から溢れる息は熱い。


「胸糞悪い、ですわ」

「どうして?」

「私としても、どうしておどれにこれほどまでのやり切れない怒りを抱くのか、理解するまでに長い時間を要しましたわ。けれど今、遂に私は理解しました」


 キューはかつてのアットマの性格を思い出した。今の彼女とは似ても似つかない彼女の人格を。


「おどれがやっているのは、殺人ですわ」

「ええ? ボクは誰も殺しちゃないが」

「記憶も人格も別物になる。それを殺人と言わずして何になりますの」

「……? じゃあキューさんが言ってるのって——」


 キューは怒りに震える手でアットマの胸ぐらを掴み上げた。


「おどれがやっとるのは紛うことなき殺人や!! おどれは記憶を塗り替えるたび自分を殺しとんのや! これ以上は見過ごせん! もう私の前で手前を殺すのは許さんぞ!!」


 聞き耳を立てていたコンはうんうんと首肯した。


 ——違いない。今聞いた限り、アットマさんがやっている自己同一性の断絶は人を殺すのと何も違わない。でもなー影響を受けてるのは当人なんだよな。例えば「アットマさんが他人の記憶をぐちゃぐちゃにして実質的に殺した」なら、この怒りはアットマさんに向ければよかった。けれど今回の場合は違う。これは、やり切れない。つまり胸糞悪い。


 怒鳴りつけられてアットマはうっと怯んだ。しかしそれでも主張を曲げはしない。


「ぼ、ぼぼ、ボクがボクをどうするかはボクの勝手でしょ? そ、それに、キューさんのような稀有な例を除けば、ボクがどんなキャラだったかなんて、だだ、誰も覚えてられないんだからっ。客観的に見ても……問題ないよ!」


 キューはアットマのセリフに何かを感じ取り、つい咄嗟に強く肩を押した。一瞬のフラッシュバック。母親とアットマの姿が被る。

 しかしアットマは顔を歪めつつも倒れはしない。キッとキューを睨み返す。


「やるなら本気でやるよ」

「ッ……ああもう! おい化け狐! 耳と尻尾は隠せても、その獣臭さは隠し切れてませんわよ! 私の八つ当たりに協力してもらいますわ!」

「まさか協力してくれるとでも思ってるの? 彼は敵だけど」


 ——漁夫の利とはいかないか。アットマさんにもバレてたみたいだし。


 コンは木陰から出ていく。銭剣と法鈴を構えつつ軽い調子で笑った。


「はいはいどうも、紛れ込んだ狐ですよ~。でも俺の方がアットマさんより人間味あると思うな? だから俺は、キューさんに同意しよう。言って分からない屁理屈野郎は叩いて分からせる。こんなに分かりやすいことは無いってね」

「……まあ知ってたよ。これだから、ボクはキューさんのことが嫌いなんだ」

「その言葉、そっくりそのまま返してやりますわ!」


 途端、キューとコンの視界が縦横無尽の炎で埋め尽くされた。ヴァルキリーちゃんに仕込まれていたウイルスも活性化してアットマの支配下に置かれる。


「オズが着く前に終わらせるよ。ボクはまだオズの神様でいたいから」

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