第20話 賽は投げられた

 ふわりとミオンの裾が浮かんだ。対してこちらは白の魔法陣を用意する。

 魔法陣の収束と同時に纏った〝魔法反射衣リフレクローク〟が、襲い掛かってきた無数の風の刃を無秩序に跳ね返した。周囲の壁にビシビシと深い切れ込みを入れた。


「ミオン豆知識。わたくし、赤の魔法は使えませんので——」


 気付けばミオンは眼前に迫ってきている。片足を踏み込み前傾姿勢に。


 ——数メートル以上の距離を一瞬で詰めてきた! 身体強化——。


 鉄扇でバキリと殴り飛ばされた。背中から壁に打ち付けられる。


「ッ——!!」


 脳が揺れる衝撃に、背骨から走る鈍い痛み。身体に残る確かなダメージ。


「すっご……魔法じゃないんだ……」

「今のはただの瞬歩です」


 続けてミオンから放たれた蹴りは〝精霊の結びつき《フィー・ド・リンク》〟で防御した。

 しかし息つく間もなく透明な壁のさらに手前、目の前に黄色い魔法陣が現れ、風の刃が撃ち出される。変わらず反射するのだが、反射した刃は〝精霊の結びつき〟に向かい、そしていくつもの切れ込みを入れてしまった。

 切れ込み目掛けてミオンが再び蹴ったなら、ヒールは貫通してその一点からピシピシとヒビが入っていく。続けて鉄扇の打撃を受け——。


「う、わ」


 〝精霊の結びつき〟はバラバラと崩れ落ちた。水平に蹴った姿勢から鉄扇を振り上げる動作は、そのしなやかさからまるで舞のようにも見えた。


「その古代魔術とやら、一方からの攻撃に強い代わりに、反対側は脆いらしい、ですから。そして一度割れるとしばらく使えなくなる」


 壁に手を着いて立ち上がる。


「いやーっ、一応これ王国の秘伝技術なんだけどな。よく調べられたね」

「おとぎ話のような古文書を精査するところからやりました。はああぁー……思い出すだけでダルい気分。二度とやりたくありません」


 ワクワクするあまり、つい声が大きくなってしまう。


「うわー! じゃあきっとこれの対策も考えてきてるんだろうね! 死なないでよ!?」

「お構いなく」


 指を掲げて宣言する。


「この魔法の名前は——〝宇宙空間コズミック〟!!」


 ミオンは水筒の蓋を開けながら魔法を口にした。


「この魔法の名前は——〝冰期ピンチー〟」


 周囲が宇宙空間に置き換わった瞬間、ミオンはカチンと凍結されてしまった。体表数センチを氷に覆われ、出血する様子もない。身体を保護する魔法で——攻撃も兼ねているようだ。氷の体積は見る見る間に広がっていく。僕が飲み込まれるまで一秒もかからない。

 半秒で宇宙空間を解く。廊下に光が戻ってきて、ミオンの氷も瞬く間に剥がれ落ちた。

 刹那の一閃。鉄扇と爆発の先手必勝。壁に叩きつけられたのは——ミオンだった。


「ガッ……」


 壁際に滑り落ちるミオンの傍に、氷のカケラがバラバラと転がっていく。

 彼女は胸に手をやり、時間をかけて調子を戻してから——とても長いため息をついた。


「はあああ————。わたくしの負けですね」

「純粋な早撃ち勝負まで持って行かれただけでも驚きだよ。今のは〝氷〟の相当上位の魔法だと思うけど……専門の系統じゃあないはずだよね?」

「はい。見ての通り〝風〟だけの女です」


 三位の魔法にはいくつもの領域があるが、それぞれの互換性はほとんどない。まだ「水/氷」や「星/爆発」くらい近ければ話は違うのだが、風と氷ほど違えばもう活かせるノウハウは皆無。そこから上級の魔法までたどり着くのには、本来なら十年以上かかるはずだ。


 しかしミオンはこの魔法を無理やり成立させた。それは絶対零度の宇宙空間というあまりにも〝氷〟向きの状況があってこそ。ダメ押しに少量の水も持ち込んで。

 ミオンは僕の魔法にタダ乗りして理屈を通してきたのだ。


「いや凄い。本当に魔法のセンスがあるよ」

「ミオン豆知識。わたくし、おやじギャグは嫌いです」

「あっ……え? あっ……ああ。扇子ってこと……?」

「で、また情けをかけるのですか?」

「そりゃあ殺しはしないけど。何か事情があるんだよね?」

「アットマが口を割ったからこそ、あなたはこの場に現れたのでは?」

「アットマ? いやほら、呪いのさ。どうして学園全体に呪いをかけたの?」

「呪い? 何の話をされてます?」


 ——どういうこと? ミオンは呪いのことを——知らないの?


 どうやらお互いに思い違いだったようだ。


「はあ……では早とちりだったのですか。とはいえもう手遅れですね。わたくしも、あなたも。オズがここに現れた時点で、わたくしはもう連絡を済ませているのです」

「なんの?」

「それは当然、『今晩中に殺せ』という指示を」


 元いた部屋からキューが血相を変えて飛び出してきた。


「眷属!!」

「なに!? なにか——」

「ノルンの部屋に残してきた私の蝙蝠が全部殺られた!! 私は先に行きますわ!!」

「——!?」


 キューはそのまま蝙蝠の群れになって、窓から飛んで行った。壁にもたれたミオンを見れば、彼女は気だるげに目を逸らしながら——しかし、微かに笑っている。


「さしもの蝙蝠とてここから学園の寮までは五分以上かかる。それだけあれば十分です。十分はかからないけど」

「ミオンのギャグもそんなに面白くないよ!?」


 ここにきて、遂に僕の脳がさっきのミオンの発言を処理した。「暗殺を依頼しようというこの場面」という文章。突拍子もない言葉だったので聞き流していたのだが、ここにきてそれが信憑性を伴って浮かび上がってきたのだ。


 ——まさかこの子たちは、一位を死守するために本気で僕らを殺そうとしてたの!?


「じゃあミオンは——」

「わたくしの役割は『時間稼ぎ』でした。十分でしたね。十分は経ってないけど」

「もういいよ! ごめん、魔力が足りないから貰うね!」


 壁に手を付いて、ミオンの唇を勢いよく奪った。少し溜めてから離す。

 ミオンは口の端から垂れるよだれを拭う様子もなく、じっと僕を見つめた。


「ミオン豆知識。ファーストキス」

「それは本当にごめん!! じゃあもういくね!」

「最後に一つ助言しましょうオズ。きっとわたくしですら遅かったでしょうからね」

「えっ……じ、助言? どういう……立場なの? 僕らは敵対してるんじゃ?」


 ミオンは膝で立つと、おもむろに僕の頭を抱き寄せて、唇にキスをした。


「——ん!? な……なに!!? なにっ!!?」

「わたくしはあなたを将来婿に取る女です」

「なにがどうしてそうなった!!?」

「だってわたくしの唇、奪われてしまいましたから。そういうしきたりで」


 ——そんなに大事な唇だったの!? いや大事だよね! 大事なのはわかるよ! 分かるけどさ! 悪いのは僕なんだけどっ、僕なんだけどお!!


「アットマの幻覚は——被術者が燃やされたと感じたなら、筋肉や皮膚は実際燃やされたかのように変化する——本物の炎と変わりません。しかしそれは彼女が相手の頭に魔法をぶつけて幻覚を見せることに成功したらの話。あなたならそれを弾くのは簡単でしょう」

「な、何の話をしてるの?」

「はあ。もう疲れたので後はあちらで聞いて下さい。わたくしのペットと、幼馴染と、それと、お義姉さまを、よろしくお願いします」





**





 ノルンの腕を引いて走るのは一人の女子。

 制服の上に羽織るコートは肩にケープがついている。頭に被るのはキャスケット帽。ボーイッシュなショートヘア。髪色は金髪ベースでまだらに茶色。帽子の側面からは犬のようなケモ耳が飛び出て、腰からはふさっと短めの尻尾が生え出ている。

 ノルンは訳も分からないまま彼女に引っ張られていた。


「ねえ、あなた、会ったことあるよね。どこで会ったんだったかな……」

「はあ、はあ。ああ、クソ、まさかミオンの指示がこれほど早いなんて」


 寮の外に出た二人。そこにはトウ・ロウランが待ち構えている。


「逃げられると思っていたのか?」

「う、うー、うそだろー。はあー、はあーっ……走り損じゃん……」

「アットマさん獣人なのに体力無いんだ。おもしろ」


 ノルンはおやと顎に手をやった。


「ってあれ? アットマさん……うん、やっぱりアットマさんだね! しっくりくる!」

「ど、どうもノルンさん。元より体力は無いんだけど……さ、さっきまでえげつない呪詛返しを喰らってたのもあって。は、半分、死にかけみたいなもんで……」


 ロウランは剣を抜いて横に構えた。


「アットマ……そうか、アットマか。思い出した。そうだ、僕らはお前に依頼した。じゃあゴーレムに情報を流したのもお前だな」

「ゴーレムじゃなくてオズね。ボクの唯一にして無二の信者だよ」


 アットマは胸に抱えていたタブレットを起動した。いくつか操作して顔を上げる。


「——ふっ、いいともさ! これはこれでいいチャンス。オズにもっと崇めてもらうため、ここは一つ、神様として活躍させてもらおうか!」


 キリリと自信にあふれた顔つきで。


「そして! 『アットマ・マーチン』のことなんて何もかも忘れて帰ってもらおう!!」

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