5章 最先端の運命の相手(アカラ後編)
第26話 学園創立譚
会場に大歓声が巻き起こっている。
「勝った……!」
その場に立っていたのは僕とアットマだけだった。
「や……やったね、オズ」
「そうだね。多少苦戦したけど、まあ、ミオンが相手じゃないしね」
観客席に手を振れば、再びの歓声が返ってくる。
僕らは、学園一位になったのだ。
**
「では僭越ながら私が音頭を取らせていただきます。——かんぱーい!」
その日は、港町で一番大きいレストランを貸し切っての打ち上げとなった。自分たちだけではなく、いくつかの王国チームも巻き込んでのパーティーである。
ホールの中央で乾杯を掲げたイドニアは一気に酒を呷った。教授陣がおーっと声を上げる。
「ああー、イドニア先生またあんな飲み方してる。弱いくせに」
「は? そのセリフ彼氏すぎない? アットマさん、二人が飲みに行った時の録音出して」
「えっあっ、はい。見どころはここの酔った先生を介抱するオズの優しい声色かな」
「これがいじめられっ子同盟……おぞましい組織ですわ……」
ともかく、僕ら四人のテーブルでもコップを鳴らした。
ノルンがアットマに絡みに行っている。
「ねえーなんで最後にオズきゅんの隣に立ってたのがアットマさんなの? 私はどこー?」
「えっ、そんな、あっ」
「おどれが弱かっただけですわ」
「キューたんってアットマさんに甘いよねー! すぐ庇うんだから! 恋?」
「いてこましたろか——あっ」
キューはちらりとアットマの顔色を覗いたが、アットマはきょとんとしている。
「ど、どうかした?」
「い……いえ。なんでもありませんわ」
「キューたんはねえ。アットマさんに怖がられやしないかとビクビクしてるの。恋だから」
キューは青筋を浮かべて拳を震わせた。その頬は気持ち赤くなっている気がする。
「ノルンおどれたいがいにせえよ、な?」
アットマに尋ねる。
「どう? キューは怖い?」
物事の流れを理解したアットマはくすくすと笑った。
「そ、そんなことないよ。もう慣れたし」
「それなら、まあ、よかったですわ」
「え? じゃあやっぱりボクに恋してるの?」
「なあアットマ。——なんでやねん!!」
二階のテラスに出れば、手すりに肘をかける緑髪の女生徒を見つけることが出来た。ピアスがキラリと光っている。
「ルルキス、こんばんは」
ルルキスは意外そうな様子で振り返った。
「あん? 坊ちゃんじゃねえか」
手すりにもたれて、僕の機嫌を尋ねるようなジェスチャーを見せる。
「よっおめでとさん。これで一つの戦争が止まり、一つの戦争が起こらなくなった」
「ありがとう。でもなんでルルキスにそんなことが分かるの?」
「あーしじゃなくてクレ公に分かんだよ。一応、この学園唯一の幹部にして外交部長だからな。それなら最先端の世界情勢が耳に入ってきたっておかしくねえ、だろ?」
「そう! そのクレイトスさんを探してるんだけど、知ってる?」
「クレ公ならもう帰ったぞ。呼び出してやろうか?」
「い、いや。そこまでは悪いよ」
ルルキスはクククと笑った。
潮の香りが風と共に運ばれてきて、夜の海の匂いを感じることができた。
僕はルルキスの隣に肘かけ——たかったが身長が足りなかったので、しょぼしょぼと肩を落としながらテラス席に着いた。ルルキスがお腹を押さえている。
「じ、じゃあ……ルルキスに聞こうかな。アカラのこと」
「おー? どうしてあーしがそれを知ってると思うんだ?」
「クレイトスさんは大賢者だって言うし、きっとアカラと一番深い仲だと思うんだ。ルルキスはクレイトスさんの一番弟子らしいから、少しは話を聞いてるのかと思って」
ルルキスは視線を海の方にやってから、一度フッと鼻で笑うと、それから僕の向かいの席に着いてくれた。
「いいぜ。じゃあ教えてやるよ。何から聞きたい?」
**
こちらは窓辺から様子を伺う盗聴組三人衆。
「大賢者だからってアカラ様と仲良しってことになるの?」
「そらそうじゃありませんの? 八人しかいない大賢者のうちの二人がこの学園にいるんですから、二人の仲が良いと考えるのは自然だと思いますわ」
「せ、正確には今は〝彼方〟が空位になってるから、七人だけどね」
大賢者。それは八つある冠名のうちのいずれかを保持する賢者のこと。
西の王国に四人、東の帝国に一人、砂漠の共和国に一人、他に一人いる。
「〝望遠〟のアカラ様と、〝革新〟のクレイトス先生、かあ」
「でもクレイトス先生がタイトルを獲得したのは確か、比較的最近のことでしたわよね」
「うん……そうだね。今調べたよ。アカラ様が冠名を獲得したのは四十年前のことだけど、クレイトス先生が冠名を獲得したのは、五年前らしい——」
カツカツと歩いてきたイドニアが、彼女らの机にグラスを置いた。
「五年前にオズミックの除名が決議されました。そうして空いた席〝革新〟をクレイトス氏が——その時を待っていたかのように、掠め取るようにして——獲得したわけですね」
「い、イドニア、先生」
「アットマさん、どう思いますか?」
アットマはイドニアの視線に頷いた。
「ぼ、ボクも、そう思います。クレイトス先生は大賢者との決闘にたったの一度で勝利した——つ、つまり、大賢者になろうと思えばいつでもなれた」
「しかしクレイトス氏は待った。ならば彼はただ大賢者になりたかったわけではない」
「かつてオズ——ミックが持っていた冠名、ただそれが欲しかっただけなんだ」
**
街は砂と石で形成されていた。太陽は容赦なく地上を焼き、空気は熱で揺れ動いている。
今から三十五年前、アカラが五十歳のころ。彼女は、新しく大賢者になったという共和国の魔法使いに会ってみようと、砂漠に足を運んでいた。
「それにしても疲れた……せっかくこんな街まで来たんだし、小間使いでも買いますか」
この街で一番の賑わいを見せていたのは、市場の広場だった。特に人々の注目を集めていたのは、奴隷の取引である。鎖につながれた男女が壁際に並んでいる。
「どれがいいかしら」
奴隷取引に関して彼女は特別驚くことも、哀れむこともなかった。
「六位の精霊よ、ここに——〝
青いビジョンを浮かべながら軽い気持ちで目を通していく。そして目に付いたのが——。
「あなた、名前は」
「クレイトス」
縮れた黒い髪の毛を持つ少年、この頃七歳のクレイトスであった。
「あなた、いい家の出?」
「……? いいえ」
魔力は遺伝の影響がかなり大きい。クレイトスほどの——貴族出身に並ぶほどの——才能を市民の中に見つけるのは、滅多にあることではなかった。
「そうですか。これ程の才能、無駄にはさせられませんね。あなたを買いましょう」
クレイトスは不思議に思った。アカラの見た目態度振る舞いは、どれも彼女が王国の貴族であることを示していた。王国では奴隷が違法である以上、自分を買ったところで、連れ帰ることができないはずなのである。
——ならこの人は暇つぶしか、あるいは人助けで、私を買ったのだ。
アカラは少しのあいだ街に滞在した。クレイトスは懸命に彼女の身の回りの雑務をした。
「よく働きますね。お駄賃あげましょうか」
「いただきます」
「あら。何か欲しいものでもあるのですか?」
クレイトスは少し悩んでから、自分の身の上をアカラに話した。自分の両親がこの街の軍に無実の罪で嬲り殺された経緯を。
「——ですから、いつかあなたに依頼させてほしいんです。私の復讐を」
努めて淡白に話したつもりだった。しかし最後には声に熱がこもってしまっていた。
アカラはつまらなさそうに窓辺の砂を吹き飛ばす。それら砂粒は集まり魚の形をとって宙を泳いでいった。
「私の力で首長を討つことは可能です。けれどそうしたなら、この街は戦争の渦に巻き込まれてしまうでしょう。それが大賢者という立場なのです。軽率な真似はできません」
クレイトスは俯いて唇を噛む。
「ですからその復讐は、あなた自身でやりなさい。それは理屈が通っています」
アカラはいくつかの魔導書と三枚の金貨だけを残して、街を後にした。
そんな彼女の——露のように消える飄々とした存在感に。小さくも巨大に見える背中に。諦観が垣間見える鋭い瞳に——クレイトスは尊敬を見出したのだった。
「お久しぶりです」
「思ったよりも早かったですね。十年くらいはかかると思っていましたが」
四年後、王国の王宮にて二人は再会した。アカラが受け取った袋には、三枚の金貨と、クレイトスにかつてついていた値段分の貨幣が入っていた。
クレイトスはその場で傅いた。アカラは怪訝な様子で彼を見下ろした。
「借りを返したなら、もう肉体的にも精神的にも、自由の身なのではないですか?」
「私を弟子にしてください」
「あなたは共和国の辺境で、悪政の首長を倒した英雄として有名なのでしょう。その名声を捨ててまで傅くのですか?」
「それでも」
「あいにくですが、私は弟子を取っていません」
「聞き及びました。孤高の魔法使いであると」
「ではどうして?」
「あなたはその立場ゆえに動きづらいのではありませんか。私を剣としていただけませんか」
「ありがたい申し出ですが、私にとってのその位置はもう埋まっているのです」
クレイトスは「ん?」と首を傾げた。
「……あ、あれ? 孤高という話ではぁ……?」
「せっかくできた縁です。話してあげましょうか」
それまでクレイトスの中にあったアカラ像というと——熱の無い印象だが気まぐれに人を助けたりすることもある、掴みどころのない気高き大賢者——このような印象だった。子供特有の思い出補正も相まって彼の中では相当高尚な存在になっていたのだ。
なので、思い出の品々を見返しながらかつての男の惚気話を無限に続けるアカラは——。
「あ、あっ。そんな。私の中のアカラ様像が。く、崩れ、崩れていくぅ……!!」
「え。何ですかその反応は。もっと楽しそうに聞きなさいよ」
「私もうアカラ様に仕えるしか人生の道は無いと思ってここに来たのにぃ! ど、どうしたらいいんですかぁっ!」
「じゃあ仕えたらいいじゃないですか。小間使いなら歓迎しますよ」
「なあああぁぁぁ」
なんだかんだで二人は、それからまた主従の関係に戻ったのであった。
そうして学園が設立したのが三十年前。
「やったー! ついにオズミックを迎えるための学校が完成しましたね、クレイトス!」
「あ、あぁ……遂に出来ちまいましたよぅ……。この女の何十年の拗らせでできちゃいましたよぅ、こんな崇高な理念を持った学校があぁぁ……!!」
この頃はまだ今でいうところの旧校舎しかなかったが、しかし学園は見る見る間に大きくなり、すぐにかの称号——『世界の魔法の最先端』を手に入れることになるのだった。
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