第17話 大人組の夜デート
「——ということがありました」
その日の僕は、どういうわけかイドニアと二人で酒場に来ていた。お姉ちゃんに殺されることになるので嫌ですと一度は断ったのだが、それでもと頼み込まれたのである。
しょうがなく着いてきたら、よく分からないアカラの奇行を聞かされることとなった。
「ええ……アカラがそんなことを? まさかあ……嫉妬ってのは気のせいだよ。だって僕がアカラと別れたのって、えっとどのくらいかな、半世紀以上前だもん」
「一応聞いておきますが、別れの言葉は言ったんですか?」
「え……いや言ってないけど。でも僕、彼女のお父さんを殺して王都を出て行ったんだよ? これ以上ない絶縁宣言でしょ」
イドニアは言葉を失っている。
「え、あれ。ダメ? もしかしてダメ?」
「っ……あの。最後に挨拶くらいはしようとか、思わなかったんですか?」
「いや、お父さんを殺したような人間が会いに行っても、怒声罵声を浴びせられるだけだろうし、下手したら殺されるかもって思ったんだ。あの子お父さんと結構仲良かったし」
「でも別れの言葉は言ってないんですね?」
「言ってないけど……い、いやでも、ありえないよ」
僕は額に汗を浮かべながら弁解した。
「アカラが僕を好いてるだなんて。確かに学生の頃からずっと一緒にはいたけど、あくまで実力の近い魔法使い同士だったから話が合うってだけで、なんなら喧嘩することの方が多かった。後で婚約することにはなるけど、それもお互いの親が有力貴族ゆえの政略的な面が大きかったよ。それからも別に僕らの関係性や距離感が変わるなんてことはなかったから——」
イドニアは麦酒の容器を机に叩きつけた。顔を赤くしながら声を張る。
「でもアカラ様は婚約を嫌がっては無かったんですよね!!?」
「うん。スッと決まったね」
「ああもう!!!」
イドニアは新たに運ばれてきた酒を一息に呷った。
「——ぷはっ! で!? あなたも結婚するつもりでいたんですよね!?」
「まあ、断る理由も無かったからね。普段から世話を焼いてくれてたから、助かるくらいの気持ちで——」
「うわあああああ!!!」
イドニアは頭を机に打ち付け始めた。
「ああうそ先生、酔うのが早すぎる!! なんで弱いのに一気飲みしたの!!」
「あなたのせいでしょうが!!!」
「僕のせい!!?」
イドニアはぶつぶつ小さく呟いている。
「ぁぁぁぁアカラ様これ拗らせちゃったんだ。拗らせちゃったんだようわぁぁぁぁ歪みに歪んでこの学園だよおしまいだあああ」
「何を!? 何が!? 誰が何をどう拗らせたの!!?」
「恋愛感情あるじゃないですか!! アカラ様絶対あなたのことが好きでしたよ!!」
「ええ!!? で、でも好きの意思表示ってのはほらさ! ノルンお姉ちゃんみたいないちゃいちゃ~って感じだよね!? でもアカラの雰囲気はそういうんじゃなくってこうもっとツンツンした——」
「うわああおしまいだおしまいだよ世の中。私がアカラ様だったら脳みそぶっ壊れてますよだって目の前でいちゃつかれてるんだもん自分はできなかったようないちゃいちゃを見せつけられてるんだもん、そりゃあ一回くらいは意地悪したくなります、むしろよくアレだけで済みましたねノルンさん! 万回殺されたっておかしくなかったですよっ——!!」
店を変えた。
雰囲気のいいバーに連れ込まれている。お任せでカクテルを頼む。
「あ、あの、こちらのお子様は……」
「ああ、コイツは私のゴーレムです。ゴーレムですよね?」
「え、あ……はい。——あの。イドニア先生はもう、僕の正体を確信して話してるよね」
「そりゃあ。御存知なかったかもしれませんが、こう見えて節穴ではないので」
イドニアは赤と青で二層になったカクテルを眺める。
「はーあ。もういいや、一人の大人として、ちょっと個人的な相談に乗ってもらっていいですか? アカラ様の件はもう自分でどうにかしてください」
「あ、うん。なんですか……?」
「アットマさんのことです。まだ来てくれない彼女のことを」
それは、未だ顔を見せない三人目のクラスメイトの名前だった。
「ああ。先生はアットマさんにも教室に来て欲しいと思ってるの?」
「はい。最近は……本当に。自覚してきたんですよ」
肩を落とすイドニア。苦笑する。
「もう疑ってないよ」
「とはいえ彼女は私の手には余ります。ですから、あなたにも知っておいてほしい」
僕の手元に届いたのはトロピカルな南国風のグラスだった。ノンアルコール。甘い。
「アットマ・マーチン。彼女の消息がつかめない原因は、彼女の専門とする魔法系統にあります。彼女の操る魔法は——〝記憶〟です」
〝記憶〟。人の記憶を抜き出したり、朧げに誤魔化したりする魔法だ。
「消息を掴めないだなんておかしな話ですよね。彼女は講義には出席していますから、終わり際に声をかければいいんです。おそらく私は何度も声をかけていて、彼女がどこに帰るのかを追跡しようともしたんだと思います。しかし私には、その記憶が一切ありません」
「アットマさんに記憶を消されてるってこと? まさか学生がそんな——」
「アットマさんは正真正銘の天才です。こそこそと論文を提出して、どれも既に評価されているんです。実績だけならルルキスさんたちと変わりません。それほどの彼女が本気で自分の痕跡を消そうとしているのなら、お恥ずかしながら、私には抗うことができない」
イドニアは遠くを見た。
「私は……私の教室に来てくれない事よりも、彼女自身のことが心配です。誰にも記憶されないよう徹底するというのは……きっと何か、とても重大な問題を抱えているからなのではないでしょうか。誰からも覚えていられないだなんて、それはきっと不幸な事です」
僕は困ってしまった。協力したい。協力はしたい、が——。
「どう、だろうね。僕は……本人が忘れられたいと思っているなら、それに他人がどうこう言うことはできないと思うな」
「そう、なんでしょうか」
「ごめん先生。いずれにせよ、僕は多分アットマさんと会う事があっても、説得はできないと思う。だって僕こそ、みんなに忘れられたいと望んでこの姿になったんだから。何を言ったって説得力が足りないんだ」
「そう……。それがアットマさんの幸せの形ならば、私もそれを尊重したいと思います」
**
キューが部屋へ帰ると、ノルンが座敷に転がって小説を読んでいた。
「うおビックリした。なんですのよ」
「なんでよー一年の頃はよく来てたじゃん」
ノルンは指の先でこの部屋のカギをチャリチャリと鳴らした。キューは荷物からバイト着を取り出したり自炊用の食材を広げたりしながら、困った目をノルンに向ける。
「このところのノルンはんは眷属——自分のゴーレムにお熱だったじゃありませんの」
「はーあ。私のゴーレムかぁ……」
ノルンは両腕をほっぽり出して、ぼけっと天井を眺めた。キューの目に留まったのはノルンの読んでいた本の表紙だ。女子向けの児童書。理想主義のラブロマンスである。
「相変わらず柄にもないものを読んでますわね。刺激が足りないんじゃあなくて?」
「これが私の『柄』だよキューたん。プラトニックこそが至上なのだ」
キューは髪を後ろに結んで食事の支度を始めた。
「じゃあなんでそんな性欲に正直ですのよ」
「性欲を全部発散してみないことには、この恋心が『本物』か分からないからね!」
「その証明は難しそうですわね」
「というかこの話、何度もしてるのに」
「忘れましたわ」
「アットマさんのことは忘れないよう努力してるのに。妬けちゃうぜ」
キューが慌てた様子で振り返ると、ノルンは得意げに一冊のノートを持ち上げて見せていた。表紙に「日記」と書かれたノート。
「おどれ……。よくもまあ一番読まれたくないものばかり見つけてくるものですわね」
「口調を変えたの、アットマさんのためだったんだね」
『ひ、ひいいい、ガラの悪い方言怖いよおお……』
ノルンはにまにまと頬を上げる。
「恋だね」
キューは馬鹿馬鹿しいといった態度で笑い、再び食事の支度に戻る。
「私がアイツに? 死んでもありえへんわ」
「分かりやすいねー」
仰向けになったノルンは目を閉じて微笑んだ。
「大丈夫。私たちのオズきゅんなら、きっとアットマさんだって連れてきてくれるよ」
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