第16話 アカラのストレス発散法

 教室棟で魔法の実践を行っていたノルンとイドニアの元に、金髪碧眼の美女が現れた。

 切れ長の目元に陶器のように透き通った肌。藍色のワンピースに身を包んだ、強気な印象の大人の女性。学園長アカラである。


「これはこれは、アカラ様」

「あ、アカラ様だ! こんにちは!」


 アカラはニヤリと笑った。


「はい、こんにちは。少し見学させてもらってもいいかしら?」





 「見学」とは——イドニアはそう思いながら、ノルンがいたぶられるのを眺めていた。


 地面に手を付き息切れに肩を揺らすノルンを、アカラはニコニコして見下ろしている。


「ほら、立ちなさい。帝国の生徒に勝ちたいというなら、まだまだ足りませんよ」

「でも、もう手持ちのゴーレムが——」

「だから?」


 アカラが右手を上空にかざせば、巨大な魔法陣が二つ現れる。それぞれ、宙を泳ぐサメをポンッと出現させた。ノルンは絶望の悲鳴を上げる。


「そんなー! もう無理ですよー!」

「はは、じゃあ逃げたらどうですか?」

「ええー!? なんでなんでなんでー!?」

「あははは」


 ジャキンジャキンと歯を鳴らす二体のサメ。ノルンは全速力で逃げ出した。


「想像していたよりも愉快ですね」


 ご満悦なアカラを、イドニアは白い目で見ている。


 ——絶対に私怨入ってるよなこれ。嫉妬だろ……。


 目を閉じてサメの視界をジャックし、両手をパクパクさせているアカラ。


「アカラ様、オズには会っていかれないのですか?」


 その隣に、イドニアが並び立った。アカラは右目だけ開けて目線を返す。


「オズ? それは誰ですか?」

「いや、私は気付いていますよ」

「そうですか。私は気付いていません」


 イドニアは一度ピクリと眉を上げたが、ため息をついて話し始めた。


「ほんの少し前に、オズはまだあなたに会ったことがないと言っていました。私たちがこんなに簡単に会えるあなたを、一度も見かけたことがないのだと。彼が学園に来てもう三か月です。これだけの期間があれば、全生徒があなたを数回以上は見かけるはずですが」


 アカラはいたずらっぽく唇を舐める。


「まあ、まるで——私が彼を避けている——とでも、言いたげですね」

「避けていますよね。そうでなければ、今、この場には来ないでしょうから。鬱憤を晴らすなら今しかなかったんです」

「ふふふ。鬱憤を晴らすだなんてそんな、大人げないことするわけないじゃないですか」

「大人がやるから『大人げない』んですよ」

「まあ。あなたまで彼の影響を受けて成長したんですか? 全く、妬かせてくれます」


 ——「妬く」!? じゃあやっぱり……この人はまだオズのことが好きなんだ! でも、それならそもそも、なんで二人は破局したんだ?





 ノルンは旧校舎に逃げ込んだ。既に彼女らの教室はこの建物の中では無くなっていたが、しかし旧教室には彼女自身が残していったフィギュアがある。


「みんなー! 私の声が聞こえたらおいでー!」


 廊下を曲がると、ノルンの足元に無地のフィギュアたちがトテテと走ってきた。


「お! みんな久しぶり!」


 ノルンの背後では全長三メートル近くあるサメが、廊下の壁を破壊しながらバタバタとヒレを振っている。


「で、でもどうしようかな。廊下の狭さで手間取ってくれてるみたいだけど——」


 バンと教室の扉を開けると、そこには一匹のサメが待ち構えていた。


「あっ——」


 ——先回りされてたっ!


 サメが口を開けるのに、フィギュアの一体が、ノルンを守ろうと突っ込んでいく。


「え、きみ! その不出来な造形は——!!」


 そのフィギュアは他のものと違って手足の長さが不揃いで頭の形も歪だった。

 オズの造ったものである。ゆえに当然、爆ぜる。

 ドカンと口腔内で弾け、サメは床に倒れた。


「はあ、はあ……。オズきゅんのおかげで……助かった」


 足元を見れば、あと一体だけオズ製のフィギュアがいた。直立するのも難しそうで、フラフラとしている。


「オズきゅん!」


 ノルンは20センチほどのそれを抱き上げた。


 ——オズきゅんを上手く使って勝たなきゃ。


 胸の中のフィギュアはきょとんと首を回している。


「この勘の悪い感じ——君、造り親に似たね!」


 破壊音が近づいてきている。背後を追ってきていた方のサメがこの教室に飛び込んでくるのも時間の問題だろう。


 ——あのサメの外皮、この校舎の壁なんかよりは余裕で硬いんだよね。でも今みたいに体内からの攻撃なら通じる——とはいえさっきのは本当に偶然のタイミングで私が意図したわけでもなかった。もう一度狙ってあれが出来るかと言われれば怪しい。


「私なんて——オズきゅんには不釣り合いな存在だ。不甲斐ないお姉ちゃんだ」


 深呼吸を一つ。ギュッと胸を抑える。


「そんな私が君の隣に立つためにできることは、この身を捧げることだけ——」


 壁を突き破ってサメが顔を出した。ノルンに食いかからんとキバを鳴らす。


「つまり——こうだ!」


 飛びかかってくるサメに対して、ノルンは一歩後ろに引きながら、フィギュアを右手に持って、まっすぐ前に差し出した。





「私が彼に会えない理由——」


 アカラの両目は確かに開かれている。


「私の父親は、婚約相手の父親という立場を利用して彼を貶めました。私を引き合いに出して、彼の師匠を彼自身の手で殺させたのです。あの事件を機に彼の失脚街道は始まった。だというのに、その娘である私が彼に会うだなんて。そんな資格があると思いますか?」


 駆けてきたノルンは膝に左手だけをついて、右肩からドクドクと血を流しながら、しかしアカラにしっかりと目を向けた。


「倒して……きました!」


 イドニアは驚きに目を見開いた。


「ノルンさん、その右腕」

「うん、実はもう無理~……」


 パタリ。ノルンは痛みと出血から気絶した。イドニアは首を回す。


「右腕を丸々失ったとなると、回復の専門家を呼んでこないと——いや、そうでしたね」


 ノルンの右腕の位置に渦巻いている魚の群れは、アカラの魔法によって生まれたもの。


「はい、回復魔法の専門家ではないですが」


 魚が散ると、ノルンの右腕は完治していた。


「私の専門は〝海〟ですからね。けれど〝海〟の生き着く先は生命の誕生。身体の創出。治癒というよりは補填に近いですが——現象としては同じでしょう」

「ありがとうございます、アカラ様」

「いいえ。いつもやっていることです」


 用は済んだと踵を返すアカラを、意識虚ろなノルンが呼び止める。


「ありがとう、ございました。私、ばっかり——」

「感謝される筋合いはありません。私はただ自ずから荒れた感情の波をあなたにぶつけにきただけなのです。しかしあなたは、時化にも耐える岩礁だったようですね」


 アカラはニヒルな笑いを残して、取り出したおしゃぶりを咥えつつ去っていった。


((おしゃぶり……?))

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