第19話 魔法陣が発動してしまいました
あれから無言のまま部屋まで送ってくれたヴィネ将軍は、僕が部屋に入るのを確認すると、静かに扉を閉めた。
扉越しに「カチン」と金属音が擦れる音がして、彼がそのまま守りに付いてるんだと知れた。
僕は部屋の中を見渡し、騒めく気持ちを抱えたままベッドに座る。この部屋は魔王様が僕に与えてくれた部屋。
今まで『部屋』っていうのは、屋根があって床があって雨風がしのげる場所ってくらいの認識だった。
でもここは、ふかふかのの大きなベッドがあって、ゆったりと寛げる座り心地のいいソファがあって、面白そうな本がぎっしり詰まった書架があって、勉学に最適な机がある……。
物の良し悪しは分からないけど、軋むことなく開くキャビネットの扉に良い物なんだろうなとは思うし、その違いは明らかだ。
どういった思惑があるかは分からないけど、人間界より遥かに良い待遇を与えてくれる魔王様には感謝している。
ーーだからこそ、迷惑なんてかけたくないんですけど……。
ふぅっと嘆息して、フルフルと頭を振った。
そしてのそりと立ち上がると、ベッドの下に押し込んでいたトランクを引っ張り出した。
今にも壊れそうな、少し錆びた留め金をパチンと開ける。中に詰めた荷物を探り、一冊の本を引っ張り出した。
擦れてヨレヨレになった表紙。元は鮮やかな赤色に金の箔押しの文字がタイトルを飾る美しい本だった。
僕がまだ『成り損ない』になる前に、お祖母様から貰った物。レイル・アルファスと胸を張って名乗れていた僕が、五歳の誕生祝いに頂いた本だった。
そろりと優しく表紙を撫でる。
お祖母様は、僕が神殿に行く直前に病で儚くなられた方だ。
記憶にある彼女はいつも慈愛に満ちた笑顔で僕を褒め、皺が刻まれた
その祖母がくれたこの本は僕の宝物なんだ。
心の中にモヤモヤした何かが渦巻く時、よくこの本を眺めて気持ちを落ち着かせていたっけ。
でも、もう本を頼らなくても大丈夫になってたのになぁ……。
僕も来年は十八歳になる。立派な大人だ。
まぁ、ちょっと発育が悪くて、十四、五歳に見れることもあるけどさ。でも大人だから感情のコントロールなんて問題なくできるはずだったのに。
やっぱりヴィネ将軍の言葉は正しいのかも。僕は……、僕は不安なんだ。
魔界でもお前は不用だから人間界に帰れって言われるんじゃないかって。
「魔王様はそんな人じゃない」
ポロリと口から溢れ落ちた言葉は、びっくりするくらい説得力がない。
プルソンも言ってたじゃないか。『気を許しすぎるな』って。
ぐっと唇を噛む。
耳にこびり付くプルソンの言葉を振り這うように、僕はフルフルと頭を振った。
そして心を落ち着かせるために、ゆっくりと本のページを捲った。その時ーー。
ピカッ!と眩しいくらいの閃光を放ちながら淡いグリーンの魔法陣が浮かび上がったんだ。
「っつ!!」
余りの眩しさに顔を背けつつ、左手を目の前にかざす。眇めた目の先で、本は空中に浮いたままゆったりとページを捲られていく。
その度に魔法陣に追加の魔術が組み込まれていき、グリーンに光る紋様が大きくなっていった。
「っ!レイル!」
扉を蹴破る勢いでヴィネ将軍が部屋に飛び込んできた時には、魔法陣はその全貌を明らかにしていた。
ーーこれ、座標が指定できる転移魔法だ……っ。
見上げる程に大きくなった魔法陣に、僕はゴクリと喉をならす。これ程複雑で、精緻な転移の魔法陣が導く先はただ一つ。
堅固な守護の結界に守られた人間界の王宮の中……。
「レイル、それから離れろ!!」
険しい顔でヴィネ将軍は叫び、背中の剣を引き抜く。
彼が狙いを定めた物を理解して、僕は弾かれたように
「ダメですっ!これは、ダメッ!!」
必死に本を胸に押し付け、ヴィネ将軍の目から隠したつもりだった。しかし僕が本を抱き込んだ瞬間、魔法陣は一際眩しく発光したかと思うと、術を発動し始めたのだ。
「レイル、それから手を離せっ!早くっ!君は………」
将軍の叫び声は途中で切れ、僕は魔法陣の向こう側に引き摺り込まれてしまった。
★☆★
魔王の間で人間のくだらない話に時間を取られている最中に、ゆらりと魔王城がゆれた。揺れと共に、ミシミシっと壁が軋む。
思わず何事かと眉間の皺を深めていると、階下に控える人間の口元が僅かに歪むのが見えた。
「っ!アスモデウス!ベレト!人間どもを捕らえよ!!」
シュンとその場に姿を現した奴らを確認することなく、俺は一気にレイルの部屋へと飛んだ。
ーークソっ!
姑息で狡猾な人間の策略に、まんまと嵌まった自分に苛立つ。
奴らは別にレイルを引き取れなくても良かったのだ。
ほんの少しの間だけ俺とレイルを引き離せれば、それで目的は達成だったのだろう。
「レイル!レイル、どこだっ!?」
彼に与えた部屋に着くと、辺りを素早く見渡す。
しかし、そこにはレイルの姿はなく、全身に鋭い刃で切り刻まれたかのような傷を負い膝を付くヴィネの姿があるのみだった。
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