第31話 僕の知らない世界の事 後編
そこまで………?僕は言葉を失くしてしまった。
僕の行動範囲は限られていたけど、でも殿下の仕事をするようになって幾つか知ったことがある。
近隣周辺の国より遥かに高い税金、そして水害が起きた時のお粗末な国の対応。対応が遅れに遅れ、水害のあとに疫病まで流行りだし、何千人という人が亡くなったのは、まだそんなに昔の話じゃない。
「天界の神々は、荒れた時代に突入させた原因となる国に最後の救いを与える。その『救い』が生まれた国を、そこに住む人間を強く愛せば存続を。逆に国や人間を強く憎むのであれば……」
魔王様の顔が近付いてくる。僕の耳にくっつかんばかりに唇を寄せて、魔王様は低い声で呟いた。
「ーーー神々がその国を亡ぼす」
僕はゴクリと喉を鳴らした。
待って……。凄く嫌な予感がする。この流れでいくと、僕が「成り損ない」になった理由って………………。
「オマエのことを、神々が人間界に与えたギフトだと言っただろう。レイル。オマエは人間界の最後の救い……『審判を下す者』だ」
―――――――嘘だっ!!!!
思わず叫びそうになった僕は、両手で口元を強く押さえた。
僕の好き嫌いの判断だけで、何千何万もの人が死ぬ。
そんな事があって良いはずがない!
カタカタと震えだす身体を魔王様が宥めるようにふわりと抱き締めてきた。
背中からすっぽりと包まれるけど、震えは一向に止まらない。
「天界、人間界、魔界は、その三つの存在でバランスを取っている。天界が人間界に干渉すれば、余波は魔界にも及ぶ」
優しく紡がれる魔王様の声は、残酷な事実を告げていく。
「『審判を下す者』であるオマエがこの地に存在すれば、その余波は抑えられる」
「………だから魔界の皆さんは僕に優しかったんですか?その余波を抑えるために必要だから?」
ピタリと震えが止まった。
物事には全て、そうなる理由がある。
僕が『成り損ない』になったように。
人間界のあの国が神々から見限られたように。
魔界の皆さんが僕に優しかったのにも、ちゃんと理由があったんだ。
今まで人の役に立つことだけを考えて生きろと言われてきたから、必要とされる事は嬉しい筈なのに。
こんなの。ちっとも嬉しくない………。
僕という存在を、この魔界に引き留めるために施された優しさ。そしてプルソンが言っていた、魔王様の『懐柔』。
ーーだから、魔王様も優しかったんですね……。
魔王様は、やっぱり『王』なんだ。魔界を治める上で必要な手を打ったに過ぎない。
プルソンはわざわざ忠告までしてくれたのに。……信頼しすぎるなって。
でも、信じる心なんてすっかり枯れ果てたと思っていたから、ちょっと油断しちゃったな。信じたつもりはなかったけれど、僕は魔王様が………。
「ーーーーそれは関係ない」
思いに沈み俯いた僕の頭の上から魔王様の声が落ちてきた。ぱっと見上げると、魔王様は眉を顰めて如何にも「心外だ」と言わんばかりの表情になっていた。
「俺達魔族は豊富な魔力を持っている。そんな余波くらい自力でどうとでもできるんだ」
僕の胸元でクロスさせていた腕の片方を持ち上げて、親指の腹ですりっと頬を撫でてくる。
「敢えてオマエに説明したのは、どこの誰とも分からんヤツに聞かされるより、俺が伝えた方がいいと判断したからだ」
本当に?
対価が必要な優しさじゃないの?
魔王様の言葉を信じたいけど、信じるのは怖い。
信じて、それが裏切られた時の哀しみを、もう二度と味わいたくないもの……。
五歳のあの日。あの神殿で。
大好きだった両親に見捨てられた、あの瞬間。
あの時に感じた哀しみと絶望は、今でも僕を苦しめる。
「……何を考えている?」
魔王様の低い声が、更にワントーン下がる。
少し眉間のシワを深め、目を細めて僕を見つめる魔王様。ちょっと睨んでるみたいなこの顔は、僕を心配している時の顔だ……。
「じゃあ、何で魔界の皆は僕に優しいんですか?」
金赤の瞳に促されるように口を開く。
「必ずしも必要ではなく、寧ろ人間界の厄介事を背負ってる僕に、優しくする理由はなんですか?望みがあるなら言って下さい。そうしたら僕、一生懸命……」
その時、ぽすっと口元が魔王様の掌で覆われてしまった。僕はチラリとその手に視線を流して、もう一度魔王様を見上げる。
「優しくするのに理由が必要か?」
不思議そうな声が響く。実際、魔王様は「理解できないな」って呟きながら首を傾げていた。
「魔族は自分の感情に正直だ。優しくしたいから、優しくする。愛でたいから、愛でる。愛しむ事に理由など要らん」
本当に?何の打算もなく、何の魂胆もなく?
僕の口元を覆ったままの魔王様の袖口を、思わずギュっと掴んだ。
「僕は…………僕は本当に必要ですか?手段ではなく、駒ではなく……。一人の人として、必要としてくれますか?」
親ですら切り捨てた僕をーーーーーー。
貴方は必要だと言ってくれますか?
「……………。泣くな」
滲む視界で、魔王様は珍しく困ったような笑みを浮かべていた。
「泣かないでくれ。オマエに泣かれると、俺はどうして良いか分からない」
僕の手を振り払う事なく、親指の腹で目尻を擦る。
その時漸く自分が泣いている事に気が付いた。次々に溢れる涙が頬を伝い落ちる。
「……っ。ご、めんなさい。でも僕……。僕は……」
気持ちを言葉にするのは怖い。思うだけは自由だ。だけど言葉にしてしまったら、無かった事にはできない。
自分の気持ちを曝け出して、それを否定されたら僕はもうきっと生きてはいけない気がする。
それでも、ちゃんと言葉にしたいと強く思ってしまった。
「僕は、魔王様に、僕自身を必要だと……。側にいて良いんだと言って欲しいんです……っ!」
もう、涙で魔王様の顔は見えなくなる。
ーー怖い。怖い怖い怖い…………。
ブルブルと震えてしまう自分の身体を押さえる事ができない。
言わなきゃ良かった。聞かなきゃ良かった…………っ。
何も知らなければ、僕はまだ無邪気に笑いながら魔界に居ることができたのにーーーーーーー。
ぼとぼとと落ちる涙を止める事ができなくて……。
キツく目を閉じ唇を噛み締めて、壊れる寸前の心を何とか守ろうとした。その時ーーーーーー。
温かで、柔らかくて、少し湿った感じのモノが僕の唇に触れた。何が起きたか分からなくて思わず目を開いてみると、そこには僕に口付けるドアップな魔王様の秀麗なお顔があったのだった。
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