第51話 咄嗟に呼ぶ名前は……

僕は大きく目を見開いてユオ様を凝視した。腕があるはずの右袖に膨らみはなくペタリとしていて、人波によってゆらりと揺れている。

何があったのだろう……。


「あの男が気になるのか?」


不意に声を掛けられて見上げると、大公もアステール王国の面々へと視線を送っていた。


「ラニットの魔力の残り香がプンプンする。恐らく奴の逆鱗に触れたんだろうな。それでも生きているのは、さすが聖騎士パラディンといったところか」


フンと鼻を鳴らすともう興味を無くしたのか、僕の肩を抱きフロアの中心へ誘った。それを合図にパーティーフタッフが客にドリンクを配り始める。大公もスタッフからグラスを二つ受け取り、片方を僕に手渡してきた。


僕と大公に興味のある視線を向けながらも、貴人達は誰も側に近寄ってこようとはしない。そのせいでフロアの中心に立つ僕達の周りには、ぽっかりと空間ができてしまっていた。


恐らく、魔族に対しての警戒心が強いせいだろう。だって皆さん国を背負っている方々ばかりだもの。襲われでもして命を落してしまえば下手したら国の存続にかかわってしまうし、これから起こる審判の日の余波に対応しきれなくなる。


遠巻きに僕らを眺める貴人を大公はさして気にする様子もなくチラリと見渡す。そして徐にグラスを軽く揺らし、朗々とした声で開宴の挨拶を始めた。


「この度魔界に新たな魔王が誕生した。しかも長い魔界の歴史の中で初となる人間の魔王だ。この驚くべき偉業を成し遂げた新魔王を祝し乾杯することとしよう!」


グラスを掲げ「乾杯!!」と良く通る声を張り上げる。周囲の貴人達も、内心の思惑はともかく「「「「「乾杯!!」」」」と後に続き口々に新魔王の誕生を祝い始めた。

楽団も曲の演奏を開始して、漸くパーティーらしい賑々しい雰囲気となった。人間である僕にはまだ近寄りやすいのか、雰囲気に後押しされるように数人の貴人がソロリと距離を縮めてくる。


「魔王戦を制し新魔王となった貴方の治世が長く続きますように!」

「前魔王は相当に強いお方と聞いていたが、それを制するとは素晴らしい!」

「魔族と比べ人間はどうしても力で劣る。それでも魔王戦を制したという事は、新魔王は素晴らしい頭脳の持ち主なのでしょう」


各国の王族や皇族たちが褒め称えてくる。少し前の僕だったら、きっと誰も僕の存在なんて気にも留めなかっただろう。

薄っすらと口元に笑みを浮かべ、ちょっと皮肉気にそんなことを思う。

人の流れのせいで大公との距離が開くのを気にしながら招待客の対応をしていると、突然怒鳴り声がフロアに響いた。


「新魔王なんて、そんな下劣なモノになって何がそんなに嬉しいんだ!恥を知れ!!」


フロアから一斉に音が消え、シーンと静まり返る。声の方向に目を向けると、顔を真っ赤にして怒りに肩を震わせるナットライム殿下の姿があった。

少し離れた場所で他国の貴人と話しをしていたアステール国王陛下はぎょっと目を剥き自分の息子を見ている。陛下の側に控えるユオ様は、表情を消してナットライム殿下を唯見ていた。


「…………アステール王国の王子よ。随分と聞き捨て成らないことを言うな」


僕が何と返事しても火に油を注ぐだけだと思って沈黙を守っていると、大公がこれ以上ないくらい冷たい声を出した。


「煩い!醜い魔族の分際で一国の王子に口答えするをするんじゃない!」


怒りのまま大公を怒鳴りつけると、殿下は僕を指差し口汚く罵り始めた。


「そもそもソイツは『成り損ない』なんだよ!人間界での底辺の存在が偉そうにしてんじゃねぇ!」


ザワリと周囲がざわめく。それを、知らなかった事実に衝撃を受けたとせいだと勘違いした殿下は下卑た笑いを浮かべた。


「そうさ、ソイツはこんな場に立てる身分ですらねぇんだよ!なのに魔王だ?笑わせるな!それよりキサマにはするべき事があるだろう!!」


さすがに黙って聞いているわけにもいかなくなって、僕は僅かに首を傾げてみせた。


「僕がするべき事、ですか?」


「しらばっくれるんじゃねぇよ!審判を下す者なんて、大層な肩書きの働きをしろ!」


「僕に何をしろと仰るのですか?」


「はっ!だから底辺の卑しい存在はダメなんだよ。審判の日にアステール王国の存続を願うと言うのがキサマの仕事だろう!見てみろ!」


ばっ!と勢い良く腕を広げて見せる。


「キサマの下らない行動で、各国の要人がこんな所に集う羽目になってるじゃねぇか!キサマが国の存続さえ願えば、全ては丸く納まるだろ!」


その言葉に、フロア中の貴人の視線が一斉に僕に向けられた。

彼らにしてみたら、確かに僕がアステール王国の存続さえ願えば余波を受ける事もなくなって万々歳なんだろう。


冷静にそう考えて僕は口を開こうとした。

ーーその時。


「………『審判を下す者』がその役割を果たす事はない」


今までで殿下に言いたい放題にさせていた大公が僕の背後に立ち静かに言葉を発した。


「はぁ?何故だっ」


苛つくままに大公に険しい目を向ける殿下を、流石に制そうとした時、心臓がドクン!!嫌な音を立てて軋んだ。


「え………?」


思わず胸を抑える。何かが可怪しい………。

背後に立つ大公を振り返った僕の視界に飛び込んできたのは、彼の掌の上に浮かんでいる心臓だった。


「………彼は、今日、この時を以て死ぬからだ」


優しい微笑みを浮かべて容赦なくグシャリと心臓を握り潰すのと、僕がとっさに名前を呼んだのはほぼ同時だった。


「…………っラニット!!」


意識を保てたのはそこまでだった。

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