第5話 魔族と初対面です

「くふふふ……」


ユオ様に案内された宿のベッドに転がって、ついつい抑えきれない笑いを洩らした。


連れて来られたのは中心街にある、品の良い佇まいの宿だった。場所的に貴族向けというよりは、裕福な平民向けといった印象だ。

宿のロビーには華美過ぎない花が美しく活けてあり、訪れる者を優しく出迎えてくれる。

宿のスタッフは、王宮騎士の制服に身を包むユオ様と貴族学院の制服のままの僕を不思議そうに眺めながらも、敢えて言及することなく宿泊の手続きをしてくれた。


案内された部屋は広めの一室で、大きなベッドとふかふかのソファー、食事をする時のための椅子4脚がセットされたダイニングテーブルが備え付けられていた。


「お食事はお部屋でも召し上がれますが、階下の食堂、もしくはバーラウンジでもご案内できます」


ちらりとユオ様に視線を向けて説明する。

だよね。僕だけなら絶対お酒を提供する場への案内なんてあるはずがないもの。


「部屋で頼む。食事は一人分、彼の分だけでいい」


「畏まりました。では御用の際にはテーブルにあるベルを鳴らしてくださいませ」


失礼いたします、と恭しく一礼するとスタッフは退室していく。その姿が完全に扉の向こうに消えてなくなると、ユオ様はおもむろに部屋の中心部へ移動し、片膝を床についてしゃがみ込んだ。

形の良い唇が僅かに開いて、聞きなれない言葉を紡いていく。窓も開いていないのに彼の周りの空気が揺れて、綺麗に整えられた髪を揺らした。


僕はその姿をじっと眺める。

彼とは五歳で王宮に引き取られた時からの付き合いだ。もともと聖騎士パラディンだった彼は、異例の抜擢で殿下の護衛騎士になったと聞く。

出会ったばかりの時はまだ若干の初々しさの残る騎士だった彼も、十数年が経ち今では貫禄がついた立派な騎士となっていた。陽の光に煌めく銀の髪と、深海を思わせる深く濃い青の瞳。光の加減では瑠璃色に見えるその瞳で、なにやら真剣に床を見つめている。

とうに婚期が過ぎている三十代だというのに、いまだに彼に恋心を抱く者も多いという整った顔は、やがて何かに納得できたような表情をみせた。

そして立ち上がると、部屋の端で立っていた僕にすたすたと近付いてきた。


「レイル、俺は今から王宮に戻る。君はここにいてくれ。そして頼む、絶対にこの部屋から出ないで欲しいんだ」


「そう仰るなら……。でも理由を伺っても?」


「学院で婚約破棄の宣言があったとはいえ、陛下の了承が得られるまでは殿下の婚約者の立場だ。いついかなる理由で拉致されるか分からないんだよ。君の身の安全を守るためだ」


此方を緊張した眼差しでじっと見つめるユオ様に、僕は大きく頷いて見せた。


「分かりました。ユオ様がお戻りになるまで、この部屋から出ません」


ええ、頼まれたって出ませんよ。だってさっきのスタッフの方が『食事』って言ってたからね!

宿のランク的にお肉もありそうだし、僕の期待は否が応でも高まっている。それなのに、食事を取らずに此処から離れるっている選択肢は当然なかった。


その返事に安心したのか、ユオ様は小さく息をつくと僕に一礼して王宮へと戻っていった。

ユオ様を見送ると、僕はダイブして広いベッドに豪快に飛び込んだ。


「ふふふ……、ふかふかです!空に浮かぶ真っ白な雲もこんな感じなのでしょうか」


ふんわり柔らかな羽枕に顔を埋める。王宮内の、地下室にほど近い場所にあるじめじめと湿気の多い部屋のベッドより、学生寮の固く粗末なベッドより、遥かに寝心地がいい。そして何よりいい香りがする。


「もしかしてリラックス効果でもあるのでしょうか?」


くんくんとその香りを堪能しているうちに、少し眠たくなってしまった。

学院を出てから時間はそう経っていないし、食事の時間までまだ余裕があるはず……。

そう考え少しだけ午睡を楽しむことにしたんだけど、それが大きな間違いになるとは思いもしなかった……。


★☆★☆


ぶるるるっと何だか荒い鼻息みたいな風が頬に当たる。

微睡みの淵からゆるりと意識を浮上させながら、無意識のまま片方の手で頬を擦った。瞬間、掌に太い針が貫通したような激痛が走り、思わず腕を振り払いながら飛び起きた。


「え?何?何ごとですか?」


慌てて掌を見ると、歯形がくっきり付いていて裂けた皮膚から血が流れている。唖然とその様を眺め、そして恐る恐る視線を流して辺りを見渡すと、いつの間にかベッドの横に異常に大きい真っ黒な馬が立っていた。

耳を後ろに倒し、前脚で床を掻くように蹴っている。ぶるぶると時々首を振っていて、さっき頬に感じた風の原因がこの馬だと知れた。


「えっと、貴方は一体どこから入ってきたのですか?」


答えはないと知りながら現実逃避で声をかけると、予想に反して背後から男性の声で答えが返ってきた。


「そりゃあ、夢を渡ってやってきたに決まってるサ。そいつはナイトメアだからネ!」


「ナイトメア……ですか?」


ゆっくりと振り返ると、そこに二十歳半ばくらいの男性が壁に凭れかかって立っていた。少し前髪が長くて顔の詳細は分かりにくいけど、恐ろしい程の色気を纏う人だった。漆黒の髪は艶やかで、陶器のように白く滑らかな肌には黒子一つ見当たらない。艶めかしい程に真っ赤な唇は愉悦を含んで弧を描いていた。


「悪夢を運ぶ悪魔ダヨ。君の味見をしたかったみたいだネ!」


「味見……?」


それって僕を食べようとしたってこと?首を傾げ、ん……?と訝しむ顔になる。


「僕、栄養状態が悪いから絶対美味しくないと思います」


「ぇー……、そうじゃなくてェ……。ヤだな、悪夢の味ダヨ!でも君が起きちゃったから、身体を食べることにしたみたいだネ」


クスクス笑いながら後方を指さす。ナイトメアの存在を思い出してはっと視線を向けると、今まさに僕を踏みつぶそうと前脚を高く掲げる馬の姿があった。

無駄と知りながら、思わず両腕で顔を覆う。


ーーうわっ、早速ピンチです、絶望です、絶対絶命です!まだお肉も食べれてないのに、死にたくありません!


ぎゅっと力を籠めて目を瞑っていると、突然ぱんっ!と風船が弾けるような軽い音が響いた。恐る恐る目を開けてみると、馬の姿はなく床一面に真っ赤な血液が広がっている。


ーー馬、どこに行ったのでしょう?


ベッドの上から床を見渡し、そしてベッドの下もひょいっと覗き込むが馬の姿は見当たらない。

僕はもう一度さっきの男性に目を向けて、にやにや笑う彼に首を傾げて見せた。


「もしかして助けて下さった……?」


「うふふ、だって君を連れて来いって命令受けちゃってたからネ」


「命令って、誰から?」


「今はヒミツ☆ボクね、魔族で夢魔のライラだヨ。夢の悪魔の上位種なんダ、宜しくね!」


パチンとウインクしてくるライラに、僕はふと思った。

『連れて来い』って命令を受けた?じゃ連れて行く先は魔族がいる場所?

つまりは、魔族領か魔界……?


「もしかして、馬車代が浮くのでしょうか!?節約ですよ、節約!お金が浮きます」


何て幸運!と瞳をキラキラさせて叫んでしまった。そんな僕を「は?」というような顔で見たライラは、形のいい唇をヒクリと引き攣らせて呟いた。


「ーーーーーーーーーえ、何て?」

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