第53話 死なずに済みました!

「セーレっ!キサマっ!!」


ラニットの鋭い叫び声が聞こえる。僕の肩を痛いくらいに抱き締めているその手が、彼らしくなくブルブルと震えていた。


「流石は人間。魔王といえど、随分呆気ない終わりだな……」


柔らかい声は大公のものだ。いっそ優しいくらい穏やかな声で、無慈悲な言葉を紡いでいく。


「現魔王を倒した今、私が魔王となった。せっかくだから魔王の権限を行使して、魔族を人間界に解き放ってみようか。何、人間界の王はたくさん此処にいる。腕の一本か二本奪えば、快く自国に招待してくれるだろう」


「ーー何を考えている、セーレ」


「私の考えなど一つだ、ラニット。人間共への復讐。身勝手な考えで私の愛しい人を奪い、そしてそれを意図して歴史から葬りさった愚か者どもに、魔族の恐ろしさを知らしめてやる」


「ーーキサマ……っ」


グググっと空中の魔素が急激に集められていく気配。人間界に魔素は少ないのに、これ程集めることが出来るのはラニットしか居ない。


多分今、あの静止していた場面が繰り広げられているんだ。


ーー駄目!力を此処で使ったら大公の思惑通りです!


僕は何とかラニットを止めようと自分の身体を叱咤するけど

、全く動かせなくて歯噛みする。その時、左胸の少し上、鎖骨の下辺りがジンワリと温かくなった。


ーーなに、これ……?


魔力みたいな、でも根本的に違う力が其処にある。

胸元に何かあったっけ……?

一生懸命に思考を巡らせ、はたっと思い出す。


ーーお祖母様の本!


ユオ様が赤い石へと変えてくれた、お祖母様の本がそこにあった。

昔、悲しくて泣いている時、お祖母様か背中を優しくトントンとしてくれたリズム。そのリズムの波動が全身に緩やかに伝わっていく。軈てトクン、と心臓の鼓動が再開するのを感じた。


ビクッとラニットの手が強く震える。


「まさか………………。レイル………?」


窺うような声に促されて僕は薄っすらと瞼を開けた。

目に飛び込んで来たラニットの顔は、硬く強張り信じられないとばかりに大きく目を見開いている。


いつもは精悍でカッコいい顔なのに、今こうして眺める顔は随分と不安そうだ。

僕は何とか腕を伸ばして、魔素を凝縮させているラニットの手をそっと押さえた。


「………此処で力を振るっては駄目、です」

「レイル、オマエ………生きて…………」


動揺を隠せないままラニットは集めていた力を散らし、僕の頬に恐る恐る触れてきた。ゴツゴツと硬い指が頬を滑るように撫でてくる。


「僕は生きてますよ、ラニット」


精一杯明るく微笑むと、彼は顔を歪めぐっと唇を噛み締めると、強く僕を抱き締めてきた。


「……………レイル」


囁く声が震えている。いつも素晴らしく強いラニットが、こうも僕を亡くすことを恐れていたなんて……。

凄く申し訳なくて、彼の広い背中を優しく撫で擦った。


「心配かけてごめんなさい」


小さく告げると、抱き締める腕に更に力が籠められた。






「これは驚いた…………」


さして驚いた様な感じもなく大公が呟く。


「確かに私は貴方の心臓を握り潰した筈だが……」


ウム…と首を傾げ、自分の血塗れの掌を見つめる。そして感情のない眼差しで僕を見下ろすと、不可解そうな顔をした。


「貴方は何故死なずに済んでいる?」


「…………さぁ?」


大公の視線を受けて、僕は彼の赤に変化しつつある金色の瞳をじっと見つめた。


「ただ僕は先ほど審判を下しました。それが何か関係しているかもしれませんね」


僕の言葉に反応したのは大公ではなく、遠巻きに僕らを見ている各国の王族達だった。


「審判を下した、だと!?」

「どっちだ?存続か滅亡か!?頼む、教えてくれ!」

「滅亡であれば……、余波は凄まじい事になるだろうな……」


各々これからの事を憂いてざわめいている。

アステール王国の面々は顔を強張らせ、じっとこちらを凝視していた。

その様子をジロリと睥睨した大公は、忌々しげに舌打ちをした。


「虫けら共めが……。審判が下ったのは想定外だが、今からでも人間界を滅ぼしてやろうか」


「やめておけ、セーレ。お前の力はもう使えない」


「ーー何だと?」


「忘れたのか?俺の力を。この場に俺が来た時点で、魔族領を支配下に置いた。今、ここで力を振るえるのは、俺以上の魔力の持ち主だけだ」


ラニットの冷たい目が大公をひたっと睨む。


「分かるだろう。お前には無理だと言うことが……」


その言葉に、大公は強い怒りを滲ませた目でラニットを睨みつけた。

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