第29部 ta
タクシーの運転手兼コンビニの店員に見送られて、シロップはコンビニの外に出た。さっきまで暗かったはずなのに、もうすっかり明るくなっていた。時間の流れ方が違うのかもしれない。この場合、コンビニの、なのか、シロップの、なのか、どちらだろう。
眼前に広がるやや面積の大きい駐車場の前で、彼女は手の上にあるドライバーを見つめていた。それは彼女の体内から出現したものだ。当然、ドライバーを食べた記憶はない。記憶がないだけで、自分でも知らない内に食べてしまったのだろうか。
朝の冷たい大気に溶け込むように、吐いた息が白く染まって天に昇っていく。その先を目で追うと、今日も広大な空が頭の上にあった。なぜ空なんてものがあるのだろうと考えることは屡々あるが、結論を得られたことは一度もなかった。結論を得られる類の問いではないからかもしれない。
車の移動がないかを確かめてから、駐車場を横断して歩道に出る。来たときに下った坂道を今度は上ることになった。家に帰るためには、この急な坂道の頂上に辿り着かなくてはならない。
鳥や虫の声はまったく聞こえなかった。けれど、清々しい朝。空気というよりも大気と呼ぶ方が相応しそうなそれが、身体を構成する細胞の隙間に染みるようだ。先ほど口から血を流して苦しい思いをしたというのに、今はその余韻がむしろ心地よく感じられた。これが生きているということだろうか。
手に持っているドライバーを、一度空高く投げてみる。ドライバーは中心を軸として換気扇のように回り、再びシロップの手の内に奇麗に収まった。
死にたい気持ちは、今はなかった。
もう、二度とそんな気持ちは訪れない、と信じられれば良いが、それが幻想であることを、シロップは知っている。
だから、あまり調子に乗らないように。
大きく、深呼吸をして。
正面から冷たい風が吹きつけてくる。枯れかけた木々に残っていた葉が、またも虚しく散っていく。汗が冷えて、冷たさが増した。シロップは再び軽く走って家に向かうことにする。
坂の頂上に迫ったとき、そこに誰かが立っているのが見えた。
制服を身につけた少女。
外気がこれほど冷たいというのに、半袖のワイシャツとスカートを纏っている。
少女は、明らかにシロップのことを見ていた。間違いなく目が合っている。その目に自分の目が固定されたようで、足は彼女の傍を通り過ぎようとするのに、顔だけ彼女の方を向いてしまった。
それで、躓いて、転んだ。
地面が迫る。
「大丈夫ですか?」と頭上から声。
シロップが地面に手をついて身体を起こすと、奇麗な目がすぐ傍にあった。
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