第9部 shi

 シロップは家に帰ってくる。デスクは外に置いたままにしようかと思ったが、それではデスクではなくて、帰る場所を尋ねるアスクになってしまうと思って、やめておいた。


「アンマリデス」


 と、デスクが決まり切ったことを言う。


 部屋に入るや否や、シロップはベッドに倒れ込む。暫く使っていなかったから、衝撃で埃が空気中に舞った。あまりきらきらとは光らない。舞った埃が身体に降りかかったが、彼女は気にしなかった。


「オツカレデスカ?」


 名前の通り、やはり勉強机の上に置かれたデスクが、彼女に尋ねた。


「うーん」


「サキニ、オフロニハイッテキテハ、イカガデスカ?」


「うーん……」


 俯せになって枕を両手に抱えたまま、シロップは首を大きく横に振る。顔の表面が大きく擦れたが、やはり彼女は気にしなかった。


 沈黙。


 自分が何日間家を空けていたのか、シロップには分からなかった。別に何日でも良いと思う。その間、誰かが家に入っただろうかと考えてみたが、それも、別に入られても良いように思えた。


 唐突に部屋のドアが開く。


 それは、シロップが開けたものだ。


 彼女が指を鳴らすと、たちまちベッドに脚が生えて、彼女を載せたまま、勢いよく階段を下りていった。遠くからデスクの声が聞こえる。仕舞いには、自身に搭載されたノイズキャンセルによって、彼の声は消されてしまった。


 洗面所までやって来たところで、シロップはベッドから下りる。


 服を脱いで、洗濯機の中に放り込んだ。


 電源を入れて、今の内に洗ってしまう。


 ふと、正面に目を向けると、浴室の中、対面の壁に設置された、縦に長い鏡が見えた。


 そこに自分の全身が写っている。


 透明に透けた、肌。


 その向こうに見える、骨と臓器。


 これが自分だと、彼女は思う。


 人の身体も、言葉も、予め何らかの目的を持っていて、その目的に沿うようにそういう形になっているのではないのではないか、とシロップは思った。いや、それは今思ったのではない。なんとなく、もっと前から感じていたこと。


 五本の指を、開いて、閉じて。


 そうすることで、結果的に物を握ることができる。


 そうすることで、結果的に誰かと手を繋ぐことができる。


 でも、それは、偶然の産物なのではないか?


 可能な範囲でできることが、それらだっただけではないか?


「考えたところで、分からない」


 シロップは一人呟いた。

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