第3部 ke

 結果的に、デスクは虫かごの中には入らなかった。そもそも、虫かごに入れる必要もない。だから、シロップが両手で抱えることになった。デスクは、見た目の割にあまり重くはない。これを高性能ゆえの軽量と見なすべきか、それとも、中身のない低能と見なすべきか、シロップは未だに結論を得ていない。


「アンマリナイイヨウジャアリマセンカ」


 彼女の心の内を読むことができるのか、デスクが反論する。


「どちらでもいいことじゃない?」シロップは澄ました顔で言った。「証明できないでしょうめい?」


 外出しようと決めたは良いものの、具体的にどこに向かうかは決まっていなかった。それは、シロップの行動原理に照らし合わせればもっともなことで、それが彼女のデフォルトといって良い。


 彼女はあまり家の外に出ない。出なくて良いなら、一生出ないでいたいと思っているほどだ。でも、ときどき、まるで発作のように、外の空気が恋しくなることがある。空気というのは、文字通りの意味で、様々な粒子の集合のことだ。複数の人間が作り出す、手の込んだ幻想のことではない。草や土やアスファルトの匂い、それに、街灯が零す薄い光に浸りたいと思うのだ。


 時刻はすでに夕方になっていた。いつから夕方になっていたのか、分からない。少なくとも、シロップが目を覚ましたときは、どちらかといえば、朝の空気が漂っていたように思える。時間の流れというものは、非常に気紛れだ。早く感じることもあれば、遅く感じることもある。その原因が、自分の内にあるのか、それとも外にあるのか、この点についても、シロップは未だに結論を得ていない。


「分からないことが沢山ある」歩きながら、シロップは呟いた。両腕の中に、抱きかかえられた格好で、デスクがいる。だから、あまり大きな声を出す必要はなかった。


「ソレハ、キット、コウフクナコトデショウ」


「ずっと、分からないままなのかなって思う」彼女は言った。「子どもの頃に抱えていた疑問の内、大半は、まだ解決していない」


 目の前をトカゲが横切る。一瞬だけ目が合ったが、すぐに藪の中へ消えてしまった。


 切断されてもトカゲの尻尾が動く、その化学的、物理的な理由を、シロップは知らない。


 知りたいと思っていることは確かだ。


 けれど、頭も、身体も、そうした疑問をどこかで保留してしまうようだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る