第45部 ji

 自転車に跨がり、二人は空を飛んだ。法律上は、自転車の二人乗りは違反かもしれない。けれど、空の上ではもはや関係ないだろう。人は、土の上で生活しているから色々なものに縛られるのかもしれない。上を向けば、いつでも、どこでも、そこには必ず空がある。土の上よりも遙かに広大で自由な空が。


 ペダルを漕がなくても、自転車は独りでに空の中を滑っていく。高度を増し、雲を突き抜けて、二人は作られた世界の外に出た。すぐ傍に星。眼下には雲以外何も見えない。風は思っていた以上には冷たくなかった。清々しい。口を大きく開けて息を吸い込むと、肺も、胃も、そして心も洗われるような気がした。


 袖を捲って、シロップは自分の透明の素肌を見る。


 月明かりに透かされて、向こう側の景色がクリアに見えた。


「私の方が作り物だったんだ」上を見ながらシロップは言った。「デスクの方が本物?」


「私も作り物です」デスクは答える。彼はシロップの背後にいた。「貴女に作られたのですよ」


「私に?」シロップは少し後ろを向く。


「覚えていませんか?」


「知らない」


「貴女の喉もとを通って、私は現れたのです」


 シロップは何も言わずに前を向く。


 ずっと忘れていたことを思い出した、ような気がした。本当のところは分からなかった。デスクにそう言われると、なんとなくそうだと思ってしまう。それだけ彼を信じているということだろうか。自分自身のことは信じられないというのに……。


 涙が頬を伝う。


 流れる空気に押しやられて、水滴はすぐに過去のものとなった。


「友達が欲しかったのですか?」背後からデスクの声がした。


「友達ではないと思う」シロップは首を振る。「先生みたいな、少し年上の大人が欲しかったのかもしれない」


「先生のことも、大人のことも、嫌いでしょう?」


「うん」


「でも、好きなのですね?」


「たぶん」


「子ども扱いされたいからですか?」


「そんな気もする」


 雲海は遙か彼方まで続いている。どこまで移動したのか、もう分からない。地球を一回りしただろうか。自分で戻ろうとしない限り、戻れないかもしれない。しかし、もう少しこのままここにいたいとシロップは願った。


 瞬きを一度。


 その一瞬の内に、背は伸び、腕も伸び、脚も伸び、髪も伸びて、シロップはもとの姿に戻った。


 もう、子どもではなかった。


 でも、子どもでいたい。


 背後から腕。


 自分の胴体を抱き締めてくれる。


 その腕も消え、抱き締める圧力もなくなり、振り返ると、四角い箱が静かにこちらを見ているばかりだった。

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