第40部 ta

 タキシード姿のデスクと手を繋いで、シロップは夜道を歩いた。そんなふうに誰かと手を繋いで歩くのが、彼女は好きだった。デスクはずっと箱形だったから、それができなかったのだ。彼が人の形に変化した理由は分からない。あるいは、頭だけデスクで、身体は別の誰かなのだろうか。


 道の左右に点々と街灯が立っている。白い光にも、黄色い光にも、赤い光にも見えた。見る角度、見るタイミング、見るときの心理状態によって、どう見えるかが変わるようだ。でも、光なんてもともとそんなものだろう。非常に主観的なものだ。波形によって色を定位することはできても、実際に感じる色そのものを定位することはできない。


「どこに行くの?」シロップは尋ねた。


「どこへでも」デスクは答える。彼の発音はやはり流暢だった。「どこがいいですか?」


「昔行ってた学校」


「学校に通われていたのですか?」


「そんな気がする」


 車は一台も走っていない。それどころか、人っ子一人いなかった。デスクは人ではないし、自分も違うかもしれない。


「私、何のために生きてきたのかな」シロップは呟く。


「そもそも生きていなかったのでは?」


「そうか」


「そうです」


「死ねないもんね」


「それを確かめる術はありません」


「あるよ。普通なら死ぬような大怪我を負ったことがあるし。ルンルンにやられた」


「しかし、それ以上やれば、死んでいたかもしれません」


「そうかもしれない」


「可能性は、いつでも留保しておくべきです」


「私、人間?」


「人間であることに拘る意味はありますか? 貴女は貴女なのでは?」


「形が人間のそれっぽいから、どうしても気にしてしまうのです」


「そうですか」


「そうです」


 坂道を上って、学校へと続く道を進む。頭の上に古びた歩道橋。信号機が付随している。しかし、回路が壊れかかっているのか、点灯と消灯を不規則に繰り返していた。三色の電灯がすべて同時に灯っている。


「子どもの頃はよかったな」シロップは言った。「生きているのが楽しかった」


「今も子どもでは?」


「見た目はね」


「心は、今も、昔も、変わらないのでは?」


「そうか……。では、何が変わったんだろう。感覚かな?」


「距離は確実に変わりました」


「距離? 何からの?」


「過去の任意の時点からの」


「距離が変わると見え方が変わるってこと?」


「そんな感じです」


「その距離のことを何て呼ぶの?」


「呼び方は特に決まっていません」


「夢、あるいは、理想?」


「かつては、貴女が今いるその位置をそのように呼んでいたのでは?」


「本当にこの位置だったかな」


「少なくとも、方向は合っているでしょう」


 昔は上るのが大変に思えた坂道も、今はさほど大変には感じなかった。デスクに手を引いてもらっているからだろうか。手を引かれれば、こちらも引き返すことになる。そこに張力が生じることが、むしろ大切だろう。

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