38 思いの距離
須賀は体育館の外に立っていた。
「須賀さん!」
扉を開けた高森が須賀に駆け寄る。両手でTシャツの裾を握りしめて、深く息を吸い込んだ。
「あの、山中さんは本当に頑張っていました。毎日遅くまで残って描いていて。私、一度だけ放課後の教室で山中さんとお話ししたんです。美和子の期待に応えられるような絵を描きたいって、山中さんは仰っていました」
須賀の肩がぴくりと動いた。
「お互いにやりたいことがあって、大学は別々になってしまうから、今の時間を大事にしたいって。美和子は私と違っていつも堂々として、私が困っていたら助けてくれて、本当にかっこよくて憧れなんだって。だから、山中さんはいえなかったんだと思います。須賀さんが自分のことを本当に心配してくれているのがわかっていたから、違うといい出せなかったんです。須賀さんの優しさを断ることができなかったんですよ」
須賀がゆっくりと振り向いた。ちらりと高森を睨みため息をつく。
「だから何よ。アンタに関係ないでしょ」
「関係はないんですけど、あの、クラスメイト……ですので」
だんだんと声が小さくなる高森に、バツが悪そうな顔で須賀が舌打ちをする。
「アンタが心配しなくても、それくらいわかってるわよ。友達なんだから」
須賀が拗ねた顔で唇を噛んだ。
「友達だからムカつくんでしょ。ちゃんといってくれればいいのに。そんなことで怒ったりしないわよ」
それはどうだろう。須賀のことはよく知らないが、わりと短気に見えるけど。
けれど今の表情を見ると、怒った後で許してもくれそうだ。「仕方ないわね」とかいいながら。
須賀が高森に向き直った。
「アンタ、病弱なんじゃなかったの? なんで放課後に居残ってんのよ」
「え、あの、それは」
高森が視線を彷徨わせる。一度深呼吸をして、両手を握りしめた。
「実は私、教室が苦手で。人が多いところとか落ち着かなくて、その場にいられなくなってしまうんです。無理をすると具合が悪くなるので、怖くてすぐに逃げ出してしまって。なので病弱というわけではなくて。あの、信じてもらえないかもしれないんですが……」
高森の言葉に、須賀は「ああ、そういうこと」と返した。
「パニック症みたいなヤツでしょ。うちの叔父もおんなじ病気だから知ってるわ。去年、私のお姉ちゃんの結婚式に、飛行機に乗れないからって来なかった。うちの両親、二人ともキレちゃってさ。絶縁とかなんとか騒いでたけど、馬鹿みたいよね、病気だっつってんじゃんって話。体質や体調はどうにもなんない時もあるのにさ」
つまらなさそうな顔で高森を見る。
「それならそうと早くいいなさいよ。知っていれば手伝えることもあるでしょ」
「あ、はい。そうですね。すみません」
高森が何度も瞬きをした。呆気に取られたような顔をしている。
「それじゃ、私、沙織のところに戻るわ。アンタも表彰式くらいは出なさいよ。クラスの列に並べなくても、後ろの扉の近くなら立ってられるでしょ」
そういい残すと、須賀は体育館の扉をくぐって中へ戻っていく。
高森が長い息をはいた。両手で頬をおさえてぽつりと呟く。
「信じて、もらえました」
そのまま俺を見上げて繰り返す。
「矢口さん、信じてもらえました」
あまりにきょとんとした顔に思わず苦笑する。
「そうだね。結構あっさりだったね」
「はい」
高森が静かに呟いた。
「私、もしかしたらまわりを信じていなかったのかもしれません。どうせ理解されないとはじめから諦めていたのかも。それは、とても失礼です」
振り返った高森がこぼすように笑った。
「思いを伝えたいなら、伝えられる距離にいなくてはいけないですね」
そしてぺこりと頭を下げる。
「矢口さん、ありがとうございました。私、もう一度須賀さんたちと話をしてきます」
駆け出していく高森の後ろ姿を見ながら軽くため息をつく。
距離感というのは難しい。近付き過ぎても遠く離れても、伝わらないことはあるし傷付け合うこともある。一定の距離を保っているつもりでも、いつの間にか近付き過ぎているということもあるだろう。
とりとめなく考え込んでいた俺の背中を叩く手があった。振り返ると高谷が手を振っている。
「俺たちもそろそろ移動しようぜ」
「表彰式の前に、まずは午後のパフォーマンスだしな」
航一が大きくあくびをした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます