36 匆匆の日に
「とにかく、高森さんには責任とってもらわないと。せっかく大賞をとるはずだったクラスの応援旗に酷いことしたんだから」
須賀が高森に詰め寄る。
「保健室にしかいないアンタにはわかんないかもしれないけど、あれはクラスの思い出がつまった大事な応援旗なの。応援団はあの旗を背負ってクラスの応援してんだから。クラス全員の前できっちり謝罪するまで許さない」
須賀の迫力に高森だけでなく山中も身を縮めている。
可哀想だが、ここは仕方ない。
「高森さんが謝罪する必要はない」
俺の言葉に女子が全員鋭い視線を向けてきた。かなり怖い。
「謝罪の必要がないってどういうことよ」
須賀の声がさっきよりも低くなっている。そうとうお怒りだ。
「言葉の通りだよ。高森さんは応援旗を切り裂いた犯人じゃない。この高さに吊り下げられた応援旗をこんなにきれいに真ん中から切り裂くには、高森さんの身長じゃ足りないよ。それに、そもそもあれはクラスの思い出がつまった応援旗じゃない」
山中の肩がびくりと跳ねた。
「は? なにそれ」
凄む須賀の前を通り過ぎ、切り裂かれて垂れ下がった応援旗を手に取る。
「制作の途中で、一度はじめから描き直したといったろ。これは多分、その描き直す前のものだ。その証拠に他のクラスの旗と比べてもすごくきれいな色をしている。グラウンドの土埃をかぶっていないからだ」
須賀が応援旗を手に取った。状態を確かめ、鼻を鳴らす。
「だから何よ。誰かが展示の前に汚れを落としたんじゃないの」
須賀の言葉には応えず、山中に向き直る。できるだけ非難の色が混じらないように慎重に語りかけた。
「山中さんだよね、応援旗を入れ替えたのは」
全員の視線が山中に集まる。山中は唇を噛み締め俯いたまま答えない。
「なに、沙織のせいにしようっての?」
須賀が激昂した。応援旗を勢いよく指差す。
「これは沙織が作ったのよ。この旗に一番思い入れのある沙織が、なんだって失敗作と取り替えたりするのよ。表彰式でわざわざ偽物を飾ったりなんかするわけないじゃない」
高森がぱっと顔を上げた。何かをいおうと口をぱくぱくと動かしていたが、山中を見て悲しそうな顔で押し黙った。
「違うよ。これは失敗作でも偽物でもない。これが本物なんだ」
「なにそれ、意味がわからない」
須賀が不機嫌に吐き捨てた。
「須賀さん、この鳥がなにかわかる?」
突然の質問に須賀が戸惑いの表情を見せた。
「なによ。鳥は鳥でしょ」
「確かにそうなんだけどね。これはカラスだ」
ああ、と声を上げて鈴川が手を叩いた。
「なるほど、
その言葉に、小さく頷き返す。
「それでこっちが本物ってわけか」
納得したように何度も頷く鈴川を横目に、須賀は俺を睨みつけた。
「どういうことよ。鳥がカラスならなんだっていうの?」
「一度描き直した理由を、須賀さんは鳥の足にミスがあったからだといった。そのミスっていうのは、足が三本あったことを指しているんじゃないかな」
須賀がちらりと山中に視線を送る。
「ええ、そうよ。鳥の足を間違えて三本描いてしまっていたの。白塗りで修正しようにも他の部分の色と重なってどうしてもきれいにならないようだったから、諦めてはじめから描いた方がいいって私がいったのよ。絵はほとんど完成していたから、沙織もすごく悔しがっていたわ。でも、ちゃんと描き直して今日に間に合わせてくれた。それがなんだっていうのよ」
切り裂かれた応援旗を広げる。もう片方を高谷が広げ、裂かれた真ん中を合わせると大きな赤いカラスの美しい絵が現れた。
「切り裂かれてしまって気付かなかったみたいだけど、このカラスには足が三本ある」
須賀が息を呑んだ。他の女子が山中に詰め寄る。
「どういうことよ、沙織。あれは捨てたんじゃないの?」
「捨てられるわけないって」
広げた絵を見上げながら、高谷が感心したように呟く。
「こんなに丁寧に描いた絵を、捨てられるわけないよ」
山中が顔を上げた。広げられた応援旗を見上げる目に涙が浮かぶ。
「山中さん」
俺の呼びかけに山中が静かに振り向いた。
「体育祭で使った応援旗と、描き直す前の応援旗を入れ替えたのは山中さんだよね」
山中がゆっくりと頷く。
「沙織、アンタ!」
「なにやってんのよ!」
「寺島さん、井上さん、待ってください!」
山中に詰め寄る女子を高森が制する。
「理由があるんです。山中さんの話を聞いてください」
山中は口を固く結んで俯いている。
「どういうことよ、沙織。説明して」
須賀が訊ねても山中は口を開こうとはしなかった。ため息をついた須賀がこちらを振り返る。
「アンタは知ってるの? 理由ってやつ」
「全部じゃないけど、なんとなく。少なくとも山中さんが応援旗を入れ替えた理由は見当がつく」
「聞かせて」
須賀が暗い声で頼んだ。
俺を見て心配そうに頷いた高森に苦笑を返す。
人の心配ばかりするなよ、お人好しめ。
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