9 教卓の影
廊下に足音が響く。陽は既に落ち、西棟やグラウンドの照明も東棟五階までは届かない。揺れる懐中電灯の光を頼りに一つずつ教室を回っていく。
「ねえ、電気つけていいかな」
俺の提案に松岡が信じられないという顔をした。
「いいわけないだろ。心霊調査だぞ」
「そうだけど、暗くて見えにくいし、なんか不気味だし」
「ばっかやろう。それがいいんじゃねぇか。この雰囲気を味わえない奴に日本の侘び寂びを語る資格はない」
「侘び寂び関係ないやん」
平山が律儀につっこみを入れる。
確かに、暗いままの方が隠れるのには都合がいいか。
三年の教室を終えて特選科の教室へ向かう。
平山が懐中電灯をロッカーに向けた。
カラーボックス一段分ほどの個人ロッカーが廊下の壁際に並んでいる。私物や貴重品をしまうためのロッカーには、それぞれの扉に小さな鍵が付いていた。
「ホラーゲームだとロッカーとかに隠れるんだけどな」
平山の呟きに松岡が呆れた顔をする。
「それはプレイヤーだろ。第一、うちの学校のロッカーじゃ小学生も入れない」
確かにこの小さな場所から人が出てきたらむしろホラーだ。いや、お化けなんだから容積とか関係ないのか。テレビ画面とか壁のシミとか、カツラとかから現れるくらいだし。
「そういやさ」
平山が話を続ける。沈黙が怖いのか、もしかしたら心霊調査に飽きてきたのかもしれない。
「この前ケータイのメールで〈個人ロッカー〉って打とうとしたら、間違えて〈魯迅ロッカー〉って打っちゃったんだよね」
松岡が吹き出した。
「おいやめろ、めっちゃヘドバンきめてる魯迅を想像したじゃねぇか」
豪快に頭を振りながら『阿Q正伝』と『狂人日記』を書く魯迅。高谷が聞いたら腹を抱えて笑いそうだ。
雑談と笑いに空気が緩む。心霊調査もそろそろお開きだろう。
「それじゃ、残りをさっさと回って帰るかね」
ひとしきり笑い終えた松岡が大きく伸びをした。平山が頷いて賛成の意を示す。
二年八組のドアを開ける。二本の光が教室を照らした。静まり返った室内に人影はない。
ドアを閉める直前、平山の懐中電灯の光が掃除用具入れをとらえた。
「こっから出てくるのも学園ホラーあるあるだよな」と平山が呟く。
心臓が跳ねた。
「平山くん、あのさ」
俺が話しかけるのと平山が掃除用具入れを開けるのは同時だった。平山の目がさっと動いて中を確認すると、すぐにこちらを振り向く。
「どした矢口。なんか見つけた?」
掃除用具入れには誰もいなかった。
気付かれないように小さく息をはく。身体から気が抜けていくのがわかった。
そうだよな。いくらなんでも毎日かくれんぼってわけじゃないだろう。四階で聞いた足音も気のせいだったに違いない。
不思議そうに首を傾げている平山に苦笑を返す。なんだか一人で空回りをしていたようだ。高校生にもなって一人でかくれんぼをしているところを見られるなんて、結構恥ずかしいんじゃないかと思ったが、無用な気遣いだったみたいだ。
「うん、なんでもない。気のせいだった」
「おーい、次行くぞー」
廊下から松岡の声が響く。
「あいあーい」
元気よく返事をする平山に続いて教室を出ようとした時、黒板の方からがたんと物音がした。見ると黒板消しが落ちている。
拾って戻しておこうとしゃがんだ時、教卓の下にいた人物と目があった。喉奥まで飛び出した叫び声をぎりぎりで呑み込む。
教卓の下にいたのは高森だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます