23 続・盗難未遂事件あるいは不在の証明
「はじめから説明するわ」と笹山はいった。
「事件が発覚したのは今日の5時間目。津田先生の数学の時間だった。授業が始まって10分くらいしてから、女子の一人がチケットがないって騒ぎ出したの」
「チケット?」
「そう。なんでも人気アイドルのライブチケットらしいんだけど、それを数学のノートに挟んでいたそうなのね。ノートを開いたらチケットがないので驚いたみたい。そのうち他の子たちも自分の物もなくなってるっていい出して、教室が大騒ぎになった。
そんな中で津田先生は『静粛に、授業を続けます』といって板書を進めたわ。ある生徒が『クラスに泥棒が入ったのに授業どころではありません』と訴えると、津田先生は『今騒いでいれば君たちの私物は返ってくるんですか』と仰った」
ツダセンらしい。
「それで、授業終了後にチョークを黒板に置くと、津田先生は『本日6時間目の政治経済は早水先生がお休みのため、ホームルームに変更となりました。私物紛失の件は担任の神谷先生に引き継ぎます』といって、さっさと教室を出ていかれたの」
ツダセンらし過ぎる。中身はロボットという噂は本当かもしれない。
「津田先生が出ていって、今度こそ教室は大騒ぎになった。泣き出す子もいたわ。財布とか携帯電話とかの貴重品は、ポケットに入れたりロッカーにしまったりしてた子がほとんどだから無事だったんだけど、机の引き出しや鞄に入ってた物が狙われたみたい。それも限定版のCDとかシリアルナンバー入りのファンクラブ会員証とか、手に入れるのが難しいものばかり。
そうしているうちに、次の6時間目のホームルームに神谷先生が来て、クラス全員席に着いた。
クラスの一人が犯人探しをするべきだといい出して、教室が騒然とした。
今日は空手部が遠征で授業の途中に抜けていたから、空手部員が怪しいということになったの」
「待て、授業の途中で抜けることの何が怪しいんだ? その場にいないんだから、むしろ疑われるべきじゃないだろ」
ああという顔で笹山が頷いた。
「抜けたタイミングが問題なのよ」
笹山は紙を取り出すと、手にしていたペンで今日の時間割を書いた。
1時間目から、家庭総合、家庭総合、英語Ⅱ、体育、数学Ⅱ、ホームルームの順に並んでいる。
笹山がペン先で時間割を指し示した。
「1と2は家庭総合で被服室、英語は8組の教室、4時間目の体育は女子が体育館で男子はグラウンド、昼休みをはさんで、5時間目の数Ⅱは8組教室」
1と2と4に丸をつける。
「つまり今日は時間割の都合上、教室に誰もいない時間が3時間あった。盗難にあった私物は朝には持ち主の元にあったらしいから、盗まれたのはこの3時間のうちのどこかだったと考えられる」
「なるほど。空手部員が授業を抜けたのは、その3時間のどれかなわけだ」
「そう。4時間目の体育の途中にね」
笹山が頷く。
「一部の子がヒートアップしちゃって、その空手部員を遠征先から呼び出して事情を聞くべきだと訴えていた時に、教室のドアを開けて高森さんが入ってきたの。
顔色が悪くてすごい汗だったから、多分、具合はあまりよくなかったんでしょうね」
その時の高森の緊張を思う。
クラスメイトのほぼ全員が集まっている教室に入るのは、かなりの恐怖だったろうに。
「教室に入ってくると、高森さんは小さな声で『私の荷物に紛れていたんですが、これはどなたの物ですか?』って聞いたの。差し出された荷物を開けると盗まれた私物が入っていた。
ある生徒が『高森さんが盗ったの?』と訊ねたわ。高森さんは首を振って、何もいわずに教室を出て行った」
今日あった出来事はここまでよと笹山は手のひらを上にして肩をすくめて見せた。
少し気になることがある。
「高森さんの鞄は、午前中は教室に置いてあったのか?」
笹山が首を傾げる。
「教室じゃないわ。基本的に保健室通いなんだし、保健室にあったんじゃない?」
「それなら、どうやって高森さんは鞄に盗んだものを入れたんだ。わざわざ保健室から持ってきたのか?」
ああと笹山が頷く。
「盗難品が入っていたのは高森さんの鞄じゃないわ。浴衣の袋よ」
ゆかたのふくろ?
「すまん。もう少しわかりやすく話してくれ」
「ごめんごめん、ちょっと待って」
そういえば特進科とは課題がちょっとズレてるのよねといって、笹山が咳払いをする。
「先月の家庭総合の課題で8組は浴衣を製作したの。先週が提出期限で、今日はその返却日だったのよ。1、2時間目の家庭総合で返されて、一人ひとり講評されたわ。野間先生の話が長くてみんなうんざりしてた。しかも今日はエアコンが壊れていて被服室はものすごく暑かったの。窓もドアも全開にしていたけど、それでも結構つらかったわね。被服室って西棟の渡り廊下の正面にあるけど、風通しはあまりよくないみたい。空気が溜まっちゃう場所なのかしら。さすがに今日は高森さんがちょっと羨ましかったわ。保健室はエアコンがきいてるもの。
その高森さんはいつも通り保健室だったから、返却された浴衣は私が袋ごと預かった。学級委員だし教室の席が隣なの。教室に戻った時に一度高森さんの机に置いて、昼休みには保健室に届けたわ。新聞部の活動で印刷室に行かなきゃいけなかったから。印刷室と保健室は同じ東棟1階だし、場所も近いしね」
話は以上よと笹山はイスの背にもたれる。
「高森さんが犯人だと思っている子はクラスに何人かいるわ。目立つためにやったんだろうって。実際、今日の件でクラス中の注目の的になった。普段の保健室登校も仮病じゃないかって噂だし。体育の授業で走ったりしているところを見ると、病弱って話を信じられないのもわかるわ」
「笹山さんも、高森さんが嘘つきだと思うか?」
笹山は少し考えるそぶりをした。
「わからないわね。私、高森さんと親しくないもの。信じる根拠もないし、だからといって疑う理由もない」
笹山の答えに「そうか」と返す。
確かに笹山のいう通りだ。けれど「信じる根拠はない」とはっきりいわれてしまうと、やはり傷付く。
高森はいつもこうやって傷付いてきたのだろうか。
「つまり、高森さんは今日の体育には参加しなかったんだな」
俺の問いに笹山は首を傾げた。
「高森さんなら、はじめから参加してたわよ」
「それなら、途中で保健室に戻ったのか?」
「いいえ? 最後までいたけど。むしろみんなより遅く更衣室に入ったんじゃないかしら」
どういうことだ?
「それじゃ、どうやって高森さんが教室に盗みに入ったことになっているんだ?」
「どういうこと矢口くん、話が読めないんだけど」
笹山が戸惑いの表情を浮かべる。
話がかみ合っていない。
「さっき笹山さんは、教室に盗みに入る機会は家庭総合の2時間と体育しかなかったといったろ」
「ええ、そうね」
「そして高森さんは体育に参加していて、その時間は体育館にいた」
「その通りよ」
「それなら今日、高森さんが2年8組の教室へ盗みに入るのは無理だ」
高森は犯人じゃない。
笹山が時間割をペンで示す。コツコツとペン先が机にあたる音が響いた。
「確かに4時間目の体育の時間は無理ね。でも1と2の家庭総合の時間なら、8組は全員被服室にいたわ。浴衣袋の問題も、保健室に届けられた後で盗難品を袋に移し替えればいいだけだし」
確かに、普段ならクラスの誰もいない授業時間中に教室へ盗みに入ることはできる。けれど、今日は物理的に不可能だった。
「保健室は東棟1階、2年8組は5階。当然、保健室から2年8組までは階段を使わないといけない。けれど、今日は階段が使えなかったはずだ」
笹山が首を振る。わかっているというように両手を広げてみせた。
「確かに、今日は工事があって朝から西階段は封鎖されてた。でも、東階段は使えたはずだわ。上の階への行き来は可能よ」
笹山をちらりと見る。
「笹山さん、もしかして普段あまり東階段を使わない?」
「……ええ、西階段の方が昇降口には近いし」
笹山が怪訝そうな顔で身をひいた。
「今日は火曜だ」
笹山が瞬きをする。だからなんだという顔をしていた。
机から「烏山新報」を取り上げ、記事を指す。昨日、7月14日月曜の日付がある記事。
もう一度繰り返す。
「今日は火曜だ。つまりは烏山の名物授業、階段スケッチがあった。この写真にもあるように、今日は東側の階段はイーゼルが並べられていて、1年生が朝からずっとスケッチをしていた。その階段を通って1階から5階に上がるのは難しい。無理に通ったとしたら高森さんのことを覚えている1年がいるはずだ」
これから盗みに入ろうとする人物がそんな目立つことをするはずがない。
はっとした顔で笹山が記事を見た。さっと目を通して何度か頷く。
そもそも、いつパニックの発作が起きるかわからない高森が、人が大勢集まっている場所に近付くとは思えない。
笹山がこちらを向いた。
「そうね。確かに今日は、授業中に東棟の1階から5階へ移動するのは難しいわ」
人差し指を右頬にあてる。少し考えて、指先を俺に向けた。
「でも、移動は何も東棟の中だけしかできないわけじゃない。現に私は、今日の体育の時に西棟の階段から1階まで降りたわ。東棟と西棟をつなぐ渡り廊下を使ってね。渡り廊下があるのは4階。つまり、1階の保健室を出て西棟へ行き、そこから階段を使って4階まで上る。渡り廊下を通って東棟へ入れば、東棟の5階は目の前。通行止めになっている東棟の階段を使わずに2年8組の教室へ移動することは可能よ」
笹山がメモの端に簡略化した校内図を描きながら説明する。
確かに、かなり遠回りになるがそのルートなら保健室から2年8組までの移動は可能だ。
机のペンを取る。
「そうだね、その方法なら移動できる。4時間目の体育の時間だったら」
「どういうこと?」
笹山の校内図にペンで描き加える。
西棟側の渡り廊下の正面。被服室。
「自分でいってたろ、今日は被服室のエアコンが壊れて暑かったって」
笹山がはっとした顔で口元に手をあてた。
「渡り廊下正面の被服室は窓もドアも全開だった。1、2時間目の家庭総合の時間、8組の生徒に見つからずに、渡り廊下を通って東棟に入るのは不可能だよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます