29 傷痕

 村沢は普通の奴だった。

 適度に真面目で時々ふざける。風邪で休んだクラスメイトにプリントを届けたり、うっかり掃除当番を忘れて帰ったりする。ごく普通の、いいクラスメイトの一人だった。

 村沢に対するクラスの視線が捻れた理由を俺は知らない。何かがきっかけだったとは思うが、いつどこで決定的なスイッチが押されたのか、もしかしたらクラスの誰も知らなかったのかもしれない。

 中学三年の夏休みが明けた頃、気付けば村沢に対するいじめははじまっていた。日を追うごとに過激になるいじめを受けても村沢は笑顔だった。毎朝笑って教室に入ってきた。

 俺は、そんな村沢を助けなければいけないと思った。誰かがそばにいて支えてやらないといけない。誰かが、村沢をいじめから助けてやらないといけない。

 できるだけ村沢の近くにいるようにした。休み時間は必ず声をかけて、班を決める時は村沢を自分の班に引き入れた。いじめは悪で、自分がしていることは間違いなく正義だと疑いもしなかった。

 秋になって、修学旅行の時期が近づいてきた頃、放課後の教室で俺は村沢に声をかけた。

「村沢くん、今度の修学旅行の自由行動さ、一緒にまわらない?」

「いいよ、矢口は他のやつと行きなよ。俺は好きにするから」

 教科書を鞄にしまいながら村沢が応える。鞄の外ポケットには切り裂かれたあとがあり、教科書は学校から借りたものだった。

「なんでだよ、一緒に行こうよ」

「いいって、俺なんかより仲良いやつと行きなよ」

「俺なんかって何だよ。村沢くんと一緒の方が楽しいって」

 村沢が渇いた笑いをもらす。

「そんなわけないだろ」

「あるって。それにさ」

 頑なに断ろうとする村沢に笑いかける。まるで卑屈に視線をそらす弱い人々へと、笑顔で手を差し伸べるヒーローのように。

「一人でまわったってつまらないだろ」

 村沢が立ち上がった。

「俺との方が楽しいって、本気でいってんのかよ」

 鞄を支える手が小さく震えている。

「俺は矢口がいなきゃ一人でなんもできないってのか。お守りが付かなきゃ自由行動すらできねえのかよ」

「そうじゃないだろ、俺はただ」

 村沢が教科書を床に叩きつけた。

「お前、自分が気持ちいいだけだろ」

 いつもより低い村沢の声に、平手打ちをくらったような衝撃が走る。

「俺を気遣ってるフリをして、結局は自分のためなんだろ。無自覚な奴が一番タチが悪い。どんな想像力でしゃべってんだよ。なんでも知ったような気になりやがって。お前みたいな奴が平気で他人を傷付けるんだ」

 俺を睨みつけた村沢の目には涙があった。これまでどんないじめを受けても、口元を歪ませながら笑うだけで泣くことはなかった。

「自分が正しいって目でこっちを見て、気持ちいいかよ」

「違うよ村沢くん、俺は」

 俺は、なんだ?

 村沢を助けたい?

 本当に?

 俺はただ、身を挺していじめから村沢を助けるヒーローを演じたかっただけじゃないのか?

 羞恥に顔が熱くなった。沸騰しそうなほどの熱が全身を駆け巡る。

 教室から走り去った村沢を追いかけることはできなかった。

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