50 鍵の行方
中間試験最終日。
ホームルームが終わったと同時に席を立つ。試験のために長らく活動禁止となっていた部活動も今日から再開となり、校内は活気にあふれていた。
まっすぐに三年八組の教室へ向かう。廊下に立つ俺に気付いた鈴川がすぐに顔を出した。
「早いね、やぐっちゃん。そんなに俺に会いたかった?」
「はい。とっても会いたかったです」
面倒なので適当に頷く。
「いや、棒読みかい。もちょっと感情込めなさいよ」
アホなやり取りをしている俺と鈴川の横に、塚田と高坂が集まってくる。鈴川が二人に笑いかけた。
「さっきも話したけど、今日はやぐっちゃんと現場検証へいってくる。生徒総会の準備は済んでるし、他に急ぎの案件もないから、今日の生徒会は活動なしで構わないよ。明日また生徒会室に集合って、杉ちゃんにも伝えといてくれる?」
高坂が頷く。
「何か手伝うことは?」
「ないない。当日の野崎女史の動きを確認して、印刷室を調べるだけだから。すぐ終わるだろうし、先に帰ってな」
わかりましたと返事をして高坂が立ち去る。相変わらずクールだ。
「俺は空手部の練習があるから先にいく。部室に顔を出したら、一度生徒会室に寄るからな」
「真面目だな。休みでいいのに」
苦笑する鈴川を塚田がぎろりと睨む。
「お前が不真面目すぎんだよ。総会の資料を取りにいくだけだ。じゃあな」
そういうと塚田は足早に教室を後にした。
両手を腰に当てた鈴川が俺を見てにやりと笑う。
「そんじゃ、探偵ごっこといきますか」
歩き出した鈴川の横に並ぶ。
「先輩、頼みは聞いてくれましたか?」
「もちろんですよ。可愛い後輩のお願いだからね。でも何だってわざわざ。そんな急ぐ必要あるか?」
「説明は後で。いきましょう」
足を進める俺に鈴川が「はいはい」と頷く。
自分の頬が強張っているのを感じて、深く息を吸った。
鈴川について西棟三階へ向かう。
廊下を進むと突き当たりの部屋の前に塚田の姿があった。部屋のプレートには〈生徒会〉の文字が見える。
鈴川が片手を上げた。
「どうした。部室へいくんじゃなかったのか?」
「途中で山下に会ってな。鍵と練習メニューは預けてきた」
壁に寄りかかっていた身体を起こして塚田が答える。少し息が乱れ、心なしか顔も赤い。
「また筋トレか?」
「筋トレと走り込み十五キロ。今年の一年は体力がない」
「鬼主将だな」
鈴川が笑う。塚田もぎこちなく笑顔を浮かべた。落ち着きがなく、不自然に視線を彷徨わせている。
「ところで、もう印刷室には行ったのか?」
唐突に塚田が訊ねた。鈴川が持っていた鍵を指先で回しながら答える。
「いや、これから。まずは荷物を置いてからと思ってね」
鍵を放り投げ、空中でキャッチする。
「それに、現場検証は正しく行うべきだ。試験問題紛失事件の再現をするなら、まずは生徒会室からだろ」
口を大きく開けて鈴川が笑う。探偵ごっこが余程楽しいのだろう。一応つっこんでおく。
「正確に再現するなら、スタートは社会科準備室じゃないですか? 野崎先生はそこで試験を作成していますよね」
「君は細かいね、矢口くん」
鈴川が口を尖らせて振り向いた。可愛くない。
「ほら、ふざけてないでさっさとしろ。悪いが俺も暇じゃないんでね。鈴川、鍵くれ」
塚田が右手をひらひらさせた。「ほい」と鈴川が鍵を投げる。
「そっちも寄越せ」
塚田は右手で生徒会室の鍵を開ける仕草をしながら、左手を差し出した。鈴川が「へいへーい」と返事をしながら鍵を渡す。
塚田が鍵を受け取る直前、俺は鈴川の腕を引いた。
鈴川が驚いた顔でこちらを見る。
「どうした、やぐっちゃん」
「塚田先輩、鍵を開けてください」
鈴川を無視して塚田に話しかける。鈴川の腕は掴んだままだ。
塚田が不愉快そうに眉を顰めた。
「なんだよ、さっさと」
「いいから、まずは鍵を開けてください」
同じ言葉を繰り返す。塚田は明らかに機嫌を損ねた。
「いい加減にしろよ。それが先輩に対する態度か」
「無礼な点は謝罪します。ですが、確かめなくてはいけないことがあるんです。今、この場で」
今でなくてはその機会は永遠に失われてしまう。
「塚田先輩、部屋の鍵を開けてください。それとも」
正面から塚田に向き合う。改めて対峙すると塚田は随分と小柄だった。
「その鍵では開かないんじゃないですか?」
塚田の顔が赤く染まった。口を大きく開いて何かをいおうとするが言葉になっていない。
「どういうことだ、矢口」
鈴川が珍しく戸惑いの声をあげる。
「鈴川先輩、鍵を貸してください」
鈴川から鍵を受け取り、プレートを示す。
「これは印刷室の鍵ですよね」
「ああ、そうだな。そう書いてある」
鈴川が頷いた。はじめの驚愕は失せ、声には落ち着きが戻っていた。おそらく既に察しがついたのだろう。
「鈴川先輩、この鍵で生徒会室のドアを開けて頂けますか」
鈴川は〈印刷室〉のプレートがついた鍵を、生徒会室のドアの鍵穴に差し込んだ。カチャリという音と共に鍵が回され、ドアが開く。
鈴川の舌打ちが聞こえた。
「鍵を入れ替えたんですよね」
廊下に立ち尽くした塚田が俺を睨みつけた。ギリギリという歯軋りが聞こえそうなほどに歯を食いしばっている。
塚田から目を逸らし、誰にともなく説明する。
「塚田先輩が持っている鍵のプレートには、〈生徒会室〉とあります。ですが、あれは生徒会室の鍵じゃありません。十五日に生徒会の打ち合わせが終わって、鍵を貸出用キーボックスに返却する時に入れ替えたんです」
鈴川が手にした鍵をじっと見つめる。安物のプラスチックプレートがついた鍵はキーリングで簡単に付け替え可能だ。部室の南京錠の鍵と入れ替えたのではすぐにバレてしまうだろうが、同じピンシリンダー錠の生徒会室と印刷室の鍵では見た目に違いはわからない。
「塚田先輩は生徒会室の鍵をキーボックスへ返すふりをして、印刷室の鍵を取った。そしてそれぞれの鍵のプレートを入れ替えて、印刷室のプレートがついた鍵の方を保健室の前に置いたんです。保健室から出てきた高森さんが鍵に気付いて届けるように」
校内に生徒が少なくなるまで保健室で居残りをしていることが多いとはいえ、高森がいつ下校するかはわからない。印刷室に忍び込んで試験問題を白紙と入れ替えたところで、高森が先に帰ってしまったのでは意味がない。
高森に印刷室の鍵を拾わせ、職員室へ届けるように仕向けるためには、できるだけ早いうちに保健室の前に鍵を置く必要があった。
印刷室のプレートがついた、生徒会室の鍵を。
「入れ替えた鍵を保健室前に置いた後、塚田先輩は印刷室へ向かいました。野崎先生が職員会議で不在のうちに、二年八組の試験問題を白紙と入れ替えるために。試験問題を入れ替えたあとは、会議が終わった職員室へ何食わぬ顔で鍵を戻した。普段から生徒会や空手部で頻繁に貸出用の鍵を使っている塚田先輩なら、先生方も特に違和感は感じなかったでしょう」
「適当な言い掛かりをつけるな。試験問題は金庫の中だろ。例え印刷室の鍵を持っていたとしても盗めるわけがない」
塚田が声を荒げる。
「試験問題は金庫の中にありませんでした。直前で試験保管用の封筒がないことに気付いた野崎先生が、職員会議の間、印刷室に置いたままにしておいたそうです。そう仕向けたのは塚田先輩、あなたですよね?」
「どういうことだ?」
鈴川が眉を寄せる。
「封筒です。野崎先生が生徒会室へ打ち合わせに来た時、塚田先輩は特選科用の白い封筒を隠したんです。生徒会は誰も試験問題に注意を払っていなかった。野崎先生も、試験問題自体が失くなればすぐに気付いたでしょうが、封筒はあまり気にしていなかったんでしょう」
保管用とはいってもただの封筒だ。試験問題とは違っていくらでも代わりはある。野崎もそこまで注意してはいなかったのだろう。
「印刷が終わり、ようやく封筒がないことに気付いた野崎先生は予備の封筒を取りにいこうとした。塚田先輩はその野崎先生を足止めしました。職員会議の時間になるまで。野崎先生が試験問題を金庫にしまう時間がなくなってしまうように」
塚田が右の拳で壁を打つ。鈍い音が廊下に響いた。
「仮にそうだとしても、どうやって俺は二年八組の試験だけを盗んだんだ? どの問題用紙が二年八組のものか、すぐに見分けられるわけがない」
「いいえ。すぐにわかります。付箋がついていましたから」
「付箋?」
鈴川が首を傾げる。
「はい。野崎先生は各クラスの試験問題を印刷した後、付箋をつけて仕分けしています。俺のクラスで配られた世界史の問題用紙に、〈二−七〉と書かれた付箋がついていました。塚田先輩はそれを見て、八組の問題だけを白紙とすり替えたんでしょう」
塚田は何も答えず俯いている。握りしめた両手の拳が震えていた。
「塚田先輩、あなたは」
いいかけたところで廊下の向こうから人の話し声が聞こえてきた。部活動をはじめる生徒が西棟に集まってくる。
鈴川が小さくため息をついた。
「続きは中で話そう」
生徒会室のドアを開けて俺と塚田に入るように促す。
「いいな、塚田」
鈴川の声に塚田は何も答えなかった。
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