42 消えない疑惑

 電車に揺られながら今日あったことを考える。

 八組の試験問題が消え、高森が疑われた。不可解な点はいくつかあるが、普段の高森を知っている者ならその疑惑が誤解によるものだと考えるだろう。塚田の言葉に真っ向から反論した笹山のように。

 ドアにもたれて窓ガラスの向こうを眺める。過ぎ去る景色に混じる雨がガラスを隔てた世界を流れていく。

 俺は高森にかけられた嫌疑をすぐに否定することができなかった。頭と心の片隅で小さな棘が引っかかる。

 俺は、彼女のなにを知っているというんだろう。

 いじめの事実すら話せない関係で、高森のことを偉そうに語る言葉を俺は持たない。

 いつもの高森の笑顔の底にあるものを、俺は知らない。

 電車がすれ違い様に大きな音を立てて窓ガラスを揺らした。頭をガラスに押し付けて目を閉じる。

 一度生まれた疑惑は消えない。

 七月に起きた八組の盗難未遂事件。笹山には高森が犯人ではないと説明したが、果たしてそうだろうか?

 あの時、西階段は封鎖され、東階段はスケッチの場所として使われていた。階段にずらりと並んだイーゼルの写真を見て、笹山は東階段の使用は不可だという俺の論に納得したようだが、実際にはたかがイーゼルだ。動かせないわけじゃないし、本当に通過しようと思えばいくらでも方法はある。

 俺は、あれだけの人目がある場所に高森が近付くはずがないと最初から東階段を除外したが、それは人混みが苦手だという高森の話を信じていたからだ。

 何の根拠もなく。

 そして体育祭で切り裂かれた応援旗。

 塚田が指摘したように、高森が関わっていないという証明はできていない。高森の鉢巻が舞台に落ちていた理由は今も不明のままだ。山中が応援旗を入れ替え、舞台の上の機械室へ上がって下りてくる間に、高森が体育館内のどこか倉庫のようなところへ隠れていた可能性だってゼロじゃない。狭い空間に身を潜めることはしないはずだとその可能性を消していたが、それも閉所が怖いという高森の話が本当だったらという前提に立っている。

 ――もし、高森がパニック障害でないのなら。

 七月の盗難も応援旗の切り裂きも、どちらも不可能なわけじゃない。

 そこまで考えて、自分の幼稚さに呆れて笑ってしまう。

 馬鹿馬鹿しい。

 何を拗ねてんだ俺は。

 いじめのことを話してくれないなんて理由で、高森の話が全て嘘かもしれないなんて、随分とあんまりなことを考えるじゃないか。情けない。

 ガラスに押し付けた額に振動が伝わってくる。脳の奥まで揺らされるようで気分が悪い。

 ふいに、塚田の〈人殺し〉という言葉が蘇る。去年、北棟の屋上から城崎涼子が転落した日に、屋上階段を下りてくる高森を見た者がいる、らしい。

 らしい。ようだ。あるいは。もしかしたら。

 あまりに薄っぺらで信憑性のない噂だ。

 ほんの少し前ならあり得ない話だと笑い飛ばしたことが、じわじわと身体の内側を支配する。

 考えないようにすればするほど、不快な疑惑が纏わりついて離れない。


 高森さん、君は本当に人を――。


 府中駅のホームに降りる。

 歩きながら携帯電話を取り出して握りしめた。消えない疑惑を払い除けるように高森の番号を呼び出す。

 バスのロータリーまで下りたところで、電車に傘を忘れたことに気付く。

 耳の奥に響くコール音を聞きながら、俺は途方に暮れて天を仰いだ。

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