43 その日、きみは

 中間試験二日目。

 今日の試験は特にトラブルもなく終わった。いつもと変わらないように見えるが、校内にはどこかピリついた空気が漂っている。

 放課後。ほとんどの生徒はすぐに下校となる。保健室は使えないので、高森とは八組の教室で待ち合わせることにしていた。教室で時間をつぶし、他の生徒がいなくなるのを待って二年八組の教室へ向かう。高谷と航一も後に続いた。

 高谷が無口なことに違和感を覚える。特に何かを話したわけではないが、今日は二人ともあまり喋らなかった。それぞれに何か思うところがあるのかもしれないが、もしかしたら気を遣ってくれているのかもしれない。そう思うと、少し肩の力が抜けるのを感じた。

 二年八組のドアを開ける。高森は教室の中央の席に座っていた。背中をまっすぐに伸ばして、視線を遠く窓の外へ向けている。開け放たれた窓から流れる風が、高森の髪を撫でて通り過ぎていった。

 見慣れたはずの横顔に影がさしたような気がして、わけもなく不安が押し寄せてくる。肩に落ちた髪に、そういえば美容院へはまだ行けていなかったなと今さらなことが頭をよぎった。

「ごめん、待たせた」

 教室に入り、声をかける。振り返った高森が笑みを浮かべた。

「いいえ、こちらこそ。ご迷惑をおかけしているようで」

 立ち上がった高森が、すみませんといいながら深々と頭を下げる。

「いやいや、迷惑とかじゃないから、ほんと」

 高谷が慌てて両手を振った。

 それぞれ適当な席に腰を下ろす。なんとなく重い空気に、話を切り出しづらい。高森も緊張した顔で両手を膝の上で握りしめていた。

 一つ、息をはく。

「あのさ、高森さん。昨日の消えた試験のことで話があるんだ」

 高森がこくりと頷いた。

「繰り返しになるけど、印刷室の鍵を拾ったのはいつ?」

「先週の水曜日、十月十五日です」

「拾った場所は?」

「保健室の前です。廊下の端、ドアを開けた目の前に落ちていました」

「拾って、それからどうした?」

「そのまますぐに職員室へ届けました。貸出用のキーボックスへ返すようにいわれたのですが、場所がわかりませんでした。ちょうど通りかかった三津島先生が声をかけてくださって、これから職員会議が始まるからと鍵を受け取ってくださいました」

「印刷室へは行かなかった?」

「はい。行っていません。職員室とは反対の方向でしたから」

「これまで印刷室に入ったことは?」

「いいえ。一度もありません」

 俺の質問に疑問を挟むことなく、高森はすらすらと答えていく。信用されていると思っていいのか、あるいは。

 軽く唇を噛み締めて、息を整える。まっすぐに高森の目を見た。

「去年の十二月十日、北棟の屋上にいた?」

「去年……ですか?」

 突然の問いかけに高森が首を傾げた。今回の話と何か関係あるのかといいたげな、不思議そうな目をする。

 記憶をたどるような表情で少し目を伏せると、高森はかすかに暗い笑みを落とした。それから俺の目を見て静かに口を開く。

「はい。十二月十日は北棟の屋上にいました」

 高谷が息を呑む気配がする。

 去年、つまり二〇一三年の十二月十日。

 その日に北棟の屋上にいたということは、高森は転落する前の城崎涼子といたということになる。

 そして、それはつまり、


 墨を吸い込んだような沈黙が教室に落ちた。黒い何かが床の上からじわじわと壁伝いにあたりを侵食していく。

 高森がふうとため息をついた。首を傾げて、困ったような気まずそうな顔で小さく笑う。

 ……笑う?

「正確には、屋上へ行く階段の途中なんですけど。屋上のドアから数段下りたところです。確か四時間目のチャイムが鳴る前にはそこにいましたから、その日はそこで数時間は膝を抱えて座っていました」

 恥ずかしそうに俯く。

「あの日は本当に発作が酷くて、保健室さえも飛び出してしまって。早く戻ろうとしても、全然足がいうことをきかなくて、一歩も動けなくて。近くでサイレンの音が聞こえてきて、それにちょっとびっくりしたんでしょうか、やっと身体を動かすことができました。帰りは悔しくて苦しくて、電車の中で泣いてしまって。今では笑い話にできますが、あの時は本当につらかったです。そういえば、確かその日も試験前でした。二学期の期末試験を控えていた頃で、校内にあまり人がいなくて……」

 はたと気付いたように言葉をとめる。

「そういえば矢口さん。私が去年の十二月に北棟にいたことを、なぜご存じなんですか?」

 ちらりと高谷と航一に目配せする。高谷は両手を上げて降参のポーズをとり、航一は無言のまま目を伏せた。

「実は、その日その場所で高森さんを見たという人がいるらしいんだ。ちょっとよくない噂だから、あまり聞かせたくはなかったんだけど」

「よくない……ですか?」

 高森が不安そうに首を傾げる。

「悪いが、少し確認させてくれ」

 これまで黙っていた航一が口を開いた。

「つまり、高森は去年の十二月十日に、北棟の屋上で城崎に会ってはいないんだな?」

 高森が頷いた。

「はい。屋上前の階段にはいましたが、屋上へは上がっていません。ドアを開けていないのではっきりとはわかりませんが、おそらく鍵がかかっていたと思いますし。それと……」

 戸惑いの表情を浮かべた高森が、恐る恐るというように航一の目を覗き込んだ。

「城崎さんとは、どなたのことでしょうか?」

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