44 ほどけた糸

 しばらくの間があった。

 城崎とは誰かと高森はいった。その言葉をそのまま受け取るならば、高森は城崎涼子を知らないということになる。

 ……どういうことだ?

 高森は城崎涼子からいじめを受けていたという話じゃなかったのか?

 混乱する思考の中、先に口を開いたのは航一だった。

「城崎涼子と知り合いじゃないのか?」

 高森は落ち着いた様子で首を振った。

「いいえ。存じ上げません」

 俺と高谷と航一、三人の視線が交差する。高森が誤魔化したり嘘をついたりしているようには見えない。

「顔見知りでも名前を知らない方もいるので、お会いしたらわかるかもしれませんが」

 高森の言葉に答える者はいなかった。城崎涼子はすでにこの世にはいない。

 高谷が立ち上がった。

「まだ間に合うかも。ちょっと待ってて、借りてくるから」

 何をとはいわずにそのまま教室を飛び出して行く。高森が目をぱちぱちとさせた。

「あの、私なにかおかしなことをいったのでしょうか」

「いや大丈夫。問題ない。むしろ俺の方こそ、変なこと聞いてごめん」

 教室に沈黙が落ちる。航一は無表情のまま黙っていた。高森が気まずそうに俺と航一の顔を交互に見ている。困っている高森をフォローしようと口を開くが、適当な言葉が出てこなかった。

 重い空気の中、高谷が勢いよくドアを開けた。

「お待たせ。なんとか帰る前につかまえられたよ」

 抱えていたアルバムを机の上に開く。いくつかの写真の内、ひとつを指差した。

「ほら、これが城崎だよ」

 写真の中には思わず息を呑むほどに美しい少女が写っていた。烏山高校のセーラー服を着て、長い黒髪を風になびかせている。少し上目遣いにカメラを睨む表情は、冷たくも神秘的な雰囲気が漂っていた。

「どうしたんだ、これ」

 高谷を見ると、自慢げに胸を張った。

「写真部から借りてきた。前に写真部が城崎に被写体を頼んだことがあるって話は聞いてたからさ、多分何枚かは残ってると思って」

 高谷が高森を振り返る。

「どう? 知ってる顔だった?」

 高森が頷く。

「はい。二度ほどお話ししたことがあります。去年の一学期に、具合が悪くなって廊下でしゃがみ込んでしまったところを助けて頂きました。その時はちゃんとお礼もいえなくて」

 悲しそうな顔で俯く。

「それから少し経って、夏休みに最寄駅で偶然お会いしました。改めてお礼をいおうとしたんですが、なぜかとても怒られてしまって。結局、いまだにお礼がいえないままです」

 高谷が気まずそうに視線をそらした。高森がそのお礼を城崎に伝えられる機会は、もう二度とない。

 航一が顔を上げた。

「最寄駅ってのはどこのことだ?」

「多摩モノレールの高幡不動駅です。改札の前でお会いしました」

「怒られたってのは具体的に?」

「先日学校で助けて頂いた者ですがと声をかけたんですが、邪魔だからあっちへ行けと。理由はわかりませんが、何か急いでいる様子でした」

「城崎一人か」

「はい。お一人で改札の前にいらっしゃいました」

 質問を終えると、航一はまた黙ってしまった。

「城崎さんと図書室で会ったことは?」

 俺の質問に、高森が首を傾げる。

「いいえ。そもそも図書室へはあまり行っていません。静かな空間は余計に緊張してしまうので。何度かチャレンジしたことはあるのですが、どれだけ我慢しても数分で逃げ出してしまいます」

 高森が残念そうに俯いた。

「あの、さ。ちょっといい難いんだけど、高森は城崎から嫌がらせを受けていたらしいって聞いたんだけど、どう?」

 高谷の問いに高森が悲しい眼差しを床に向けた。

「自分でいうのも情けないんですが、私、高校に入学してから、人間関係で誰かとトラブルが起きるほど学校に馴染めていません」

 ずうんという効果音が聞こえそうなほどに高森が肩を落とす。

「いや、ごめんなさい」

 高谷がすかさず謝った。

 そうか。

 そういうことか。

 点が繋がりひとつの道が見えた。絡まっていた疑惑の糸が解けていく。

 高森は城崎涼子を知らなかった。少なくともお互いに名前を知っているような間柄ではなかった。つまり、高森が城崎涼子からいじめを受けていたというのは誤解だったわけだ。

 その誤解が発生した理由は三つ。

 一つ、駅で城崎涼子に怒られている高森を見た誰かが恫喝されていると勘違いした。

 二つ、城崎涼子が図書室に入ったタイミングで、高森が発作を恐れて図書室を飛び出したことがあったんだろう。城崎と入れ違いに青い顔をした高森が出てくるところを見た誰かが、二人の間に脅迫のようなものがあったのではと勘繰ったわけだ。

 そして三つ、城崎が北棟から転落した日に、高森は偶然屋上階段に居合わせた。転落前後にその場所にいた高森を見た誰かが、高森が城崎を突き落としたのではないかという噂を広めた。

 一つ一つはたいしたことのない話だったかもしれないが、小さな偶然が重なり、結果、城崎涼子からいじめを受けていた高森が思い余って城崎を屋上から突き飛ばしたという噂にまで拡大した。

 城崎と高森。校内では二人ともある意味有名人だ。それぞれの話を繋げて面白おかしく噂に仕立てる奴がいてもおかしくはない。

 高森がパニック障害で保健室に篭るようになったことも噂に拍車をかけたんだろう。高森本人は保健室で過ごすことが多かったために、むしろ自身の不本意な噂を知らずにいられたが、それがかえって噂を否定する機会をなくしてしまったわけだ。

 高森が城崎の写真を見て嬉しそうに微笑んだ。

「そうですか、城崎さんと仰るんですね。やっとお名前を知ることができました。あの日以来まだ一度もお会いしていなくて。どのクラスの方ですか? 今度の試験が終われば、ぜひご挨拶に行きたいです」

 今度こそ全員口を閉ざした。城崎の死はいずれ高森も知ることになるだろう。隠すような話ではないが、何と伝えればいいかわからない。

 航一が小さく呟いた。

「死んだよ。去年の冬に校舎の屋上から落ちた」

 高森がはっとした顔で口元を押さえた。

「原因不明の転落死だ。当時、高森が屋上階段にいたらしいという噂を聞いたから、何か見てやしないかと思ったんだ。変なことを聞いて悪かった」

 頭を下げた航一に高森がゆるく被りを振る。

「いいえ。でも……そうですか」

 写真を見つめて悲しそうに俯く。

「私は自分のことで手一杯で、まわりのことが全然見えていなくて。城崎さんのことも、何も知りませんでした。……亡くなられていたんですね」

 沈痛な面持ちで唇を噛む高森に何も返すことができず視線を逸らす。

 ふとアルバムの下に置かれた冊子が目にとまった。

「高谷くん、これは?」

 アルバムをどけると〈二〇一四年度新入生歓迎部活紹介〉とある。

「ああ、何か参考になるかと思ってさ。ついでに借りてきた」

 冊子を手に取りぱらぱらとめくる。こうしてみると烏山高校はわりと部活動が活発らしい。入学以来、帰宅部を貫いている身としては肩身が狭いような気もする。

 演劇部の紹介欄に鈴川の名を見つけた。意外に思ったが、鈴川の振る舞いを思い出してすぐに納得する。あの芝居がかった仕草は演劇部由来というわけだ。

「鈴川先輩って生徒会だけじゃなくて演劇部もやってるんだな」

 思わずもらした感想に高谷が呆れた顔をした。

「今さら何いってんだよ、有名だろ。去年の都の高校生演劇大会で表彰されたくらいだぞ」

 知らなかった。

「うちの生徒会は生徒と教員両方の推薦で選ばれるんだよ。鈴川先輩は部活に支障が出るからって会長職に就くのを嫌がったみたいだけど、去年の生徒会長からぜひにと強く推されて断りきれなかったらしい。大会の時期は演劇部の活動を優先することを条件に渋々承諾したんだってさ」

 高谷は俺の手から冊子を取り上げると巻末にある生徒会の紹介欄を開いた。


 会長・鈴川真一郎

 副会長・塚田輝美

 書記・高坂聖

 会計・杉本健斗


 生徒会の四人の名が並ぶ。

 高谷が一人一人を指して説明した。

「会長の鈴川先輩は演劇部。文武両道で成績は常に学年一位。弱小だったうちの演劇部を大会最優秀賞に導いた期待の星だ。副会長の塚田先輩は空手部主将で、一年の入学式の時に新入生総代を務めた首席合格者。書記の高坂先輩は水泳部の元エース。会計の杉本は生徒会唯一の二年生で美術部。確か去年描いた作品が全国で賞をとってるはずだ。全員が特選科で成績上位組。うちの学校のトップ集団だよ」

 それはまた華やかなメンバーだ。

「高坂先輩が水泳部の元エースってのはどういうことだ? 何かトラブルでもあったのか?」

 高谷が首を振る。

「去年の夏に怪我をしたらしい。烏山高校はかつて水泳部の強豪校だったからな。その名残で都立でも数少ない屋内プール設置校だ。今ではそこまで強くはないと聞くけど、さすがに怪我をした選手がエースを続けられるほどに甘い世界じゃないらしい」

 なるほど、華やかな世界にはそれなりに苦労があるようだ。

「高坂先輩とは、体育祭の時にお会いした方ですよね?」

 横から冊子を覗き込んでいた高森がぽつりと呟いた。

「そうそう。あのクールでちょっとおっかない人だよ」

 高谷が笑う。

「私、去年の十二月十日に高坂先輩をお見かけしました」

 右手を頬にあてた高森が思い出すように首を傾ける。

「北棟の屋上階段を下りてきたところで、向かいの西棟の窓辺に。私はまだ一度も行ったことがないのですが、西棟の屋上にあるプールから出てきたようでした」

 高谷と顔を見合わせる。

「その時期って、確か期末試験前で部活動は活動禁止だったよな?」

「うん。自習教室以外は基本的には校内に居残ることもできないはずだ」

 その時期にプールへ?

「高坂先輩は高森さんを見て驚いたりしてた?」

「ガラスを隔てていましたし、少し暗かったので細かな表情まではわかりませんでした」

「何かを隠し持っているとか、人目を気にするような不審な動きは?」

「いいえ。何も持ってはいませんでしたし、おかしな動きもなかったと思います」

 高谷と航一を振り返る。

「例の噂を流したのは、その日北棟にいた高森さんを見かけた人物だ。高森さんから西棟の高坂先輩が見えたのなら、高坂先輩からも高森さんが見えていた可能性が高い。もしかしたら高坂先輩は何かを知っているかもしれない」

 俺の言葉に高谷も頷く。

「高森の噂と今回の試験問題の紛失はなんか繋がりがあるかもね。勘だけどさ。単なる盗難騒ぎってより、なんか妙な悪意を感じるんだよな」

 これまで静かに考え込んでいた航一も口を開いた。

「今年に入って城崎の霊が出るって噂が急に広まったのも気になるな。噂を広めたい誰かが作為的に流したのかもしれん。怪談と絡めた方が噂はより広まるだろうからな」

 三人で顔を見合わせる。高坂へは来週話を聞くことにして、この場はひとまず解散することにした。

 昇降口へ向かう階段の途中で高谷が肩を叩く。

「よかったな、矢口」

 前を歩く高森の後ろ姿をちらりと見る。

「人を疑うのってキツイもんな」

 小さくこぼした声に笑みを返す。

「ありがとう」と呟くと高谷は嬉しそうに笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る