第4章 過ぎ去る日々を

31 祭りの前

 9月になると校内は慌ただしく活気付く。

 烏山高校は毎年9月の終わりから10月の頭にかけて、文化祭と体育祭が連続して開催される。通称、金烏きんう祭。文化祭前日準備から体育祭当日にかけての八日間。間に二日間の振替休日をはさむとはいえ、一年のうち最も盛大なお祭り週間となる。

 放送委員会は金烏祭の放送に関する企画、進行、設備の全て担当することになっていた。各部やクラスの企画を確認し、当日の段取りなどを打ち合わせて、祭り全体の流れを調整していく。夏休み明けから、今日の前日準備まではあっという間だった。

 放送室でタイムスケジュールの最終チェックをしていると、笹山が声をかけてきた。

「矢口くん、明日の校内ラジオの割り振りなんだけど」

「俺はやりたくない」

 できるだけ嫌そうな顔を作ってはっきりと主張する。

 笹山が呆れた様子で企画書の束を振った。

「何いってるの、ラジオは矢口くんの企画でしょう?」

「それは月の企画会議に出したヤツだろ。そもそも朝の数分間に何か1曲流すのはどうかと提案しただけで、ラジオとはいってない。しかもなんで俺が進行担当に入ってんだ」

 駄々をこねる子どもを見るような眼差しを向けて、笹山がため息をついた。

「朝の放送の件は生徒会へ提案したんだけど、許可がなかなか下りないのよ。始業前は静かに過ごしたい人もいるからって。まあ当然よね。生徒会側の理屈もわかるけど、せっかく面白そうな企画だし。今回の文化祭で校内ラジオが好評だったら、また改めて交渉できるわ」

「俺は是が非でも企画を通したいってわけじゃないんだけど」

「ガタガタいわない。ほら、分担表」

 ぶつぶつと文句をいう俺に、笹山が書類を押し付けてくる。

「文化祭にアイドル声優を招いて握手会をしましょうって企画も通らなかったし、生徒会は頭が固いわ」

 そりゃ当たり前だろう。通ったらむしろびっくりだ。

「それからこれ、ラジオの原稿ね。矢口くんの分だから明日までには目を通しておいて」

 当日初見で読もうとしたら恥かくわよと笹山に釘をさされる。気が重い。

「矢口くんは午後の4回目の担当ね。時間に遅れたら承知しないから」

 仁王立ちで命じる笹山に、深いため息をつく。これは大人しく従った方がよさそうだ。

「で、その仮装はなに?」

「砂かけババアよ」

 白い着物にカツラを被った姿が不思議と様になっている。

「本当は目玉のおやじがやりたかったんだけど、衣装が間に合わなくて」

 心底残念そうに笹山が舌打ちをする。なんでそのチョイスなんだ。

 咳払いをした笹山が声真似を披露した。

「おい、鬼太郎」

 思いのほか似ている。

 呆れた顔の俺に笹山がにやりと笑った。

「せっかくのお祭り期間だもの。同じ阿保ならなんとやらっていうでしょ?」


 校舎の各フロアに設置されている放送機器点検のために校内を回っていると、北棟の階段前で後ろから肩を叩く手があった。

 足を止めて振り返ると、丸い目と口がついた白い布を頭からかぶった人物が立っている。片目は閉じられていて、口からは赤い舌がぺろりと出ていた。

「お化けに知り合いはいないけど」

「私です、高森です」

 お化けがしゃべった。

「どうしたんだ、それ」

「私たちのクラスはお化け屋敷をやるんです」

 ああ、それでその仮装ね。

「ずいぶんとひょうきんなお化けだな」

 高森がクスクスと笑う。

「明日はこの姿でチラシを配るんです」

「人は結構多いぞ。大丈夫か?」

 お化けが胸を張った。

「大丈夫です。布で隠れていればまわりの視線も怖くないですし、少し具合が悪くなってもごまかせます。明日はちゃんと務めを果たしてみせますよ」

 嬉しそうな声がお化けの中から聞こえてくる。

 2学期に入ってから、高森の発作はだいぶ落ち着いていた。教室で授業を受けることも増え、少しずつクラスメイトとも会話ができるようになっているらしい。

 お化け仮装の白い布から顔を出し、高森が階段を見上げて呟いた。

「去年の冬はこの階段で震えてたんです」

 少し遠くを見るような瞳をした後、ぱっと振り向いてにこりと笑う。

「矢口さん、私、頑張りますね!」

 それではと階段を降りていく高森の背中に声をかけようと口を開く。

 頑張ってと伝えようとして、少しだけ考える。頑張れじゃなくて、今の高森には何かもっと適当な言葉がある気がする。

「高森さん」

 呼び止める声に高森が振り向く。

「楽しんで」

 お化けが両手を振って左右に揺れた。

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