27 インスタントヒーロー

 明大前駅のトイレの前で高森の手を離す。

 青白い顔のまま何かをいおうとする高森を手で制して、早く行けと指差しで合図をする。会釈してふらふらとトイレに向かう高森を見送り、俺は深いため息をついた。

 少し離れた壁に移動すると、背中を預けてそのままずるずるとしゃがみ込む。

 やってしまった。これはダメだ。完全にアウトだ。

 ストーカーの上にセクハラ。言い訳のしようもない。気持ちが悪いと思われただろう。

 人混みの中でしゃがみ込む高森を見た時に、居ても立っても居られなくなった。焦って近付いたはいいが、なんと声をかけたらいいかもわからない。高森が耳を塞ぐ仕草をしたので、せめて雑踏の音だけでも消せやしないかと、持っていたヘッドフォンを高森の耳に押し当てたが、はたして意味はあっただろうか。

 はたと気付く。

 あれ、これ普通にキモいな。

 他人のヘッドフォンなんて嫌に決まってるじゃないか。何やってんだよ俺は。

 自分の行動と考えの足りなさを思い返し、絶望に頭が真っ白になる。

 よし、とりあえず謝り倒そう。謝って済むかはわからないが、何もいわないよりはマシだろう。

 そう決意したところで、高森の姿が見えた。俺を見つけると小走りで駆け寄ってくる。

 開口一番「お目汚ししてすみません」という謝罪の言葉があった。次いで「ご迷惑をおかけ致しました」とさらに深々と頭を下げられる。完全にこちらの謝罪のタイミングを失ってしまった。

「いや、俺の方こそ……」

 俺の言葉を遮って、高森が早口に謝罪する。震える声には涙が混じっていた。

「私、本当に調子に乗ってしまって。過信していました。いつもなら矢口さんがいてくれたのに。矢口さんがいてくれたから大丈夫だったんですね。そんなことも知らないで。本当にごめんなさい」

「違うんだ。そうじゃない」

 つっかえていた声がやっと出せた。

「そうじゃないんだ。今日のことは、ただ俺が心配で勝手についてきただけで。高森さんは方向音痴だっていってたし、慣れない場所はさすがに大変かと思って。いつもなら、うん、これまでだって、高森さんは大丈夫だったんだ。俺のお節介で、せっかくの頑張りを邪魔してごめん」

「でも、いつも助けてもらっていて」

「ちょっと手伝っただけだ。もう俺がいなくたって、高森さんは大丈夫なんだよ」

 依存させるのは簡単だ。俺さえついていれば大丈夫なんだと、そう思い込ませてしまえばいい。俺の隣なら安心できると信じてしまえば、気持ちだって安定するし、パニックの発作だって治まりやすいだろう。

 簡易ヒーローのできあがりだ。

 いつだって俺を頼ってくれる女の子。承認欲求を満たすには最適の存在だ。自己満足に浸るのはさぞ気分がいいだろう。

 それを欲しいと思う気持ちが少しもないわけじゃない。

 だけど違う。それは、俺がなりたいヒーローじゃない。

「高森さんは一人でどこへだって行けるし、何だってできる。今日は朝から肌寒かったし、たまたま体調が悪かっただけだ」

 自由にやりたいことをやるためには、高森が自分一人で歩けるようにならなくてはいけない。

「調子が悪い時は誰にだってある。そんなことで、また発作が起きるかもしれないなんて、考えなくていいんだ」

 高森がゆっくりと顔を上げた。目が涙で濡れているけれど、これはきっと発作のせいじゃないはずだ。

「はい。ありがとうございます。矢口さん」

 流れた涙を拭った高森はすごく綺麗な笑顔だった。

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