46 現地調査

 中間試験三日目は土日を挟んで月曜に実施された。明日が試験最終日ということもあってか、先週より教室の空気は緩やかだ。

 高坂への確認は俺が一人で行くことにした。さすがに後輩の男子が三人も押しかけるのは迷惑だろうという高谷の提案があったからだ。

 放課後に三年八組の教室へ向かう。

 高坂を呼び出してもらうが、既に下校した後だった。よりによって今日のホームルームが少し伸びてしまったのがいたい。

 仕方なく四階まで戻り、渡り廊下から西棟へ移動する。

 高森が高坂を見たという西棟のプール前を確認しておこうと階段に足をかけたところで、後ろから鈴川に呼び止められた。

「先輩を呼び出すなんて、見かけによらずいい度胸してるね、やぐっちゃん」

 鈴川がにやりと笑う。

「高坂に何か用かい?」

「ええ、まあ。高坂先輩にお訊ねしたいことがあったんですが」

「事件のこと?」

「事件と直接関係があるかわかりません。ただ、例の十二月十日に西棟にいた高坂先輩を見たと高森さんから聞きました」

 高森が北棟の屋上階段にいた経緯を簡単に説明する。

「というわけで、高森さんの噂を流したのは高坂先輩ではないかと思って、その確認を」

「ふうん、高坂がねえ」

 鈴川が気のなさそうな返事をする。あまり納得いかないらしい。

「鈴川先輩から見て、高坂先輩はどういう人なんですか?」

「俺?」

 ふんと腕組みをする。

「見たまんまだよ。生真面目で堅物、無愛想でクールな眼鏡っ子。責任感が強くて融通が利かない、頼りになる生徒会書記だ」

 予想以上に高評価だ。高坂に対する鈴川の信頼は厚いらしい。

「そういえば、高坂先輩の名前は〈聖〉と書いて〈まりあ〉と読むんですね」

 かなり珍しい読み方だと思う。

「やぐっちゃん、悪いことはいわない。名前のことは高坂の前で口にしない方がいい」

 軽い気持ちで訊ねた俺に、鈴川が声を潜めた。

「あいつ、自分の名前にコンプレックスがあるんだよ。キラキラネームって散々馬鹿にされてきてるからさ。この歳になったらさすがに面と向かって笑うやつも少ないけど、いまだに気にしてんだよね」

 なんと。クールな高坂先輩にそんな一面があったとは。

「よく知ってるんですね、高坂先輩を」

「まあね。長い付き合いだしね」

 西棟の五階へ上がる。この上に屋内プールがあり、左右の廊下の突き当たりには男女それぞれの更衣室へ繋がる出入口がある。女子は北棟側、男子は裏庭側と、西棟の端に分かれている。裏庭側の廊下は北棟から見えない位置にあるから、高森が見たのは北棟側の女子用出入口だ。

 北棟側の出入口に向かって廊下を進む。

「なんかー、禁断の場所って感じー? みたいなー」

 鈴川が両手を頭の上に組んでにやにやと笑った。確かに、女子の出入口側へ行くことはまずないので少々気まずい。こんな先輩でも、いてくれて正直助かった。一人でこんなところをうろついていたら不審者と間違われてもおかしくはない。

 女子用出入口の前に立ち、近い窓から北棟を見る。窓ガラスを隔てた暗がりの向こうに、屋上へ続く階段が見えた。あの日、階段を下りてきた高森は、今俺がいる場所に立つ高坂を見たのだろう。状況の確認はできた。あまり長居していると本当に不審者と間違われてしまうので、さっさと帰ろうと踵を返す。

 ふと見ると、鈴川が天井を見上げていた。

「何やってるんですか」

 俺の声に鈴川が振り返る。

「ん? いやね、先月の三年生保護者会で、プールと体育館の更衣室前に防犯カメラをつけろって訴えた保護者がいたんだよね。まあ、生徒の人権に関わるっつって校長が一蹴したんだけどさ」

「防犯カメラ?」

 なんだってまたそんなものを。

「こないだもいったろ、盗難が増えてんだって。貴重品だけじゃなくて、ジャージとか水着とかも盗られてんだよ。さすがに保護者の耳にも入ったらしくてさ、特に女生徒の保護者がカンカンなわけ。いつまで校内の不審者を放置しておくんですかってさ」

 なるほど、そりゃ大変だ。

「確かに防犯カメラがあれば抑止力にはなるかもしれませんね。校内の設置はまず無理でしょうけど」

 そんなことをしたら別の保護者からクレームが入りそうだ。

「人の目があればできないようなことなら、はじめからやるなっつー話だよ。一部のアホのために、どこもかしこも監視されるようになったらたまんねえって」

 鈴川が吐き捨てるようにいう。

「意外ですね。先輩はそういうのどうでもいい人かと思っていました」

「失敬だね、君は。俺は常に生徒を思いやる生徒会長だよ。我が烏山生に不利益となることはしない主義だ。盗難事件も生徒会が総力を上げて対応している。まあ俺がやってんのは教師と保護者に事態を上手く説明するくらいで、主に事件を担当しているのは塚田だけどね。あいつは本当に頼りになるやつだ」

 鈴川が自慢気に頷く。

「盗難事件の対応なら、防犯カメラの設置はむしろ望むところなのでは? 人権云々をひとまず置いておけば、盗難件数は確実に減りますよ」

 鈴川が不満そうな顔で口を尖らせた。

「俺はロマン派なの。どこでカメラに見られてるかわからない状況じゃ、人目を忍んで教室で逢瀬を重ねるみたいなラブラブでコメコメなシチュエーションが楽しめないじゃない」

 果たしてそれはロマン派というのだろうか。

 階段を降りて東棟一階へ向かう。なぜか鈴川も後をついてきた。

「俺に何か用なんですか」

「んー? やぐっちゃんが何を調べようとしてるのか気になってね」

「たいしたことじゃありません。参考までに貸出用キーボックスを見ておこうと思っただけです」

 鈴川が意外そうな顔をした。

「やぐっちゃん、貸出用の鍵を借りたことないの?」

「ありますよ、放送委員で。ただ、放送室の鍵を借りる以外に用がなかったので、他の鍵がどうなっているかちゃんと見たことはなかったんです」

 鈴川がにやにやと笑う。

「高森さんのため、か。愛だねえ」

「なんの話です」

「やぐっちゃんの彼女でしょ? 高森さん」

 驚いて思わず立ち止まる。

「……違います」

「あれ? 違うの? そっかそっか、てっきり恋人同士だと思ってたよ」

「違いますよ。俺と高森さんは……」

 なんだろう。友人ではないし、クラスメイトでもない。知り合いというのも違う気がするし、他人ではさすがに冷たすぎる。

「……ただの修行仲間です」

「なんじゃそりゃ」

 鈴川が呆れた声を出した。


 職員室の前に立つ。ドアには〈試験期間中は生徒立入厳禁〉の貼り紙があった。

 鈴川が笑顔で振り返る。

「そりゃそうだよねえ。いやあ、うっかりさんだなあ、やぐっちゃんは」

 気付いてやがったな、この野郎。

 ため息をついて踵を返す。

 仕方ない、今日はおとなしく帰るとしよう。

「こらこら、ちょっと待ちなさいよ。なんで帰っちゃうのさ」

 鈴川が慌てて呼び止める。

「なんでも何も、立入禁止でしょう」

「全く最近の若もんは。なーんですぐに諦めちゃうかね。ちょっと試しにお願いしてみようとは思わないわけ?」

「お願いって……誰にです?」

 ふふんと鈴川が胸を張る。

「俺を誰だと思ってんのかな? 何を隠そう生徒会長様だ。先生方への口利きくらいは御茶の子さいさいよ」

 腰に手を当てふんぞり返った姿勢でにやりと笑う。

「かっこよくて素敵な魅力あふれる鈴川先輩お願いしますって頼めば、可愛い後輩のお願いを聞いてあげないことも……」

「かっこよくて素敵な魅力あふれる鈴川先輩お願いします」

 鈴川がじとりと睨んでくる。

「やぐっちゃん、なんか高坂に似てきたね」

「いえ、高坂先輩には敵いません」

 高坂ならきっと完璧に無視していただろう。

 鈴川が職員室のドアをノックした。からりとドアが開いて中から英語教師の日高が顔を出す。

「どうしたの鈴川くん。急用?」

 にこりと微笑む日高は、明るくてはっきりした性格で生徒からの人気も高い。

「日高先生、少しお願いがあるんですが、貸出用のキーボックスを見せて頂けないでしょうか?」

 鈴川が日高に負けないくらいの笑顔を見せる。正直、胡散臭い。

「あら、鈴川くん。試験期間中の職員室は生徒立入禁止よ、知ってるでしょ?」

 日高が困った表情で首を傾げる。

「ええ、もちろん知っています。ですが、先日の試験問題紛失の際、生徒側の鍵の管理の在り方が問題になりました。そのことで、どうしても急ぎ確認しておきたいことがあるんです」

 鈴川が真剣な顔で続ける。方便だと知っていても騙されてしまいそうだ。

「同じ過ちを繰り返したくはないんです。どうか許可を頂けませんか?」

 丁寧に頭を下げた鈴川に倣い、慌ててお辞儀をする。

 日高が仕方ないといった顔で笑った。

「鈴川くんにそうまでいわれちゃ、無下に断れないわね。いいわ。キーボックスは入口に近いし、少しだけ入るのを許可します。私が後ろから見ているから、確認したら速やかに退室すること。わかった?」

「ありがとうございます」

 鈴川が満面の笑みを浮かべた。

 職員室に入り、貸出用キーボックスを開いて中をのぞく。校内各部屋の鍵がずらりと並んでいた。例の印刷室の鍵もボックスの中に収められている。生徒貸出用のキーボックスなので、当然金庫の鍵などは入っていない。教員には教員用の鍵があるはずだ。

 印刷室の鍵を手に取り確認する。一般的なピンシリンダー錠にプラスチックのプレートがついている。キーリングでぶら下げられたプレートには〈印刷室〉と黒字で書かれていた。俺が普段使っている放送室の鍵や、生徒会室の鍵と同じ作りで、特におかしな点は見当たらない。

 目線を上げると、ボックスの上の方には小さな南京錠の鍵が下がっていた。プレートにバスケ部、野球部、空手部とあるところを見ると、部室の鍵なんだろう。

 隣の鈴川に訊ねる。

「部室は南京錠なんですか?」

「ん? そうだよ。やぐっちゃん、部活は入ってないの?」

 ちくりと刺される。

 鈴川にそのつもりはないだろうが、不毛な高校生活を送っているのかといわれた気がした。

「帰宅部です」

 ふうんと鈴川が頷いた。

「部室は入れ替わりもあるし、鍵の紛失も珍しいことじゃないから、南京錠にしてるんだよ。中には管理が杜撰な部もあるからね。トラブルが起きた時にドアの鍵を交換するよりは南京錠の方が手間がかからないから」

 なるほど。

 見るべきは見た。日高に礼をいって職員室を後にする。

「ところで、やぐっちゃん。この後は時間あるかい?」

「何ですか?」

「そんな嫌そうな顔すんなよ。これから野崎女史に話を聞きに行くんだが、ついてくるか?」

「野崎先生ですか?」

 鈴川が頷く。

「そ。前にも話したが、印刷室に入れるだけじゃ問題用紙に触れることはできない。それでも野崎が高森さんを疑うのは、何か根拠があるはずだ。生徒に明かせない事情ってヤツがね」

 にっと笑う。

「念のため、かみやんにも同席してもらうことになってる。二十分後に化学室。どうする?」

 鈴川の問いかけに頷きで答える。

「決まりだな」

 いつもの軽い調子で、鈴川が不敵に笑った。

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