三_2、見つける僕と、背いたわたし
◇◇◇
わたしは、お父さんに愛されて育ったのだと、胸を張って言える。
お母さんはいなかったけど、そんなの気に留めないぐらい。
わたしはお父さんを信頼していたし、大好きだった。
わたしにとっての世界の中心はいつだってお父さんだったし、小学校の高学年ぐらいまで、お父さんと結婚するといっては困らせていた。無理だっていうのは知っていたけど、その度に頭を撫でてくれる手がとても好きで。
それが当たり前だった。でも中学に上がる頃から、少しずつ、疑問が芽生えてきた。
友達とか周りの子は、父親とあまり仲が良くないらしい。遊んでないで勉強しろと怒られたり、洗濯物を一緒にするなと怒ったり、それで喧嘩になったり。
そんなの、想像もしたことなかった。だってわたしはお父さんに怒られたことなんてないし、怒ったこともない。わたしが知ってるお父さんは、いつも笑ってた。
わたしって変なのかな、って思ったことはある。でもだからってどうしたらいいかもわからなかったし、お父さんと一緒にいるときは幸せだから、いいやって。
多分、わたしはお父さんのことが好きすぎたんだと思う。
いつからか、お父さんがわたしにくれるもの全部欲しいと思うようになった。
もっといえば、叱られてみたい、って。
実行に移したのは、高校に入ったのがきっかけ。
周りから不良と言われて避けられてるグループと、関わるようになった。
ばかなことをした、って気付いたのは、ずいぶん後。つるんでこそいるけれど、まるで違う世界の住人みたいで、わたしには全然馴染めなかった。かといって元に戻ろうにも、元々の友達はみんな、不良側にいったわたしを避けてて、居場所がなくなってた。
肝心のお父さんも、何か言いたそうにはしてたけど、特に何も言ったりしなかった。多分、わたしが自分で選んだことに口は挟まない、って考えてたんだといまは思う。
虚しかった。何もかも空っぽになって、どうすればいいかわからなくて。
居場所がなくたって引き返せばよかった。失っただけだとしても、まだマシだった。こうしていればいつかお父さんが叱ってくれるんじゃないかなんて、思わなければよかった。
そもそも、わたしを愛してくれたお父さんを裏切るようなこと、しなければよかった。
――六月の下旬、雨が降ってる日だった。馴染めないわたしはグループであまり歓迎されていなかったけど、その日は何故か積極的に絡まれた。わたしを連れて行きたい場所があるって。
ばかなわたしは、なんの疑問もなくついていった。
連れて行かれたのは東京都内のマンション、よく遊び場として行っている場所のすぐ近く。
インターフォンを鳴らして出てきたのは、多分二十代前半の男の人。金髪に染めてて、むき出しの両腕にびっしりトライバル柄のタトゥーを彫ってた。タバコで黄ばんだ歯をにかっと見せて、「あがってあがって」とほとんど無理矢理あげさせられた。
振り返ると、金髪の人が、ここに連れてきた人達にお札をいっぱい渡してた。多分、何十万円も。聞いてたよりイイから色つけといた、また頼むわ、って聞こえた。
――売られた、って気付いたときには、もう玄関は閉まってて、金髪の人に寝室まで押し込まれた。
寝室にはもうひとり男の人がいた。大柄で坊主頭の。何か準備してるみたいだった。スマホ台とかデジカメとか、あと注射器があって、水の入ったコップに何か薬を混ぜてるのも見えた。
わたしはベッドに転がされて、動けなかった。わたしでも、これからなにをされるのかわかったから、逃げなきゃって思ったけど、縛られたりもしてないのに、身体に力が入らなかった。
怖かった。なにもかも。これからされること、見えた注射器、薬の入った水、撮影用の道具、最中のこと、終わった後のこと……逃げようとしたらぶたれるのかなとか、お父さんになんて言えばいいんだろうとか。
ねーキミ処女? って金髪に訊かれた。
あんたも初物好きッスねぇ。
そりゃー一生に一度の初体験だもんよ。俺の一生じゃねぇけど。
ところでどっちにしますかね? 打ちます? 飲ませます?
んー、今回ナシでやってみねえ? たまには反応楽しみてぇっつーかさ?
えぇマジすか。うるせーの嫌なんスけど。
見てみなってほら、この泣き顔めっちゃそそる。腰抜かして震えちゃってカァワイイ!
や、その辺わかんねッスわ。自分ゲイなんで。
ああそう? もったいねぇな……あ、俺のケツ掘ったらブッ殺すかんねお前。
自分ガキじゃねぇと勃たねぇんで。いままであんたにサカったことないっしょ。
あ、お前ヤんねーならさ、シコってこの娘の顔にぶっかけてよ。インスタ映えってやつだ、ぶははは! アップしねぇけど。
えぇそんな虚しい……ま、そゆことなら頑張ってみますわ。あ、撮影準備オッケーッス。
下卑た会話が聞こえる中、わたしはただ泣くしかできなかった。頭の中が燃えるみたいに熱くて、秒刻みで気が狂っていくみたいだった。
ほいじゃ始めますかねっと。
金髪が裸になって、わたしに覆いかぶさる。ゆっくり舐め回すように顔を近づけて、耳、顎、首筋と、鼻先がかすめていって、鳥肌が立った。
ボタンを引き千切るように、ブラウスが開けられる。胸元に触れた指のおぞましさと、ニヤけ面から漏れる口臭に身じろぎした。
おでこに硬い感触があったのは、多分、意図せず顎に頭突きする形になったからで、
次の瞬間に頬を殴られ、首がぐりってなって、骨の鈍い痛みと、口の中で血の味がした。
顔は駄目ッスよ、キズモノNG多いんだから。
やっぱやーめた。打っとこ薬。
暴れられたら痕残るッス。まー肩と肘外しときゃどうとでもなるッスけど。
オーケーそうしよ。一発キメときゃ大人しく――
そのときインターフォンが鳴った。男たちは初め気にせずわたしをうつ伏せに転がして、左腕を掴まれて肩を踏み付けられた。口の中に、金髪が履いていた下着が詰め込まれる。
腕を引き伸ばされて肩が軋んで、涙と冷や汗が止まらなくなったとき、インターフォンが連打されて、腕は乱暴に解放された。
あんだよクソガキどもが。
金髪が舌打ちして、ズボンだけ履いて玄関に向かう。一時的に助かったと思ったのも束の間、今度は仰向けになるように脇腹を蹴りつけられて、息が詰まった。
テメーでのこのこ来といてよ、嫌んなったら泣くとかさ。だから女は嫌いなんだよ。
坊主頭の忌まわしいモノを見るような暗い目付きに、一瞬萎んでいた恐怖がまた込み上げる。
彼はベッドに上がってくると、わたしのお腹を踏んで体重を掛けて、口の中の布の塊を抜き取った。反対の手には、コップが握られていて。
嫌なら飲んどけ。記憶トぶからよ。たっぷり可愛がってもらってるとこ、後で見せてやるよ。
こじ開けられた口の中に、薬入りの水が流し込まれて、鼻を摘まれた。息が苦しくて、溺れてしまいそうだったけど、全部吐き出した。拍子にいくらかの水が喉に流れていってむせた。
あ、そ。それじゃ腕壊すしかないな。しゃーない。
咳き込みながら、なにが理由で涙が出てくるのか、もうわからなかった。
これが全部夢であってほしいと思った。そしたら、怖い夢を見たからって言い訳をして、お父さんのところに戻るのに。
それから玄関から激しい物音がするようになって、しばらくして――その後のことは、意識が少しぼやけてて、はっきりとは憶えていない。受け入れがたい状況と酸欠で脳が限界だったのか、少しだけ飲み込んでしまった薬のせいなのかは、いまもわからないけれど。
誰かが寝室に駆け込んできて、わたしを踏みつける坊主頭を思いっ切り突き飛ばした。それから殴り合いが始まって、玄関からふらふら戻ってきた金髪も加わって二対一、まるで殺し合いみたいな乱闘だった。
なにがどうなってるのか、さっぱりわからなかったけど、最後に立っていた乱入者は大きく肩を上下させて、わたしの方に来た。
その人に抱き起こされて、半ば錯乱してたわたしは悲鳴をあげそうになった。でも寸前で、ぼやけた目でもその人の顔がわかってきた。
深凪、とわたしの名前を呼んだ。
夢だと思った。だって、お父さんがそんなところにいるはずないもの。
でもその顔も、背中に回した腕も、安心する匂いも全部本物のお父さんだった。
腰が抜けて力も入らないわたしを抱きかかえて、お父さんはマンションから連れ出した。
お父さんはその日、次の小説の打ち合わせで近くに来てたらしい。その帰り、偶然わたしを見かけて、周りの不良連中が気になって、様子を見ておこうと後を尾けてたんだって。マンションからわたしだけ出て来なかったのを不審に思って、不良グループを問い詰めて、部屋に駆け付けた。
帰り道、やっと自分で歩けるようになった頃、わたしはすごく後悔した。自分がばかすぎて、いますぐ死にたいって、結構本気で思っちゃうぐらい。
わたしはお父さんを裏切ったのに。十何年もくれ続けた惜しみない愛情に背を向けたのに。
なのに助けてくれた。自分がボロボロになっても、当たり前のように。
ずっと泣いてたから、ありがとうも、ごめんなさいも、言えなかった。
――もう絶対裏切っったりしないって、ちゃんと向き合おうって、決めたのに。次の日、お父さんはいなくなってた。
多分、お父さんはすぐ気付いてたんだと思う。マンションにいた金髪と坊主頭が暴力団か、その関係者だって。冷静になってきたら、わたしだってそう思いついた。
あのときお父さんは、わたしを助けるために、思いっ切りぶってた。少なくとも、動けなくなってるわたしを連れて逃げ出せるぐらいには徹底的に。
そうなってしまうかも、ってぐらいの話だけど、報復を恐れたんだと思う。逃げたっていうより、わたしを巻き込まないように。あのときのことでは、わたし達が親子だっていうのはバレてないはずだから。
生まれてからずっと一緒だったんだから、お父さんの考えることぐらいわかる。自分を犠牲にしてでも、わたしを守ろうって。
でもそんなの、わたしが許せない。
間違えたのはわたし。なのにお父さんが背負うなんて、おかしい。
わたしだって、お父さんを愛してる。だから今度はわたしがお父さんを守る、救ってみせるって決めた。
そうして調べ始めて、やっぱりあれは暴力団で、鷹柳会って名前だということ、お父さんが最上沢に向かったはずだって突き止めた。
……瀬堂さんは、前に、わたしに覚悟を訊きましたよね。
これがわたしの覚悟です。ヤクザと関わるなんていうのは、最初から腹を括ってます。
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