二_1、任侠探偵と、慈父の影
◇◇◇
あの後そのままソファで寝てしまっていたらしい。朝食を作った瀬堂さんに起こされて、男の目の前で無防備に寝るな、と寝ぼけ頭にお説教された。
起きたときブランケットが掛けられていたし、お説教されたあたり瀬堂さんの方が寝るのは遅かったのだと思う。それで先に起きて朝ごはんを作っていたのだから、いつ寝たんだろう。あまり眠らなくて大丈夫、とは言っていたのは本当らしいけれど。
朝食を終えると、行くところがあるとの事ですぐにマンションを出た。
ちなみに今日は前の学校の制服じゃなくて、ちゃんと着替えを持ってきていたので、そっちに着替えている――前の学校のジャージに。
緋州さんは「ジャージ姿も可愛いな」なんて笑っていたけれど、瀬堂さんはやはりというか、呆れ顔で「真面目か」と言った。皮肉ですねわかります。自分でもそう思う。
ともあれ、緋州さんが運転する車でどこかへ移動中、昨日よりすっきりした頭でふと思ったことを訊いてみると、助手席の瀬堂さんが丁寧に答えてくれた。
ヤクザを名乗った彼らに、仕事を依頼する、というか関わって問題なかっただろうか、という疑問。今更変な話だけど、いわゆる暴対法に触れるんじゃなかろうかと思ったのだ。
「確かに僕達はヤクザを名乗っているけど、厳密には異なる。というより、暴対法における指定暴力団ではないから、法的に定義されたヤクザじゃない。だから基本的には法律面での懸念は抱かなくていい」
「……つまり、ヤクザじゃないのでは」
思ったことをそのまま言ってみる。
「ただし、文字通りの意味での暴力団ではある」
と、さらりと怖い答えが返ってきた。
「こらこら、脅さないの。まあ炸夜くんの言う通り、ウチは暴力手段を持ってるけど、使うのは法に触れない状況と方法だけなんだ。もちろん、カタギの方には手を出さない」
「……うーん、よくわからなくなってきました」
暴力ってつまり暴行罪とか、その辺に引っかかりそうなものだけど、法に触れない状況だとか方法ってなんだろう。
「着くまで少し時間もあるし、成り立ちから全部話した方が一番早そうだ」
バックミラー越しに瀬堂さんが視線を向けてきたので、わたしは頷いて返す。
「まず、僕達というのがもしかしたら君の認識では探偵事務所の事かもしれないけど、探偵事務所はあくまで、母体であるグループの事業の一つに過ぎない。母体は
豊条グループ、というのにはなんだか覚えがあった。どこで知ったのか、話を聞きながら思い出そうとしてみる。
「豊条グループは遡ると江戸時代の武家らしいんだけど、武家という呼称自体に曖昧な部分があるせいか、ここは実のところあまり定かじゃない。明確になってくるのは戦後、日本中でヤミ市が盛んだった頃、豊条一族が長を務めるテキ屋系ヤクザ、豊条組が最上沢でヤミ市を仕切って拡大した。そしてヤミ市の需要と深い繋がりがあった物資統制が撤廃されていくと、豊条組は商社を立ち上げて、ヤミ市で培った商売のノウハウを活かして成功した。そこから最上沢と玄鳴を拠点として多事業展開をしていき、現在の豊条グループに至る。今では各部門を子会社化していて、流通や不動産から警備、清掃にシステム開発と多岐に渡る。探偵事務所も、元々はマーケティング等を担当してた調査部門を分化したものだ」
「……あ、思い出した」
漏れた呟きに瀬堂さんが反応したけれど、話の腰を折ってしまったので「続けて下さい」と頭を下げる。
行方を眩ませたお父さんの行き先を探る内、最上沢という答えが浮かび上がったときだ。そのときは、お父さんのこと以外どうでもよくて流していたけれど、いわく、最上沢は豊条の縄張りだ、と。……あれ、他にもなにかあった気がする。
「まあそんな風に、地域型企業としての変遷を遂げたわけだけど、その実、ヤクザとしての形質は受け継いでいる。利益を得る為、あるいは不利益を回避する為、暴力的手段による解決を厭わない――といってもそれが犯罪行為ともなると、必然的に後の不利益に繋がる。よって、利益不利益の基準は明確だ。利益とは、お得意様である住民の皆様方の日々の安息。不利益とは、それを脅かす輩、つまり暴力団や半グレといった犯罪組織の類」
「ということは……正義の味方、みたいな」
「そのつもりはないけど、格好付けて言えばそうかもね。尤も、相手がその手の人間であってもこっちから手を出せば有罪だ。正当防衛に収める為、原則として専守防衛を貫く。当然、銃刀法に触れる武器も御法度。任侠映画みたいに刀振り回したり拳銃撃ったりなんてのはしない」
それらの説明で、この人達の性質が、なんとなくわかった気がする。
ボディーガードである緋州さんが身軽な格好してるのは、そういうことだからかな。
「ていうか、ボディーガードがついてるっていうのがすごいですよね。あ、所長さんだからか」
「所長だからっていうか、炸夜くん、会長の息子さんだからね」
「……へっ?」
会長って、グループの会長だよね。その息子?
「子会社とはいえ、血縁関係もないのにこんな歳で事業一つを任されるわけないでしょうに。跡継ぎとしての社会勉強という事で所長やってるんだよ」
「え、や、親戚なのかなー、とは思いましたけど……豊条さん、じゃなく?」
瀬堂さんは言い辛そうな微妙な顔をして、代わりにけたけた笑う緋州さんが答えた。
「豊条さんで合ってるよ、先代まではね。先代の一人娘、つまり炸夜くんの母上がさ、結婚する時相手にベタ惚れで、婿を取るんじゃなくて自分が嫁になる、って聞かなかったらしくて。それで苗字が豊条から、現会長の瀬堂姓に変わったの」
代々親族で継いできたヤクザが、名前だけといっても変わるって、相当な騒ぎがあったんじゃないだろうか。
「あれ……でもそんな立場だと、護衛の人ってお一人でいいんでしょうか」
もっと、こう、そんな偉い人って五人ぐらいの人がいつも周りを囲ってる、みたいなイメージを勝手に持ってるのだけど。
「普段からぞろぞろ連れていても悪目立ちするだけだからね。専属の篝さんは見ての通りかなり若手だけど、グループ内の荒事担当でも三番目の実力者だよ。そこらの武闘派ぐらいじゃ束になっても敵わないし、相手が拳銃持ってたって豆鉄砲と同じだ」
「
……なんだろう、歴史と伝統の一家、みたいな。瀬堂さんの家庭的な高校生っていう面で全然気付かなかったけど、実はわたし、ものすごい人達と関わったのか。
緋州さんは気さくなお兄さん(女の人だけど)って感じで、瀬堂さんは色々な顔を持つらしい。思えば初めは通りすがりの人で、そこから転校先の高校生、探偵さんで所長、ヤクザでグループ企業会長一族の御曹司。明らかになっていった肩書は、なんだか別世界の人みたい。
――ふと、思うことがあった。
「あの……全然話変わっちゃうんですけど、ハンズ探偵事務所っていうのはもしかして?」
一瞬二人はきょとんとした顔になって、瀬堂さんが得心したように鼻を鳴らした。
「名刺にフリガナ振ってないから、そう読んでもおかしくないか。むしろ、そう読んでいたのなら良い勘をしている。探偵事務所の名前はそのまま『エイチアンドエス』だよ。
うわあ、と心の中で密かに。勝手に飛躍した解釈をしてなんとなく運命的なものを感じたりしてたから、すごい恥ずかしい。そう読んでたのを口にしたのは初めてだから、知らんぷりしてればいいのだけど。
バックミラー越しに瀬堂さんは、冗談っぽく口の端を吊り上げた。
「そういえば初めに話した時、手をどうこう、って言ってたね」
バレてるし。そしてやっぱりこの人、いじわるさんだ。
そんな話をしている内に、緋州さんの運転する車は目的地に着いた。
オフィスビルが立ち並ぶ一角、そこだけ屋外に駐車場が併設されているビルの一階。そこで、お父さんの捜索を行うにあたり、会議を行うのだそうだ。
コワーキングスペース、という業態のお店らしい。オフィス外で仕事をする人向けに場所を提供するところだそうで、ここもグループ傘下の会社が運営してるのだとか。
「HandS探偵事務所は、事務所と銘打ってはいるけど登記上の所在地はグループの本社になっていて、実際に事務所を構えているわけじゃないんだ。所員が顔を合わせる必要がある時にここを使う。大抵は予約制の会議室を借りてね」
「……? 事務所を構えてないって、普段どうやって依頼を受けてるんですか?」
車を降りながらそう説明してくれた瀬堂さんに問いかける。わたしのときは、たまたま会った彼が所長だったから、紹介、みたいな形になると思うけれど。
「それはね深凪ちゃん、君のお父さんの件は、いわば所長特権ってやつだからだよ」
「??」
「探偵事務所って看板は、業務の性質上、探偵業の許可が必要だったから、それを明示する為なの。依頼は全部豊条系列の会社からで、マーケティング調査と、ヤクザ絡みの案件が発生した時はその調査。つまり依頼窓口自体ないから、深凪ちゃんのが外部からの初のお仕事」
「ぅえ? よ、よかったんですかそれ」
「良いも何も、いま篝さんが言ったようにヤクザ絡みだ、少なくとも僕の認知してる範囲ではね。確かにイレギュラーだけど合理的判断ってやつ。窓口は設置してないけど、外部の依頼を受けるなって規定もないし」
何も問題ないとばかりに肩を竦める所長さんと、その秘書さんについていって、コワーキングスペースに入っていく。
お仕事する場所、と聞いていたからこう、かっちりしたオフィスみたいな場所なのかと思っていたのだけど、個人経営の喫茶店、みたいなイメージの空間だった。テーブルを初め調度の多くは落ち着いた木目調で、明かりも強すぎず暗くもなく、目に優しい。そういえば店長の趣味でカフェとしての営業もしてるって言ってたっけ。渋谷か原宿にでも出店すれば人気スポットになりそうなオシャレな感じ。
「いらっしゃ――あ、おはよーッス。もー皆さんお揃いッスよ」
先を進む二人を見て、入り口近くのレジカウンターから店員さんがそう声をかけた。派手めの私服の上に黒いエプロンを掛けた、わたしや瀬堂さんより少し年上っぽい女性。日焼けした肌に金に染めた髪、ばっちしキメたメイクという出で立ちの割には、声のトーンも顔立ちも人懐っこそうな感じがした。
二人が頷いて会議室に向かおうとして、「あ」と店員さんが瀬堂さんを呼び止める。
「さっちん、さっちん、あの人来てるよ」
「む、そうですか……少し挨拶して来ます。篝さん、先に皆さんの紹介をお願いします」
了解、と緋州さんがわたしを伴ってお店の奥にある会議室に向かう。瀬堂さんは客席の方に。そっちの方を見てみると、朝早くだからかほとんど人のいない店内の角、カウンター席でひっそりとノートパソコンで作業してる人がいた。
その後ろ姿に、一瞬どきっとして――声を掛けた瀬堂さんに振り向いた横顔で、それは急激に萎んでいく。
顔を見ていなければ、思わず「お父さん?」と声を掛けてしまうところだった。
その人はほっそりした中年の男の人で、年頃も背格好も、お父さんにそっくりだとつい期待してしまった。でも顔はまるで違った。良くいえば優しそうな、悪く言えば気弱そうなおじさん。お父さんは性格の割に、いかついというか、漁師が似合いそうな顔の人なのだ。
よく考えてみれば、そんなわけはない。捜索の必要資料ということで、顔の写った写真も渡してある。あの人は瀬堂さんの知り合いらしいから、もしお父さんだったらとっくに調査が終わっている。
「深凪ちゃん、どうかした?」
緋州さんに呼ばれて、わたしは開けてもらった会議室の扉をくぐる。
お父さんの捜索は、これからだ。この場にいるのは、それを手伝ってくれる、心強い人たち。
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