七_4、外道と、純真

          ◆◆◆

 石段を降りるとその周辺、先程まで織原さんがいた近辺は倒れ伏す男が何人かいるのみで、僕の存在に気付くような意識のある鷹柳会構成員はいなかった。織原さんと篝さんの姿もない。

 篝さんとしては護衛対象をこの場から脱出させたいだろうが、背後が山になっているこの神社の出口は、まだ戦意のあるヤクザ達が残る正面にしかない。脇を逸れて境内を囲う植え込みを抜ければ外に出られはするが、まあ、紳士かつ対象を護り切れる自信のある篝さんなら正面を選ぶだろう。事務所を出る前に確認した監視映像の位置からしても、まだ遠くには行っていないはず。

 篝さんもそうだが、豊条の人間に見つかるのもよろしくない。監視カメラに捉えられるのはわかっているが、事務所から位置情報を共有されるだけの時間があれば充分か。

 それでもなるべく物陰に身を隠しながら歩を進め――

「…………」

 木の陰から見えた銃口に、動きを止める。

 その瞬間まで気配をまるで悟らせなかった長身の男は、僕に銃を向けたまま後ろに回り込んで、背中に硬い感触を押し付けてくる。……背中か。頭なら致命傷になりやすい代わりに射線を外すのも比較的容易だが、背中は面積が広いぶん逃れるのが困難な上、臓器に被弾すれば命に関わらずとも重傷だ。

 両手を掲げ、無抵抗の意を示す。

「どうせ知ってんだろうが一応挨拶しといてやる。鷹柳会若頭の師々戸ってモンだ」

「……これはこれは。次期後継者にお会いできて光栄ですよ」

「こっちはがっかりだ、どこぞの次期後継者サマは間抜けと来た」

「お恥ずかしい限りで。あなたは隠れるのが上手なようだ」

「目立つのは兵隊の仕事だからな」

 自分の癇癪で部下を殺して別の部下を身代わりに刑務所に送った男がよく平然とまあ。今時の極道社会、頭数だけでも貴重な資産だというのに。

 背後で懐を探るような音がして、ジッポライターが鳴る。タバコか。

「面倒なコトしてくれたもんだ。なぁ? これが共食いさせる罠だってミエミエなんだよ」

「でしょうね。でもあなた方は最上沢に来なければならなかった」

 今日が夏祭りの開催日でない事は調べればすぐわかるし、織原さんの情報を露骨にリークしたのだから、この状況に持ち込む算段だと見抜かれているのは想定内だ。それでも直系派に織原さんを奪われるリスクを考えれば、虎の穴でも踏み込まざるを得ず、実際その通りになった。

「織原深凪を餌に使ったのは驚いたがな。だが……お前さんはなんで現場に出てきた? 俺の首は高得点だろうからな、少しでも手柄が欲しかったか?」

 吐き出された紫煙が左側頭部をかすめていく。それよりも濃い筋を描く副流煙も左側を。風はない。なら、いま僕の背中に押し当てている拳銃は右手か。

「…………」

「……ま、こうなっちまえばどうでもいい事だ。織原深凪、頼んだぜ」

「なるほど。隠密行動していたのは僕を狙って。そして僕を人質にして、罠にかからず餌だけ頂いて行こうという腹積りでしたか」

「物分りのいいガキは好きだぜ。で、納得したなら早くしろよ。俺の気は短ぇんでな」

 肩を竦めて見せて、事務所に入った時に付けたインカムへ手を伸ばす。


          ◇◇◇

 緋洲さんが手を掴むと相手は膝をついて、空いた手でその喉を絞めるとほんの何秒かで白目をむいて倒れ込む……さっきから何度も見てる光景だけど、なにがどうなってそんな風になるのかわからないまま。緋洲さんがそれぐらいすごいって納得するしかないのかな。

「緋洲さん、大丈夫ですか?」

「余裕余裕、朝飯前だね。深凪ちゃんこそ問題ない?」

「それはもちろん」

 炸夜さんに電話をかけてから、ずいぶん時間が経つ。そのときに比べれば、周りから聞こえる怒鳴り声や、嫌な音は大人しくなってきた。

 ……がんばってみる、なんていったけれど、どう考えてもわたしに役に立てることなんてない。

 炸夜さんってつくづく、ひどいことをする人だ。初対面でばかっていうし、人の口に如雨露突っ込むし、騙してヤクザおびき寄せる餌にするし。

 そんな扱いに文句言えないぐらいお世話になってるけど。炸夜さんの厚意がなければ、とっくに知らない土地で野垂れ死んでたのだし。

 炸夜さんが、せめて危ない目に合わなければいいのだけど、これを仕組んだ張本人なんだから大丈夫だと思う。

 心配ごとは、それだけ。わたしが危ない目に合うのは別にいい。仕方ないから。帰る場所も、食べるご飯も、お金もない。お父さんもいない。わたしの裏切りが招いた結果。極端な話、ちょっとは怖いけど、死んだって構わない。

 でも炸夜さんはだめ。わたしにいじわるするけど、彼はわたしと違って、生きてて意味がある人だから。わたしの知る中で、二番目に尊い人。

「ん、どうかした?」

 緋洲さんの声に驚いて見てみると、周りに目をやって警戒しながら、耳に指先を当てていた。なにかイヤホンみたいなの付けてると思ってたけど、どこかと連絡が取れるらしい。

「うん、例の若頭はまだだけど……え……了解」

 耳から指を離すと、緋洲さんは周りに注意を払いながらわたしの方に寄ってくる。

「炸夜くんからだ。深凪ちゃんを連れて来いって」

「わたしを……どうして?」

「よくわからない。打ち合わせでは聞いてないからさ」

 そう言う緋洲さんの顔は本当に訝しげだ。なんだろう。炸夜さんは決まってる段取りがあるならちゃんと共有する人だし、なにかトラブルなのかな。ならわたしはいらないはずだけど……ああ、緋洲さんだけ連れていったらわたしが一人になっちゃうからかな。

 神社の出口の方に向かっていたのを引き返して、緋洲さんが前に出てゆっくり進む。いまはもう静かなものだけど、それでも警戒はとかないままで。

「――そこで一旦止まれ」

 知らない男の人の声がした。低くてよく通る、なんていうか、威圧的な声。

 屋台の影から、炸夜さんが出てくる。どうして? 事務所にいるっていってたのに。それに、バンザイするみたいに両手をあげて。

 その後ろから、炸夜さんの背中に何かを突きつけながら背の高い男の人も。ひと目でわかる、その筋の人。緋洲さんが息を呑んだのがわかる。

 ……うそでしょ。最悪だ。


          ◆◆◆

「そこのお前、ツラ知ってるぜ。毒蛇とか呼ばれてる奴だな。いいか、この距離より近づくなよ。なおかつ、俺の視界から外れるな」

 手出し出来ないよう釘を差された二人の位置は、距離にして二十メートル弱というところか。表情に隠しきれない驚きに混じって、僕が人質にされている状況を察した絶望のようなものと、助け出す道を探る思案の色が見て取れる。

 ――全部計画通りだ。下手を打てば、僕が命を落とす事になるけれど。

「ほう、写真で見るより別嬪じゃねえか。織原深凪、両手を見えるようにしながらこっちに来い。なに安心しろ、お前さんにゃ何もしねえからよ」

 そう言われても織原さんは躊躇していたが、

「この坊っちゃんにいくつの穴が開くか、お前さん次第だ。ゼロが一番いいだろ?」

 悔しげに歯噛みし、言われた通り両手を軽く広げて見せながら、ゆっくり歩いてくる。

 その間、ここからの流れを頭の中でシミュレートする。今日までに描いた絵図は、脳裏に浮かべる度に精彩を増していき、師々戸と遭遇してから何度も何度も繰り返した。

 ……師々戸は実際に撃つ気はないだろう。脅しに使えているのは現状の通りだが、会場全域がカメラで監視されている事ぐらい気付いているはず。つまり自分が、少なくとも拳銃に見える物を人に向けている記録を取られている事を。ここを去った後、撃たないままでいれば警察の追求を逃れる術もあるだろうが、一発でも撃てばそれも出来なくなる。

 だけど、それでは足りない。引き金ぐらい引いてもらわないと。

「…………」

 織原さんが近づいてくる。十メートルぐらいか。……もう少し。

 九、八、七……よし。

「そこでストップ」

 僕の言葉に従ったのか、あるいは単純に驚いただけか、彼女は目を見開いてその場に立ち止まった。

「なに勝手な真似してんだ?」

 背中に銃口が触れる。さすがに緊張するな。

「いえね……いい加減、腕を上げているのも疲れてきたのですが」

「黙っとけよ。俺の機嫌を損ねるな。指が滑ったらお前も困るだろ?」

「困りますね。そんな安物で撃たれるのは」

「……あぁ?」

 師々戸の声に苛立ちが混じる。織原さんも篝さんも顔を引き攣らせて、何を言っているんだと心の声が聞こえてくるような気さえする。

 挑発しているのだから当たり前だ。ヤクザの胆力をなめるな。

赤星マカロフなんて代物で撃たれる身にもなってくださいよ。しかも相手は組の若頭ときた。あまりのチープな扱いに泣けてきますよ」

「……ガキらしい発想だな。アメリカじゃねえんだ。撃って当たるモノ持ってりゃ勝ちだ」

 背中により深く、銃口が押し付けられる。

 ……やるか。後は僕次第、最後は神のみぞ知る。賭金ベットはまあ、僕の命だが。

「あなたの為に言っているんですよ、師々戸さん。そんなモノ持って粋がってちゃナメられますよ。これから組長になるというのに、恥ずかしい」

「……俺は今日、気分が良かったんだがな。死にてぇガキがいるらしい。最悪の気分だ」

 銃口が、更に強く。若干仰け反り気味になる程。

 そうだ、僕の言葉に意識を向けろ。

「ところで一つ、気になっている事が。よく経験する事なんですが――」

 タバコ臭い息が、深く吐かれる。

「――何故、護衛付きの生意気なガキって、弱いと思われるんでしょう?」

「……ああ?」

 言葉の意図を掴もうと、わずかに意識が逸れた。息が吐き切られた瞬間を見計らって、僕は後ろへ踏み込みながら上体を捻る。押し付けられていた銃口は背骨を掠めて逸れていき、密着状態だった射線が外れた。

 そのまま師々戸の手首を外側から右肩で弾くと、射線が更に左へ逸れる。流れを崩さず、姿勢を低くしながら師々戸の右脇腹へ、旋回力を乗せた右の肘鉄を叩き込む。

「――ッ、テッ」

 隙が生まれる。決して大きくはないが、充分だ。

 両手で師々戸の手にあるマカロフを掴み――――頭に衝撃が走る。掴んでいた拳銃を振り払われた上で反対の肘で殴り飛ばされた僕は、勢いに任せて地面をごろごろ転がっていく。

 すぐに身を起こして頬を押さえる。歯で頬の内側が切れて、瞬く間に口の中に血が溜まっていく。思っていたより痛いが、まあいいか。

「テメエ、殺す――!」

 銃口が僕に向けられる。僕が解放されて篝さんは即座に駆け出していたが、引き金が引かれる方が早い。

 師々戸の判断は理解できる。人質に凶器を握られたらお終い、お縄待ったなし……ならせめて、拳銃の利を活かしに距離を取り、憂さ晴らしとばかりにありったけの弾をぶち込む。短気な性格というなら、予想できる展開だ。

 短気は良くない。どんなに能力があろうと、いつかは何かを見落とし何かを間違える。組長の器じゃないな。だから、だ。

 僕に銃を向ける師々戸の姿が、視界から掻き消えた。射線に飛び込んで来た人影が覆い隠したから。

 篝さんではない。まっすぐ師々戸に向かっている彼女は、きっと仕掛けに気付いたから僕の護衛を放り出して師々戸を捕らえる方を選んだ。

 僕の前に立ち、盾になろうと両手を広げているのは、織原さん。

 ああこれは、笑みが溢れても仕方ないというものだ。

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