七_3、外道と、純真
◆◆◆
「首尾はいかがです?」
本殿横に設置されたプレハブの運営事務所に入ると、順調です、とすぐに答えが返ってきた。
インカムを耳に付け、夏祭りのために会場中に設置した監視カメラ映像に目を向ける。そこには期待していた通りの会場の様子が映し出されている。
状況を一通り自分の目で把握しておこうと思った時、携帯が鳴った。相手は織原さん、まあ、来るだろうとは思っていた。
『炸夜さん、いまどこにいるんですか!?』
「運営事務所。関係者以外立入禁止だから、来ちゃ駄目だよ」
『あの、いま、会場が大変なことになってるんですけど』
「というと」
『……なんか、その、鷹柳会の人たちが、色んなところで殴り合いしてて』
「その事か。知ってる」
『知ってるんなら逃げてくださいよ!!』
彼女らしくない怒声に、思わず耳から少し離してしまった。
「……驚いた。そんな形で怒られるとは思っていなかった」
『なにいってるんですか、このままじゃ、ここ危ないですよ!』
「そっくり返すよ。君こそ、奴らに捕まらないようにした方がいい」
『わたしなんかどうだっていいんです!』
まいったな、状況は想定内なんだけど引き下がってくれそうにない。下準備は整えたのだし、種明かしをしてもいいか。
「織原さん、嘘をついたつもりはないけど、騙した事が二つある」
『だま……へっ?』
「一つ目。夏祭りは二日間開催だけど、明日からなんだ」
『え、明日……? なに、それはどういう……?』
最後の賭け。その為に準備してきた事は、今のところ功を奏している。
運営を任された夏祭りを、鷹柳会の戦場にする。それが、描いた構図。
思い付いて最初に実行したのは、夏祭り会場を前日、つまり今日までに、あたかも開催されているように全て整える事。開催日そのものを後にズラす事も考えたが、その手配に手間を要してしまうし、この土地に詳しくない鷹柳会を騙せれば充分だった。
「悪いけど、細かい所まで答える暇はない。二つ目は、デートの事だ。僕は君にデートを要求したが、目的は君を会場の奥まで連れて行く事だよ」
『……わたしを、この場所に?』
「そこら中で喧嘩している鷹柳会の連中は、派閥間抗争の真っ最中だ。君を奪い合って、互いを潰している所」
『……わからないです。鷹柳会でも、直系派はわたしのこと知らないはずですよね? それじゃまるで、両方が知ってるみたいな――』
「知ってるよ。僕が教えたから」
『――――』
下準備段階で、一番の賭けだった点。
若頭派から得た情報を鵜呑みにしている久山に、織原漣至の娘の存在と、若頭派の狙いを電話で伝えた。夏祭りに訪れるまでの居場所を除いて、全て。行き詰まっていた彼らは、目的に繋がり得る人物と共に、敵対派閥の虎の子を奪う為、行動を起こす。
派閥間の均衡は若頭派が優勢だった。そこに送り込まれているスパイが二重か、或いは同じように直系派にも内通者が紛れていると踏んだ。そこを通じて、付け狙っている織原さんの所在と、それを直系派が掠め取ろうとしている動向を掴み、対抗しに動く。
読みが一つでも間違っていたら、ここは戦場にならなかった。若頭派側の内通者の有無、神輿を失ってなお牙を失わない醸成された敵対関係。その他情報の流布。全てが整って完成した舞台で、いま抗争が起きている。
『…………把握、しました。つまり、わたしは餌なんですね』
「悪いと思ってる。だが僕も仕事でね。いつまでも目障りな鷹柳会にはさっさと消えて頂きたいんだ。君が契約していた探偵事務所のではなく、ヤクザとしての仕事だ」
『………………』
いま彼女はどんな顔をしているだろう。怒っているか……というか、恨んでいるだろうな。
本当はもう一つ、騙している事がある。この意図だけは、教えられない。
契約を終了する事。交わした契約の中には、織原さんの安全を保障する条項を盛り込んでいた。それが有効なままだと都合が悪い。ここまでしておいて契約もクソもあるかという話ではあるが、反故にはしていないという建前だけでも用意しておきたかった。
最上沢に土足で踏み込んだ鷹柳会を潰す、それが目的なのは本当だ。事実、豊条としては今その為に動いている。
僕個人の目的は、織原さんを危険に晒す事、その一点の為だけに今日まで準備してきた。
実に効率的で、下衆の極みだ。
『…………わたしが餌になるのは、お礼になると考えていいんですね?』
「……どう受け取るかは自由だけど。無論、憎まれるのは承知だよ」
『わかりました。じゃあ、がんばってみます』
電話が切れた。多少なりとも以前の彼女を知る身からすれば、自ら危険に飛び込もうとするような発言は、どことなく様子がおかしく見受けられる。
けどそれも想定内……いや、期待通りだ。
いくつものモニターに映された監視映像を注視する。会場全域をカバーできているその中では、織原さんの言葉通り、数十人規模での抗争が繰り広げられている。伊縫さんの情報通り大半は素手だ。一部はバットのような物を持ち込んでいるのも見受けられるが、鉄パイプ状の物も見られる。何処から調達した? ……ああ、壊されている屋台があるな。その骨組みか。祭りで使う在庫は置かせていないからそちらは無事だろうが、明日までにうちで補償して修繕しなければ。
中にはドスを持ち出している者もいたが、それは会場に紛れ込んでいる豊条の制圧班が速やかに処理している。この神社を舞台に抗争を起こさせはしたが、事件性の高い展開は望まれない。若頭派と直系派のどちらかが勝つ事も。好きなだけ暴れてもらって構わないが、勝者も敗者も須く、最後には地に這ってもらう。
会場の確認はそれぐらいか。今の僕の関心は織原さんの現在地だ。……いた。別れた時点の神社の最奥から少しずつ動いて、今は屋台の影に隠れ潜んでいる。その傍には篝さんの姿もある。
この抗争を起こすにあたって、絶対条件となるのは一般人である織原さんの身の安全だ。そのため、普段は僕の護衛についている篝さんに彼女を守ってもらう事にした。篝さんが傍にいる限り、織原さんはかすり傷ひとつ負う事なく抗争も終わるはず。全幅の信頼を置いているからこそだが――故に篝さんの存在は最大のネックだ。
準備は万端、ここまでに打てる手は全て打った。でもまだ賭けに勝てたわけじゃない。必要な手札もまだ揃っていない。
「若、会場の入り口を見てください」
言われて該当のカメラ映像に目を向ける。黒のセダンから降りてきた背の高い男が、取り巻き達に何がしかの指示を出しているようだ。そうして自らも神社に踏み入っていく。
「……まさか師々戸が直々に現れるとは」
「要注意人物です。制圧は出来ますが、各員に警戒を促します」
資料に載っている写真以外で見るのは初めてだが、白髪交じりの髪を撫でつけた、細面の険しい顔立ちは覚えがある。勢力的にはもはや後継者確実と言える鷹柳会の若頭が訪れるのは、可能性としてだけ考えていた。内紛が起これば直系派を完全に潰す好機なのだとはいえ、頭を失い木偶と化している組織を相手にここまで本腰を入れるとは。
会場のモニタリングをしている部下の言葉通り、彼は要注意人物だ。織原さんの協力を欲していた若頭派とてこの状況ではなりふり構わないだろう。命まで奪う事はないはずだが、些細な事で部下の腕を切断し死に至らしめた経歴は無視できない。
「…………」
それと、もうひとつ。
視界の端、別のカメラ映像に、最後の手札が映っているのが見えた。
……これで後は、僕の動きと成り行き次第、か。こうなれば師々戸の来訪も好都合だ。鷹柳会の幹部の中で最も情報が集まっており、なにより彼は危険だから。若頭自ら豊条のシマに足を踏み入れたのも、無事に出られる算段があるのだろう。
……腹の腑が少しずつ沸き立つようだ。理想的なほど上手く事が運んでいる高揚感と、上手く締めくくれるかという不安感が綯い交ぜになった、この感覚。悪くないな。
さて、行動開始といこう。
「会場の制圧は大半が完了したようです。そろそろ警察との連携も始めましょうか若。……若?」
僕は何も告げず、足音も立てないようにして、部下の視界に入らないようにして運営事務所を出ていく。
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