七_2、外道と、純真
◇◇◇
「傷の具合はどう?」
「おかげさまです。自分でも、よーく見ないとわからないぐらい」
「それは良かった」
シャキ、シャキ、と音を立てて、髪が風呂場の床に落ちていく。
「炸夜さん、だいたいなんでもできるって聞いてましたけど、髪切るのもできるんですね」
「この長さのは初めてだけどね。篝さんの髪はいつも僕が切ってる。あの人、美容室とか行きたがらないから。行く度にモデル頼まれるのが面倒で」
「それって女の人として? 男の人として?」
「確認する時点でわかってるでしょ……おっと、笑っちゃだめ。耳危ない」
思わず笑いかけたら、しっかり頭を掴まれて固定された。向けられた鏡で、ポンチョみたいなアレを付けて散髪される自分の姿を見る。
炸夜さんがデートしようといってから一週間。彼は「ただし」と注文を付けてきた。
可能な限り協力はするから、身なりを整えること。食事もちゃんと摂って健康志向、習慣だった諸々もちゃんとやること。
食事はなんとかなった。あんな状態でも一度摂れたからか、それともやらなきゃいけないことができたからか、食べなさすぎて気持ち悪くなることはあっても、粗相はしなかった。
身体中に自分で付けてしまった傷痕も、何重にも付けたりスポンジで強く擦ったりカミソリで悪化させた割には、日々の治療を経てほとんど治った。
問題は髪だったのだけど、思っていたほどひどい状態じゃなかった。千切ったりしてしまったぶんは切り揃えるしかなかったけど、こう、色々かけてしまったにしては無事だった。炸夜さんによると、毛というのは酸で溶けないのだそうだ。たしかに猫も毛玉吐くもんね。
お父さんに頭を撫でられるのが好きで、その心地良さを少しでも返してあげたくて、大切にしていた髪だけど。いまは、そこに未練なんてなかったから。
「――だいたい、こんなものかな。どこか直したい所はある?」
「大丈夫です」
炸夜さんが手鏡を持ってきて、後ろ側も見せてくれる。切るとはいったけど、長さはロングのままだった。腰まであったのが、肩甲骨のところになったぐらい。夏場だし短くしても、といったのだけど、いきなり切りすぎても落ち着かないだろうから、だって。出来栄えは文句なしで、これでシャンプーとかのサービスがついたら美容室と遜色ない。
つくづく、すごい人だ。もっとなにか語彙はないのかって思うぐらい。
そんな人と、今日これからデートなのだ。
「……え、ちょっと炸夜さん、ズルくないですか。わたしだけバッチシなんて」
「生憎、僕は篝さん程容姿に恵まれていないからね。気合の入り方は違うよ、マイナスで」
デートを申し込んだ本人はいつも通りの動きやすいラフな格好で、わたしはオシャレを決め込んだおめかしコーディネート。簡単にだけど緋州さんがメイクまでしてくれたのに。
……んーと、まあ、わたしからのお礼ということなんだし、わたしが完全装備でいくのはわかるんだけど。こう、なんか違くないかな。
「それじゃ、ごゆるりと」
夕方、夏祭りの会場の近くまで車で送ってくれた緋州さんは、ひらひら手を振って一人で会場のほうに向かっていく。今日はお兄さんのナンパに付き合うとか、そういうのはないらしい。
「……織原さん、僕達も行こうか」
頷いて、半歩先を歩く炸夜さんについていく。
夏祭り会場は、山の麓にある神社と、その参道。長くまっすぐ続く石畳の両脇に真っ赤な提灯がレールみたいに続いていて、その下にも出店がずらっと並んでる。
……デート、かぁ。あまり実感が湧かないというか、正直よくわからない。経験ないもの。
どうしたらいいんだろう。なにかおしゃべりしたり、出店を回ったり?
とりあえず手を繋いだりしてみたらいいんだろうか、と思ったのだけど、炸夜さんは両手をポケットに突っ込んでいて、どうもお望みということではないらしい。
……なんでデートなんだろう。報酬として、わたしがしようとしたことに彼は怒って、そのことに納得はした。でも代案がデートってなんだろう。
わたしのこと好きだから? ……やっぱり違う感じがする。
好きでデートを要求するぐらいだったら、あのとき怒らなくてもよかったと思う。
というか、自分でもドン引きするような有様だったのに、それで好きってどうかと。
だいたいいまだって、わたしの中にある漠然としたデートのイメージともかけ離れてる。お話するわけでもないし、どこかのお店を覗いたりもしてない。緋州さんが見繕ってくれた服もちょっと気になる。夏祭りといえばやっぱり浴衣じゃないだろうか。
それに……わたしのこと、苗字呼びのままだ。一度は名前呼びになったのに、花火大会の日を境に戻ってそれっきり。戻った理由はなんとなくわかるけど、いまも、まだ。
……これって、デートなの? そんな疑念がふとよぎる。
こんな、ただ歩いているだけの。炸夜さんがそれでいいなら、わたしは拒めない。でも、腑に落ちない。
わたし、お父さんの事があったから、ちゃんとお礼ができないのは嫌。炸夜さん、宿無しのわたしを住ませて、ご飯も作ってくれた。色んなこと教えてくれたし、わたしがおかしくなったときも突き放さずにいてくれた。ここに来てからずっと迷惑かけて、お世話になりっぱなしだったのに。
また、ありがとうもいえないまま、さよならなんて嫌だ。
……さよなら? どうして、そんなことを思うのだろう。なにか忘れてる。
それに……さっきから妙な感じがする。夏祭りの雰囲気なんて東京のしか知らないから、そういうものだと思おうとしてた。
お祭りだっていうのに、まるで賑わってない。参道には人が少なくて、見かける人達も楽しみに来ている感じじゃなくて……そう、豊条の本家屋上で見かけたような……それに、もしお祭りの開催が夜からだとしても、並ぶ屋台に人がいないのは、さすがにおかしいんじゃないか。
「――さて、ここまでだ」
不意に発せられた炸夜さんの言葉に、周りに向けていた目線を前に向ける。
気が付くと、夏祭り会場になっている石畳の街道の一番奥まで来ていた。そこから先は会場ではないらしく、短い階段を登った先に本殿があるだけ。
「これにて、デート終了」
「……え……?」
なにをいってるの? こんな、ただ一緒に歩いただけで、お礼になんてなるわけない。
「報酬の受け取りを確認しましたので、我が探偵事務所と、織原深凪さんの間に締結された契約は、ここで満了となります」
……そうだ、契約。報酬だなんて考えていたのに、なんでそれを、忘れていたんだろう。
「……うそ、こんなの、デートなわけ」
「残念ながら、僕はそういうの疎くてね。充分デートだと思ってる。それと言い忘れていたんだけど、この夏祭りも豊条の主催で、今年は僕が運営を任されている。これからそっちに向かわなきゃいけないから、ここでお別れだ」
契約の中身は覚えてる。一度炸夜さんに騙されてちゃんと読んだから。炸夜さん達の仕事は、お父さんを捜すことだけじゃない。わたしの生活の保障もある。
ぞわっと、足元が凍りついたような気がした。わたしに背を向けて石段を登っていく炸夜さんを、わたしは追いかけることもできず、ただじっと見るしかできなかった。
わたし、どこにいけばいいの? 契約が終わるっていうことは、もう、帰る場所もない。
元々、過ぎた甘えだったのはわかってる。あそこでの生活を取り上げられたって、そのこと自体になんの文句もない。わたしがいま生きているのは、契約のおかげだもの。
だけど、契約が終わってしまったら、わたしに生きていく方法がない。
そしたら、どうやってお礼すればいいの? さっきのがお礼になるなんて全く思わない。なのに、いつ、どうやって?
ひとりぼっち、ばかみたいに途方に暮れて。
「……? え……なに?」
乱暴な足音が聞こえて振り向くと、大柄な男の人がこっちに向かってきながら、手を伸ばしてきていた。
見覚えのある傷跡。たしか久山って呼ばれてた――
「それはダメだ」
その手指を、横から伸びてきた手が素早く絡め取って捻り上げる。膝をついた久山がそちらを忌々しげに睨みあげた。
「テメ、『毒――」
「悪いけど相手してる暇ないんだよね」
そう言うと、まるで容赦のない膝蹴りが鈍く高い音を立てる。顎を打ち抜かれた久山は、力なくその場に倒れ込んだ。
「緋洲、さん……?」
入り口で別れたはずの緋洲さんが、わたしに背を向けて周囲に注意深く目を走らせる。
「怖がらせてごめんよ。オレからあまり離れないで」
「あの、これ、どうなって……」
「……これからここは戦場でさ。鷹柳会の連中がこの神社に集まって来てる」
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