七_5、外道と、純真
◇◇◇
なんだかもう、本当になにが起こってるのか、さっぱりわからなかった。
炸夜さんがなにをしたのかは、見えなかった。多分、殴ったとかだと思う。
けどすぐ、師々戸、と呼ばれた人が炸夜さんを殴り飛ばした。さっきは隠れていて見えなかったその手には、拳銃が握られていた。
……想像はしてた。炸夜さんの変なポーズは、背中に刃物か何かの凶器が当てられてるから。
炸夜さんが撃たれる。
そう思ったときには駆け出して、炸夜さんの前で立ち塞がっていた。
現実のモノだなんて思ったこともなかった真っ黒な穴を前にしても、不思議と、怖いと思わなかった。
そりゃ、気持ちはわかるけど。でも炸夜さんはだめ。
それ、人を殺せちゃうやつでしょ。なら、わたしのほうがいい。炸夜さんは怒るかもしれないけど、せめてものお礼だと思って欲しい。
時間が、ゆったり流れていく気がする。こういうの、なんか聞いたことあるかも。
――緩やかすぎて、聞き取れなかったけど、誰にかに名前を呼ばれた気がした。
「……?」
どん、と視界が傾く。
撃たれたのかな、と一瞬思ったけど、違った。
横からなにかがぶつかってきて、倒れていきながら、包み込まれる。
……どうして、だろう。走馬灯だろうか。
懐かしい匂いがした、気がした。
◆◆◆
開ける視界。障害物がなくなってまっすぐ拳銃を向けてくる師々戸に、僕が浮かべる笑みはどう映っただろうか。
引き金が引かれる瞬間――不吉な銃声は、鳴らなかった。
「……あん?」
不審そうに拳銃を見下ろした師々戸の目が見開かれる。気付いたようだが、もう遅い。
肉薄した篝さんが師々戸を組み伏せる。右腕を後ろへ捻り上げ、五指を容赦なく掴み折った。
「ァ、ガッ――テ、メエッ……!!」
破壊された手から零れ落ちたマカロフが地面にぶつかり、軽やかな音と共に排莢口から弾薬を吐き出して、
僕が師々戸の手にあるマカロフを掴んだのは、ほんの一瞬だった。その刹那で小細工は成功していた。
僕がやったのは、遊底を引いただけ。自動式拳銃の手動排莢動作に過ぎない。ただ、排莢口を手のひらで押さえながら。
自動式拳銃のほとんどは、手動操作か発砲によるガス圧で遊底が引かれると、弾体の有無を問わず薬室にある薬莢を排莢口から外へ弾き出し、バネの力で遊底が戻ると薬室に次弾が装填される仕組みだ。だが何かしらの不具合で排莢口からうまく排出されないと、戻ろうとする遊底が詰まった弾に引っかかって装填不良が起こる。つまり、弾丸の発射を行う薬室が、撃つ弾のない空っぽの状態になる。
そんな動作不良を意図的に引き起こしたに過ぎない。よく知る銃種で、排莢口の位置を知っていたから出来た事だ。近似構造だったら出来るかもしれないが、マカロフ以外で実行できた自信ははっきり言ってない。
「クソッがっ……離せェッ!」
指を折られ、ねじ伏せられようとしている師々戸は、しぶとく抗っていた。片膝だけついて、足で地面を踏み締めたままだ。
「……ざ、けんなコラァ!」
無事な左手が懐へ。引き抜かれたドスが、篝さんに向けて突き込まれる。そんなもので篝さんに敵うわけがない――と、思ったのだが。
「よ――――――――――――――――ぃせっ」
軽妙な声と共に弾丸のような速度で駆け抜けてきた小柄な人影が、師々戸の左腕と立てた膝を同時に踏み付け、プロレス技のように踏み台にして顔面に膝蹴りを叩き込んだ。
交通事故かと思う威力で吹き飛んだ師々戸は、十メートル程離れた位置まで転がされ、意識を失った。怪しい所だけど多分死んではいない。その辺の手加減はちゃんと出来る人だ。
「……兄貴さ、腕は折らないでやるつもりだったのに、折っちゃったじゃん」
「いいじゃんよ。ほら、若だって血ぃ出てんじゃん。うっわー、いたそー」
こっちを指差して焚さんは顔を顰める。煽ってるのかあのアラサーは。
「つーことでさ、も一発踏んどこうぜアイツ」
「やめといてよ、死ぬから」
……まあ全て上手くいっていたのなら、この人達が来るだろう事もわかってはいた。まだその姿は遠いが、ゆっくりとこちらへ歩んでくる母もいた。
そう、上手くいったのだ。理想的に、感動的なまでに、思い描いた最低のシナリオが、不確定要素まで全て。
「…………炸夜君」
その最大要因にして要――漣至さんは、身を挺して庇っていた織原さんから離れると、ゆらりと立ち上がって僕に向き直った。
そして僕の胸倉を両手で掴み締め上げてくる。
「これはどういう事だ。話が違うだろう!?」
「何も違わない。あなたは、僕に託すと言った」
「私は救ってくれと言ったんだ。こんな、危険に晒す真似して――!!」
「鈍い人だな、本当に。たった今、自分が何をしたのか、もう忘れたと?」
近くにいる娘に、整形では変えられない声を聞かれないようにか、小声で怒鳴りつけてきた漣至さんは、そこでようやく察してくれた。
「…………嘘だろう」
「騙す事はあっても、嘘をつくのは趣味じゃない。この夏祭りも、鷹柳会を呼び込んで争わせたのも、彼女を囮にしたのも、全部あなたの為だけに用意したんだ」
「……どうかしてる」
「僕もそう思う。だけど、あなたが来てくれて、よかった」
「……鷹臣君の頼みを、私が断れると思うのか?」
先週の夜、織原さんとデートの約束をしてから僕が奔走したのは、全てこの舞台を整える為だった。漣至さんが織原さんを守る、そのシナリオの為だけに。
最大の難関は、この舞台に漣至さんを上がらせる事だった。不覚ながら僕は漣至さんへの連絡手段を持たず、あったとして、呼んだり誘導しても織原さんに会わせる企図がバレてしまう。
だから父に頼んだのだ。織原さんの身にあった事、漣至さんと話した事、僕が行おうとした計画を明かして。一時でも織原さんに拳銃を向けさせる――その考えだけは伏せたが、それでも僕が負わされる事になる責任を承知で。そして父は漣至さんへの連絡を了承し、どう伝えたのかは知らないし最早どうでもいいが、こうして漣至さんはやって来た。
計画に含まれていない母や焚さんがここに来たのは、まあ、そういう事だ。腹はとうに括っている。
「……ここからは、あなたが決める事だ」
口の中に溜まった血を吐き捨て、真摯に問う。
物語はまだ終わっていない。
ここまでしても、出来るのは舞台を整える事だけ。父親の織原漣至を取り戻すのか、それとも小説家志望のプータロー倉科であり続けるのか、その意志選択だけには介入できない。
「あなたの結論に、僕はもう口を出さない。取り戻すのか、見捨てるのか、お好きにどうぞ」
ひどい言い方だと自分でも思う。だが、選んで欲しいのは片方だけだ。
二度と会わないと言っていたが、こうして会ってしまったぞ。身を挺して庇ってしまったぞ。
あなたは、そうしてまで娘を守ろうとする父親か?
それとも、正義感に突き動かされただけの他人か?
苦悶に歪む表情は、葛藤の表れだった。
……そうして、彼は。
「……………………」
背を向け、出口へ向かった。織原さんへ目もくれず。
唇を噛み締める。血の味が、ひどく苦い。
どうしてだ。もう何の障害もない。なのに何故背を向ける。父親の資格などというのはそんなに大義名分なのか? 愛さなければ良かったと言う程の過ちはそんなに大きいのか?
……僕は、所詮部外者だ。主役が舞台を降りる時さえ、ただ、見届けるしか出来ない。
「待って」
呼び止めたのは、立ち上がって身体の埃をはたいていた織原さんだった。
漣至さんは、その声に一瞬足を止めた。だが、すぐに歩き始めてしまう。すれ違った母が、肩を竦める。
その背を見つめていた織原さんが、僕に振り向いて、複雑な表情を見せた。怒っているような、泣いているような、笑っているような、様々な感情が綯い交ぜになった顔。
――ああ、そうか。僕も人の事を言えないぐらい鈍いのだな。
似た者父娘だものな、こっちが気付く可能性を考えていなかったなんて、どうかしている。
織原さんは、また漣至さんの背に向けて、声を張り上げる。
「待ってってば――――お父さん」
まるで電気でも走ったかのようにビクリと身体を震わせ、今度こそ彼は立ち止まった。
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