七_6、外道と、純真

          ◇◇◇

 気付かないうちに死んじゃったのかな、なんて思った。

 それか夢でも見てるんだろう、とも思った。

 ……どっちも嫌だ、って思った。

 お父さんは死んだ、って聞かされた。炸夜さんが嘘をつかないのは知ってる。ついたとしてもそんな嘘はつかないって知ってる。

 あれからずっと、いなくなってしまったと思ってた。

 わたしのせいで、全部だめになったって。

 わたしがどんな思いだったか、知ってる?

 お別れがどんなに悲しいか。

 ありがとうも言えないのがどんなに辛いか。

 ごめんなさいも言えないのがどんなに苦しいか。

 ……その人は、倉科さん、と聞いていた。

 何度か顔は合わせたことはあるけれど、会釈するぐらいで、特に話したこともない。挨拶の言葉すら交わしたことがなくって、ああ無口な人なんだな、なんて思ってた。

 ……どうして、疑問に思わなかったんだろう。本当にわたしばかだ。

 わたしに声を聞かれたくなかったからだ。顔が違ってた、だから別人だと思ってた。だけど声なんてそう簡単に変えられない。

 わたしを遠ざけたかったって知ってる。お父さん、優しいもん。わたしがすぐ近くまで来たのがわかってても、遠ざけようとした。

 ばかでしょ、お父さん。

「……人違いだよ」

「うそ。さっき、わたしのこと、深凪って呼んだ」

 それは、嘘だけど。本当はちゃんと聞き取れなかったけど。

 どれだけあなたと一緒にいたと思ってるの? どれだけあなたを見てきたと思ってるの?

 その背中、よく覚えてるよ。あの日と、一緒。

 裏切ったわたしを、それでも助けてくれて、雨の中を一緒に歩いた。

 ありがとうもごめんなさいも言えないまま、別れた日。

 ……もう一度、呼んでよ。あの日からずっと、お父さんに呼んでほしかったんだから。

「……たまたま、知っていただけだよ。炸夜君に聞いて」

「炸夜さんをダシにしないで」

 お父さんは、背を向けたまま、頭の後ろを搔いた。

 それも知ってるよ。お父さん、悩んだとき、いつもそうしてるもん。

 顔が違うなんて、どうでもいいから。こっち、向いてよ。

「お父さんじゃないなら、なんでさっき庇ってくれたの」

「……そりゃ、ね」

わたしだからじゃないの?」

 そっちが向いてくれないなら、こっちから行くよ。

 ずっと、そうしてきたんだから。そうやってここまで来たんだから。

 ひとりじゃ歩けなかったけど。引っ張ってもらって、やっと進めたけど。

 わたし、がんばったんだよ。

 もう、追いつかせてよ。

 追いついて欲しいって、思ってよ、お父さん。

「………………」

 手が届くぐらい近づいた背中は、やっぱり大きい。

 こんなに近いのに、振り向いてくれない。

 息を思いっきり吸い込む。

「――お父さんのばか! もうお父さんなんかキライ!」

 胸が割れるんじゃないかって、喉が裂けるんじゃないかって、それぐらい全力で叫んだ。

「えっ、な……ちょっ…………っ……」

 驚いて振り向いたお父さんの胸に、わたしは飛び込む。

「うそ。大好きだよ、お父さん。やっと、つかまえた」

 背中に手を回して、ぎゅっと掴んだ。

 懐かしい感じがする。懐かしい匂いがする。懐かしい温かさがする。

 ………………

 なんで、かな。

 いっぱい、いっぱい、言いたいことも、言わなきゃいけないこともあったのに、全部忘れた。

 頭の芯が焼けたみたいに熱くて、目も、鼻の奥も熱くて。

 なんでだろ。なにもわからない。

 ただただ、うれしかった。

「……………………まいった……降参だ」

 わたしの背中に、やさしい腕が回される。

「……顔を上げてくれ、深凪」

 おでこをお父さんの胸に押し付けながら、首を横に振った。

 だって、わからない。いま顔を上げても、なにも見えない。

 わたし、泣き虫なんだよ。知ってるでしょ?

「…………ぅぐ……えぅ……ぐす」

 だって、ほら、なにも喋れない。

 わたしが泣き止んだらさ、いっぱい、話したいことがある。

 見てほしいのも、いっぱいある。この髪、炸夜さんが切ってくれたんだよ。服は緋州さんが買ってくれた。メイクもし……あ、だめだ。メイクは崩れちゃってる。

 泣き虫だな、わたし。

 とりあえず、さ。

 わたしが泣き止むまで、ずっと、こうしていてよ。


          ◆◆◆

「さてさて、祭りと聞いて来たんだが、もう店仕舞か。残念」

 からん、ころん、と本家と変わらない和服姿の母が、高下駄を鳴らしてやって来る。

 我が母ながら、恐ろしくこの夏祭りの景色にしっくり来るものだ。恐ろしく、というのは切った張ったが板につきすぎているという意味合いでだが。

 神社のあちらこちらで転がっている鷹柳会の構成員達は、伊縫さんの指示で次々に拘束されている。なかなかの人数だ。引き渡し先になる警察には面倒をかけるな。

「……おや、なんだい。怪我してるじゃないか炸夜。大丈夫かい?」

「これくらい何ともないですよ」

 また溜まってきた血を吐き捨てて、口元を拭う。

「コラ炸夜、なに吐いてんだい。シバくよ」

「申し訳ありませんでした」

 色々と終わって気が緩んで、うっかりやってしまった。この神社は夏祭りに使わせてもらうとはいえ豊条所有の土地ではないのだ。

 そして母の視線は篝さんにも向いた。その瞬間既に、篝さんは石畳の上に正座していた。

「篝、あんた仕事してんのかい?」

「申し上げる言葉もありません」

 土下座した。見本のように額を地に付けて。

「篝さんは責めないでやってください。自分の落ち度ですから」

「ま、いいだろう。アタシも話があって来たんだ」

 言うと、母は蛇が睨むような目で、周囲一体を見回す。

「……鷹柳会は概ね潰したようだね。東京に残党は残っているが、先の短い組長と三下だけなら、ほっといても消滅するだろう。初陣にしちゃ上出来だ。戦場にした夏祭り会場はいくらか損傷が見られるが、明日には修繕も間に合うだろう。咎める程ではないね」

「ありがとうございます」

「ま、なによりイイモンが見れた。鷹臣さんにも見せてやりたいね」

 と、にやりとした笑みを、織原父娘に向ける。泣きじゃくる織原さんと、困ったようにしながらも、優しくその頭を撫でる漣至さん。

 純粋に、よかったな、と思う。まるで他人事みたいだとは思うが、事実そうだ。あそこに水を差すなんて無粋は、僕にも無理だ。

「絆の深い親子、ってのはイイもんだ。憧れちまうね」

 母もしばらく、温かく見守る目を、そちらに向けていたが。

 やがて、本性に近い、怜悧な眼差しが僕を射抜く。

「だが他所様は他所様、ウチはウチだ。わかってるね?」

「承知の上ですよ」

 物語の幕が降りようと、舞台袖の仕事は終わらない。

 後片付けが残っている。

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