終_1、レモネードと、契約書

          ◇◇◇

 翌日、わたしは、お父さんと一緒に夏祭りを回っていた。

 ほとんど同じ風景なのに、昨日の物騒な感じとは違う、健全な賑やかさがある。

 お父さんと手を繋いで、他愛もないお喋りをしながら、ちゃんと営業してる出店を見て回る。

 なんだかデートみたいだと思いはしたけど、この時間を目一杯楽しみたかった。

 ただ、ちょっと困ったこともある。

 わたしの男性恐怖症、最近炸夜さんたちとしかいなかったから気付かなかったけど、どうにもまだダメらしい。

 お父さんはもちろん、炸夜さんも大丈夫なんだけどな……。

 絶対無理、ってほどじゃないけれど、男の人が近いと、まだちょっと苦手意識がある。

 お父さんも察してくれていて、なるべく気を遣ってくれているのだけど、夏祭りは人が多いもので、いかんせんどうしようもしがたい。

 それで、特に困ったことになったのが……

「やあ、漣至。お嬢さんも」

 ワインレッドのスーツを着こなして、いまはサングラスもかけているおじさん。

 フィレンツェあたりを練り歩いていても違和感がない豊条会長、炸夜さんのお父さん。

 ……こう、男っぽいというか、男感の強い人、特に苦手なのだ。



「やはりまだ見慣れないな。さっきも、お嬢さんの方を見て気付いたぐらいだ」

「やめてくれよ、私だって鏡を見てたまに驚くんだ」

「はっはは、そうだよな!」

 完全に飲み会のおじさんのノリである。

 実際飲み会だ。お酒メインの出店にテーブル席があって、そこで三人が囲っている状態。

 ……お父さんの顔、わたしも苦労させられたんだけど、お酒の入ったおじさんにかかれば笑い話の種らしい。お酒ってこわい。

「だが聞いたぞ漣至。結局バレたんだってな」

「ああ。いやまったく、自分でもどうしてだか、さっぱりわからない」

 本人の横でいいますかねそれ。お父さんが大好きだからですよ。

 ……まさか心を読んだわけでもないだろうけど、赤ら顔の鷹臣さんが、じぃっとわたしを見て、指差した。

「わかるぞ、俺にはわかる。パパ大好きって顔に書いてあるぞ。はっはは!」

 うわぁ。鷹臣さん、前に会った時と全然イメージ違う。お酒入ってるせいなのか素なのかわからないけれど。今はスーツを着てても、頭にネクタイ巻いてる系の人だ。

「……鷹臣君、本当に、感謝している」

 お父さんは静かに、焼酎を飲みながらいった。お父さんはお酒強い方である。

「俺に感謝なんかやめてくれ。結局、引っ掻き回してしまっただけなんだ」

 ぐい、と鷹臣さんがジョッキのビールを飲み干す。大丈夫かな、この人お酒弱そう。

「感謝するなら、子供達だろう。二人がいたから、今こんな風に飲んだくれている」

 飲んだくれてる自覚はあったんだ。

 ……でも、二人がいたからっていうのは、ちょっと違う。

「本当にね。まさか深凪が最上沢まで来るなんて考えすらしなかった。しかも、そこに鷹臣君の息子が早くも関わってるなんてさ」

「……わたしは、なにもしてないです」

 この席が始まって初めて口を開いたわたしに、二人は同時に目を向けてきた。

 お酒の場でこういう話はしたくないけど、炸夜さんのしてくれたことを、お酒の肴にされるのも嫌だった。

「わたし、お父さんを助けるんだって息巻いてた癖に、ひとりじゃなにもできなかった。全部、炸夜さんがしてくれた。わたしが……その、ダメになったときも、見捨てずにいてくれた。そこまでしてくれる理由なんて、ないのに」

 二人は黙って聞いてくれた。

「ここに来てから、ずっとお世話になりっぱなし。お父さんを見つけてくれたのも、会わせてくれたのも、全部炸夜さんだった。わたしは、はっきりいって足手まといでした」

「――そいつは違うな、お嬢さん」

 鷹臣さんが、赤みはありながらも真顔になって、顎髭を撫でる。

「少なくとも俺はお嬢さんに感謝しているんだ。今となっては数少ない友人を失わずに済んだ」

「……え?」

 その友人って……もしかして、お父さん?

「鷹臣君、飲み過ぎじゃないか」

「何年の付き合いだと思っている。お前の考えそうな事ぐらいすぐわかるさ」

「どういう、ことですか?」

「……鷹臣君」

「お前じゃない、この子の為に言っておく。加担した俺にも責任の一端があるが……漣至は顔を変えて、身を隠して、死んだ事にした。だが、実際に生きている意味があるのか。むしろ、自分が生きている事が、お嬢さんの重荷になっているんじゃないか……ならいっそ、本当に死んでしまえばいいんじゃないか、とな」

「な……んですか、それ」

 お父さんを横目に見ると、さっと目を逸らされた。

「……お嬢さんの手柄だよ」

「へっ?」

「昨日、お嬢さんが気付いたから、踏み止まったんだ。些細な事と思うかもしれない。炸夜のお膳立てがあったからとも思うかもしれない。だが、お嬢さんは漣至を救ってくれた。それは間違いない事だ」

 ……あ、だめだ。また出てきそう。わたしはお父さんを助けられたって言ってくれる人がいて、いままで無駄じゃなかったんだって思わせてくれて、嬉しかった。

「……おい鷹臣君、うちの娘を泣かせるな」

「お父さんだよ、ばか」

「はっはは、娘に馬鹿と言われたな。俺が炸夜に言われたらぶん殴ってるぞ。どうする?」

「……どうもしないよ」

 なんて言いながら、お父さんは、わたしの頭を撫でてくれる。

「ところで深凪、ふと気になったんだが、こっちに来てからどうしてたんだい? 泊まるところとか」

「炸夜さんのところに泊まってたよ」

「ああ、豊条系列で宿泊施設の経営会社もあるからね。紹介してもらっていたか、よかった。でもお金かかったんじゃないか? さすがにタダじゃないだろうし」

「じゃなくて、お金なかったから、炸夜さんち。緋州さんも一緒の」

 また飲み始めていた二人が、それぞれコップとジョッキを、同時にテーブルにゴンと置いた。

『……なんだって!?』

 うわぁ、なんで声までハモるの?

「……鷹臣君、私は、異存ないよ」

「……漣至、歓迎する」

 二人はガッチリ手を組んで、固く握手を交わした。

「父と呼ばれる日も遠くないな」

「ああ、楽しみだ」

 二人とも、もうお父さんでしょ? 

 ……ああ、そういうことか。

「あの、別に、お互いそういう気持ちはなくて。ただ空き部屋を借りてるだけというか」

 なんで鷹臣さんがしょんぼりした顔するんだろう。

 二人はまたコップとジョッキを持ち直して、こん、と打ち合わせた。

「……鷹臣君」

「……ああ」

「……すまない」

「……おう」

 よくわからないけど仲良いな二人。離れてても友達だから、そんなものかな。

「……見てくれは母親似だが、中身は父親似だな」

「面目ない。私も炸夜君に散々尻を引っ叩かれたよ」

「あれ、そういえば炸夜さんって、いまどうしてるんですか?」

 さっきから何度も名前が出てるけど、このまま飲み続けそうだなと思って思い出した。

「昨日、あれからすぐいなくなっちゃってましたけど」

 たしか、夏祭りの運営を任されてるって聞いた。入れるかわからないけど、事務所の方にいったら会えるのかな。お礼、まだ言ってないし。

「ああ、炸夜、ね。んー……」

 と、何故か鷹臣さんは言い淀んで、顎髭を撫でる。

 しばらく考えて、立てた人差し指を唇に当てた。

「酒の勢いで口が滑った、って事にして欲しい。あの後――」

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