五_2、火華の炸く夜と、深く凪いだ夢

          ◆◆◆

「あ、そうそう。オレ今日一日いないから、二人とも気を付けてね」

 朝食の席、篝さんが唐突に告げた。いや、唐突でもないか。

「毎年恒例の、ですね」

「そそ」

 エッグベネディクトを頬張りながら、深凪さんが何の話か表情で訊いてくる。

「今夜、玄鳴で花火大会あるんだけどさ」

「んぐ――あ、今日だったんですね」

「そ。毎年、本家で稽古した後、兄貴のナンパに付き添いで行ってる」

「……お兄さんの、ナンパ」

 なんとか理解しようと努めているのか、徐々に眉間に皺が寄っていく。無理もない。実際に成功例なんかないのだし。手本としてことごとく成果を得る篝さんにキレて喧嘩になるか、男だと信じてもらえず身をもって証明しようとするのを篝さんが止めて喧嘩になるか、いずれにせよ喧嘩になって終わるまでが毎年恒例だ。

「今年は暴れないでくださいよ。毎年言ってますけど」

「兄貴に言ってよ。毎年言ってるけど」

「毎年楽しい花火大会なんですね?」

 花火大会というと、僕は去年まで運営と連れ立って見に行っていたな。今年は本家を離れているし、ナンパに混ざる気もないので、この十階の部屋からもギリギリ見えるだろうから一人眺める気でいたのだが。

 えらく、じぃっと見られている。視線の正体を探るまでもなく、朝食の手を止めてまでじぃっと見られている。どうしてこう女子というのはイベント好きなのか。

「……ここからでも見えるよ、多分」

「行きましょう」

「真面目な話、外出は控えた方がいい。鷹柳会の件がある中、篝さんも不在だ。何かがあっても――」

「いいじゃん、行ってきなよ。会場は本家の警備があるし、会場までオレが行く時拾ってくし」

 ニヤニヤ笑いながら篝さんが助け舟を出してくる。どうしてこう大人というのは。

「だそうです。それに花火大会、もしかしたらお父さんも観に来てるかもですし」

「……だといいけど」

 僕が心配性なだけか。ともあれ行くならばと、テレビを付けて天気予報を見る。普段あまり使わないが便利ではある。本を買うのに通販や電子書籍ではなく本屋に行くのと同じで、目的のついでで色々なモノが目に入る。オマケと取るか余計と取るかは人次第だが、僕は前者だ。

 予報をやっている番組がないかチャンネルを切り替えていたが、そう都合良くはなかった。結局スマートメニューを呼び出して、画面枠に天気予報を表示させる。オマケは欲しいが、時は金なりとも言う。

 止めたチャンネルはローカル局のニュース番組で、最上沢で起こった事故を報道していた。

『――深夜、最上沢市内で轢き逃げとみられる事故が発生しました。未明になり犯人を名乗る男が最上沢警察署に出頭しましたが、病院に搬送された被害者の男性は死亡が確認され、警察は現在その身元の特定を急いでいます――』

「……ふむ、出頭してるなら、うちが介入するまでもないか」

「ですね」

 市内の事件となるとどうしても敏感になってしまうが、既に解決に向かっている案件にまで手を出す事はない。というか、介入するような出来事ならとっくに耳に入っているのだが。

「で、今日は一日曇りか。せっかくなら晴れてる方がいいけど、中止にはならないね」

「残念です。今年も喧嘩を止められるだけの腕利きを集中配置しなきゃいけない」

「……え、なに、オレ毎年監視されてるの? 道理で観客に迷惑かかる前に収まるわけだ」

「児童虐待の疑いでしょっ引かれる前に事が収まるよう、配慮している本家に感謝して下さい」

「理不尽だけどそれは本当に感謝だな」

「ま、まあ、楽しめればそれでいいと思います?」


          ◇◇◇

 その日は炸夜さんと本を読んで過ごして、夕方になると、お兄さんを連れて緋州さんが車で迎えに来てくれた。いつも炸夜さんが座っている助手席は、お兄さんに譲られていた。

 席替えの手間もあるし、と思っていたのだけど、どうも意図的な配置らしい。助手席の焚さんから不穏な空気が漂っているのだ。どす黒いオーラが見えるような。それは、後部席でわたしと一人分空けて座る炸夜さんに向けられている。

「深凪ちゃん、今日、雨の予報ではないよ?」

「……つい癖みたいなもので。でもほら、一応、予報外れるかもしれませんし」

「備えあれば憂いなし、ってやつですよ。……それに、せめて、ね」

「………………」

 日が暮れて会場に着いても、焚さんはホラー映画に出てきそうな狂気的な目で、炸夜さんを睨み続けていた。二組に分かれて緋州さんがポニテを握って引きずって行く途中も、見えなくなるまで。終始無言だったけど、わたしにも何となく察せられた。勘違いされているらしい。わたしたちは別に羨ましがられる関係ではない。

「結構人いますね。大したのじゃない、なんて言ってた気がしますけど」

「外部の人もいくらかいるけど、豊条主催のイベントは最上沢と玄鳴では来る人多いからね。良き関係を築けている証、と思えば鼻が高い」

 地域貢献という事で特等席みたいな主催者特権はないらしく、それでもなるべく良い場所へ、ということで川を跨ぐ橋に向かった。

 川は隅田川ぐらいの幅があるだろうか。整備は最低限という感じで、東京の家のすぐ近くにある神田川と比べると、かなり自然の川に近い。

 川に架かる橋も結構大きく、片側三車線で余裕がある。このあたりはやっぱり人気スポットなのか、人が多いように感じた。

 途中、倉科さんを見かけたので二人で声をかけて会釈すると、彼はにこやかに手を振って、どこかに行った。待ち合わせでもあるのかもしれない。

「あ、屋形船だすごい。花火って、一度は船から見てみたいですよね」

 欄干から川を見下ろすと、中央あたりで何隻もの屋形船が縦に並んでいた。やっぱりああいうところから花火を見上げるのは憧れる。

 と、思ったのだけど、炸夜さんに苦笑された。

「いや、あれ観客用じゃなくて、あそこから花火を打ち上げるんだよ。造りは屋形船っぽいけど、かなり大型でしょ。年一の花火大会の為に拵えられたやつ」

「……炸夜さん、うそつきだ。この花火大会めちゃくちゃガチじゃないですか」

 船に乗る機会なんてそうそうないのでわからないけれど、言われてみれば大きい気もする。まさか大砲とかも積めるように……なんて、さすがにないか。

 それからしばらく、取り留めのない話をしていた。帰ったら夕飯は何を作るとか、せっかくだから外で食べないかとか、ていうか花火の話をしようとか。

 そうしている内にアナウンスが流れ、台船(というらしい)からの簡単な主催者挨拶を経て、ついに花火が打ち上げられる。

 どん、どどん、と色鮮やかな華が、夜空のキャンパスに咲いた。

 歓声に包まれる中、ほんの数秒の命を枯らしながら、火の花は咲き乱れる。

 自然と、きれい、と息を呑んでしまう。

 それは、花火大会と聞いて脳裏に思い描いたのと、すごく似通っていて、心の画廊にすんなりと飾られていく。

 もしかしたら、昔お父さんに連れて行ってもらった花火大会は、これだったのかもしれない――なんていうのは、ちょっと考えすぎだとは思うけど。

 肩車してくれる人はいない。わたしの隣にいるのもあの人じゃないけれど、お父さんとは別の、かけがえのない人だ。

 お父さんも、どこかでこの花火を見てるのかな。

 来年は、一緒に見れたらいいな。

 代わりと言ってはなんだけど、わたしは傘を握り締めて、そう思う。

 誰かを想いながら観る花火は初めてで、いままで観たどんな花火よりも、美しく思えた。

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