三_1、見つける僕と、背いたわたし

          ◆◆◆

 調査の下準備を終え、織原さんの生活基盤も整った事で、翌朝から予定通り僕達自身も街に繰り出して捜索を行う事にした。

 捜索と言っても聞き込みだ。道行く人々に声を掛け、織原さんから提供された写真を見せたり、特徴を伝えたりして、目撃情報を募る。

 なかなかのハードワークである。基本的に立ちっぱなし歩きっぱなし、しかも情報源が不特定多数の人間となる為、時間帯は主に日中だ。

 夏場のこれはしんどいもので、水分補給も兼ねた休息を頻繁に強いられた――のだが、こたえているのは意外と僕だけらしい。元々肉体派の篝さんは元より、織原さんも暑そうにしてはいたものの存外平気そうで、むしろ(女性限定だが)積極的に聞き込みをしていた。

 華奢な割に案外タフなのか、それとも父を捜している意欲ゆえか。いずれにせよ消耗は避け得ないはずだし、早い成果を望むばかりだが――

 その足取りを掴むには至らないまま、三日が過ぎた。



「頭では、一応わかっていた事ですが――」

 冷房の効いたコワーキングスペースの会議室、僕はぐったりと椅子に身を預けてぼやいた。

 夕方、情報共有と今後の打ち合わせを兼ねた報告会。この場にいるのは僕の他に篝さんと織原さん、そして僕達と同じく聞き込みを主とした調査をしている木城さんの四人だ。

「労力の割に実入りは本当に少ないですね。こんなの長年やっているとか、木城さん、あなた変態ですか」

「それはさすがにどうかと……瀬堂さんの体力がなさすぎるのでは」

 脱いだキャスケットで顔をぱたぱた仰ぐ織原さんに苦言を呈された。この三日を通して彼女もだいぶ馴染んできたのだが、言うようになったものだ。

「こういうのも必要なことですからね。褒め言葉として受け取っておきますよ――にしても、あたしが変態だなんて、今更ですよ?」

 非の打ち所のない微笑みと共に放たれた言葉に、織原さんがぎょっとした。木城さんは見てくれだけなら経験豊富なキャリアウーマンだが、中身は経験豊富なビッチである。それも色んな意味で節操がなく、変態だビッチだという言葉も彼女には褒め言葉でしかない。

「変態、とは、どういう」

 何かの言葉のあやとでも思ったのか、織原さんが固い面持ちで問い、今度は篝さんがぎょっとした。まあ踏み込むべきではないのだが、生憎いまの僕には止める気力がない。

「あらー知りたい? だったらお姉さんがいま手ほどきしてあげても――」

 にこやかな笑みと共に木城さんが椅子を寄せ、織原さんに手を伸ばした。その手首を篝さんが横合いからさっと掴み、阻止する。さすがに身の危険を感じたのか、織原さんはカシュクール風ワンピースの襟を掴んで寄せた。

「……身の安全を保障するのも、深凪ちゃんとの契約なので」

「だったら手錠なり縄で縛るなりしてくれないと。あたし、そういうのもイケるよ?」

「いやオレそーゆー趣味ないんで。ノーマルなんで。イケません」

「いっつも篝ちゃんはつれないなぁ。手合わせ願いたい人ナンバーワンなのに」

 木城さんの趣味にはストライクゾーンしかなく、球速年齢球種人格も問わない。尤もそうした人間関係も情報収集に役立ててくれているし、何より一応はプライベートの話なので口を挟む気はない。そうした部分に出費を重ねて、経理担当の癖に常に金欠気味なのはどうかと思うが。

 それから木城さんが二人にぐいぐい攻めていくのを尻目に、僕はタブレットを取り出して、入手出来た情報に目を通した。

 情報、といってもさほど有益なものはない。収穫と言えるのは漣至さんが最上沢に訪れている証言を得られた、程度のもの。それすらも日時が少し古く、近日の目撃情報はない。

 既に最上沢から去っている可能性も高いように思えるのだが、東京から各種システムを解析してくれている三班によれば、その線は薄く、最上沢に留まっているらしい。

 まるで幽霊でも追っているような手詰まり感。

「――ああそういえば、ちょっと気になってたんだけど、織原ちゃんってどうやって最上沢を突き止めたの?」

 ふと真面目な話になって顔を上げると、織原さんに指一本触れさせまいと決死の抵抗をする篝さんの胸を、木城さんが揉んでいるところだった。

「炸夜くん、いま失礼なこと考えてない?」

 被害は胸の脂肪なのか大胸筋なのかという疑問は、とりあえず言わない方が良さそうだ。

「自分で行方を眩ますのって、得てして足跡を残さないようにするものだからさ」

 手を動かしつつ木城さんが付け足す。左右でそれぞれを味わっているらしい。上級者だな。

 篝さんの背に身を隠しながら、織原さんが「うーん……」と考え込む。

「どう、といわれましても……お父さんの行きそうな場所とか、交流のありそうな人を絞り込んでお話を聞いて、そこにわたしの知ってることを加味して、また絞り込んでっていうのを繰り返しただけで……協力をお願いできる人もいなかったので、それぐらいしか」

 場が静止する。篝さんの抵抗も、木城さんの卑猥な手の動きも止まり、僕すら唖然とした。

 それが言葉で言うほど簡単な事でないのは、今日までで僕も身をもって知っている。

「……ねえ若、この娘、あたしの班に欲しいんですけど。色々仕込みたい」

「色々に良からぬモノを感じるので却下です。だいたい織原さんはカタギですよ」

「いやぁ、そりゃ華の女子高生、しかもキレイ系の顔であどけなさの残る絶妙な美少女だからってのもありますけどね? まだ目標に達してないとはいえ、単独でこんな離れた場所まで辿り着いたのは、稀有な才能があるからこそですよ。またとない人材です」

「それは承知していますが――ん、サルマーンさんから新着情報です」

「あたしも班員から連絡が」

 何故だか勧誘の話になって織原さんは戸惑っていたが、僕は改めてタブレットを、木城さんも仕事モードに戻って携帯を手に取る。

 共有フォルダに画像付きのリストが新たにアップされていた。目を通してみると、最上沢に訪れた鷹柳会の構成員の名簿と顔写真だ。いま彼らが東京にいない事と写真の撮り方がバラバラなあたり、過去に撮られたもののようだが、よく手に入れたものだ。

 リストには久山もあったが……途中で増員されているとの事で、想定より人数が多い。その目的及び、先日話していた派閥のどちらに属しているかは、目下調査中らしい。

「若、報告が」

 一通り頭に叩き込んで顔を上げたところで、木城さんも通話を終えてこちらを見据えた。さっきのおふざけが嘘のような真剣な表情だ。

「班員に鷹柳会の構成員――久山から接触がありました。我々との話し合いを要求していると」

「話し合い、ですか。目的は」

「織原漣至氏の件。彼らも捜しているのだと」

 その言葉に、織原さんが身を竦めたのが視界に映る。意識しているかはわからないが、篝さんの背でその裾を握り締めて。

 鷹柳会も漣至さんを捜している。やはり繋がりがあるようだが、こうなると今度は派閥争いというのが腑に落ちなくなる。状況がどんどん複雑になっていくようだ。

 不穏だな。普段であれば、そんな要求など撥ね付けるところだが。

「……虎穴に入らずんば虎児を得ず、って所ですか。恐らく向こうも手詰まりなのでしょうが、それは我々も同じ。受けましょう。明日にこの場所で、空き時間に設定をお願いします」

「承知しました。伝えます」

「……深凪ちゃん?」

 篝さんの声は届いていないのか、彼女の背に織原さんは額を押し付け、何かを考え込むように目をぎゅっと閉じていた。

 その様子は、何か、己の内にある不安と戦っているような。


          ◇◇◇

 話すしかないな、と思った。

 あの日のこと。なにがあっていまに至るのか、もう晒け出さなきゃと。

 まだ最上沢に着いて一週間と経っていないけれど、瀬堂さんも緋州さんも、その周りの人たちも本当に良くしてくれて、でもその本懐はまだ遠く届かない。

 聞き込みも徒労で、あまり寝なくてもいいと言っていた瀬堂さんですら連日早めに寝ていた。

 苦労ばかりかけている。わたしが最初から話していれば、もう少し楽だったかもしれない。

 話す気がまったくなかったわけじゃない。むしろ早めに話すべきなんだと思ってもいた。でも、話すのが、あのときのことを思い出すのが怖かった。

 明日、瀬堂さん達は鷹柳会との会合をするらしい。その中で、もしかしたらわたしが話すまでもなく、全部明らかになってしまうかもしれない。

 そんな流れに委ねてしまおうかとも、ちょっとだけ思った。でも、遅すぎると思うけど、ここまで来て受け身になって、お父さんに届くわけがない。

 だから、話そうと思った。そうすることが実を結ぶのかは、まだわからないけれど。

 夕飯を摂っている最中、この後お話があるというと、二人は頷いてくれた。そのことばかりを考えていて、その日のメニューがなんだったか、憶えていない。

 片付けが終わって、リビングのソファに二人と向かい合って腰掛ける。長い話になると告げると、瀬堂さんが冷たいレモネードを用意してくれた。

 時間が過ぎていく中、わたしはあの日のこと、それまでの経緯を、瞼の裏に描いていく。

 ちゃんと伝えられるように、鮮明に。蘇ってくる怖さと気持ち悪さに吐き気がしたけど、なんとかこらえて、自分の手に視線を落とす。

 指は冷たく、震えていた。握り込んで抑え込み、深呼吸する。呼吸にも震えがあって少し早くなっていて、埒が明かない。あと三回深呼吸したら、言おう。

 一回、冷えた手に汗が滲む。

 二回、鼓動が乱れる。

 三回、うまく息を吸えなかったけど、勇気を振り絞る。

「――わたし、レイプされたんです」

 二人は同時に目を見開いて、短い間、息が止まった。

 やっぱり、こういう人たちだ。こんな話をしたら心配してくれる。

 情をかけて欲しくて話すわけじゃない。だから、わたしは笑ってみせた。

 うまく笑えた自信は、全然ないけれど。

「未遂、なんですけどね――お父さんが、助けてくれたから」

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