第25話 報酬
役所の中は賑わっていた。
今年も霊峰アイアスへの道が開く時期がやってきたのだ。
一級魔術師となるには、霊峰アイアスの頂にあるシシリア湖の水を汲み取って帰らねばならない。
霊峰アイアスへ向かう魔術師が数多くいることから、麓にはいくつかの街が作られた。そこで最後の旅支度を終え、皆が霊峰アイアスへと挑む。
「お一人で挑まれる予定ですか?」
二級魔術師イリアスの書いた申請書を見て役所の受付係はそう問いかけてきた。こくりとイリアスは頷く。
役所は、霊峰アイアスへ向かう者たちの管理を担っていた。偽り無くシシリア湖の水を持ち帰ったならば証明書を作り、ある一定の期間が経っても下山の申請が出されなければ、死亡通知を書く。登頂に向けてのアドバイスなども行っているらしい。
「この辺りには手頃な報酬で護衛を引き受けてくれる者が多くいます。数人雇っていかれるのがいいかと。これまでの統計上、登頂成功率が一番高いのは三人パーティです」
「そうしたいのは、山々なんですが……」
イリアスはへにゃりと笑う。
旅立つときに持たされた金は初日の夜、野党に襲われてまるごと持って行かれてしまった。この街にやってくるのにも、あちこちで困りごとを解決した「おすそわけ」でどうにかたどり着いた次第なのだ。
とはいえ、仔細を語らずとも受付の事務員は状況を察しているようだった。あくまで一言助言をしておかないと、という義務感からのようだった。
「ありがとうございます。けれど、今回はぼくひとりで行きます」
「……魔術王シシリアの加護がありますように。いってらっしゃいませ」
事務員はそう頭を下げた。
役所を出ながら、イリアスは「あの人、優しい人だなぁ」などと少々能天気な感想を抱いた。
二度目がないことを、きっと彼女はわかっているだろう。
霊峰アイアスの麓には広い樹海が広がっている。素人が一度入り込めば方位磁針も役に立たず、樹海の養分となる、と言われている深い森だ。
幾度か王命を携え、王立騎士団がこの樹海を調査にやってきた。正確な地図を作れば樹海も恐れるに足らぬだろうとのことだった。
けれど、先遣隊は当然のように、そして逐次的に増員された人員も半分は樹海に飲み込まれ、半分は一度戻ってきたものの二度と樹海へ足を向けることができなくなっていたという。
そんな場所へひとりで向かって、戻ってこられるわけもないのだ。
街の外れにある登山道は静かだった。あたりに人は誰もいない。登山道といえど、眼前には広い森の入り口が口を開けており、先を見通すことは難しい。
「お兄さんお兄さん。ちょいといいかい?」
さて行くか、と背のリュックを背負い直したところで、そう声をかけられた。
振り向けば、十五歳ほどの少年がイリアスを見上げていた。くりくりとした目が愛らしい、整った顔立ちの少年だ。
「ひとりで行くの? 止められなかった?」
「心配はされたけど、手持ちがなくてね」
すっからかんの財布をひっくり返せど、もう埃すら出てこない。
「貧乏そうだもんねぇ兄ちゃん」
「そう正直に言われるとつらいな……事実だけど」
「そこで相談なんだけどさ」
にっと笑うと八重歯がのぞいた。
「俺と一緒に登らない? 一応、何かあっても大丈夫だとは思うんだ」
少年は首からぶら下げていたペンダントを掲げる。そのアミュレットは、一級魔術師に与えられるものだった。
「きみ、ここを登ったことがあるのか?」
「ないよ。俺はちょっと違う方法で合格したから、行ったことがないんだ」
一級魔術師になるには、霊峰アイアスを登ることが必須とされる。
けれど、まれにその試験を免除される者がいた。それは、何らかの「加護」をその身に宿す者だ。火の精霊の加護を受けるものはその皮膚が炎に焼かれることがなく、水の加護を受けるものは水の中でも自在に息ができると聞く。
彼も、何かしらの「加護」を受けて魔術師の証を授かったのだろう。
けれど、彼は何の加護を持っているか、イリアスに話そうとはしなかった。告げてきたのは同行していればそのうち分かるよ、とだけだ。
「報酬は支払えないけど……」
「お金はいらない。代わりに、ここへ来るまでの旅の話をしてよ。それが立派な報酬になるからさ」
屈託なく言う彼の言葉を、すべて信用したわけではなかった。
それでも、どこか断ることができなかった。
「それじゃあ、お願いしようかな」
イリアスの差し出した右手を、少年はしっかりと握り返した。
こうして長い長い、霊峰アイアスへの旅が始まった。
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