第2話 透明

 もぞもぞと布団からはい出せば、家の中はしんと静まり返っていた。

 両親と祖父母は朝早くから田んぼの様子を見に行って、家に残されたのは自分と相棒のふたりだけだ。

 「お留守番できるね」と問いかける母の言葉に、まだ半分ほど夢の国にいながら片手を振って答えたような記憶がある。

「ユウはお寝坊さんだなぁ」

 ふいにそんな声がかかった。振り向けば、自分と同じ顔をした片割れがそこにいる。

「おはよ。ユウ」

「ん、おはよ、アケ」

 着替えをしながら答える。

「この日はいつものことだから、わざわざ言わなくたっていいのにね」

「そだね」

 田んぼや畑の仕事は、今日までに終わらせること。そんな決まりがあるらしい。今年は田植えが少し遅くなったから、と祖父が心配をしていたけれど、祖母は「大丈夫ですよ」とこれっぽっちも心配をしていないみたいで、なんだかちぐはぐしてるなぁ、と思ったのを思い出す。

「ご飯食べてくる」

「いってら」

 アケを部屋に残したまま、ユウは自分の部屋を出た。きっとダイニングに残してあるのはおにぎりだし、部屋に持って帰って食べてもいいとは思うのだが、ダイニング以外でものを食べると母が怒るのだ。めんどくさいなぁ、と思うのも何度目か。

 案の定、ダイニングテーブルの上には三角のおにぎりがふたつ、ラップをかけて置かれていた。皿には卵焼きも添えてある。

 ひとりでも合掌して「いただきます」と告げるのは、日頃の習慣からにほかならない。礼儀など難しいことはわからないが、このおにぎりも祖父母や両親が頑張って作ったものだし、おいしいごはんが食べられることは幸せだと思うから、挨拶は欠かさない。

 ひとりの食事はあっという間に終わって、皿を流しに置いてユウは自分の部屋に戻る。

 アケは相変わらずユウの部屋にいて、窓から見える田畑の様子を眺めていた。アケにならって窓の外を見れば、遠くで作業をしている両親が見えた。

 今日は学校も休みの日だ。本当ならもう少し寝ておきたかったものだけれど、今日ばかりはそうも言えない。


 それからは、しばらく他愛のない話ばかりをしていた。学校の宿題が面倒だとか、友達のこととか、先生の変わった話など。大人の言う「世間話」とは、こんな話を言うのだろうか。

 正午の時計がなる少し前に、玄関の扉が開く音がした。帰ってきたその足音は祖母のものだった。そのまま台所へ向かい、何かの準備を始めた。

「行かないの? 手伝い」

「どうせ呼ばれるもん。それまではアケといる」

 これも毎年お決まりの流れだ。今行っても幼いユウにできることはない。

 そうしているうちに、階段下からユウを呼ぶ声がする。

「ユウちゃん、手伝ってくれる? 半夏生餅作るから」

 祖母の声だった。「はぁい」と大きめの声で返事をしながら立ち上がる。

「アケはいいなぁ。手伝いとかで呼ばれなくてさ」

「そんなことない。ユウのがいいよ」

 アケの分もね、と毎年と同じように頼む言葉を背に受けて、ユウは部屋を出た。


 蒸しあがったもち米と潰し小麦を、小さな餅つき機に入れる。昔は杵と臼でついていたというけれど、ユウは実物を見たことがない。

 毎年、農作業を終える日に必ず作る料理がある。それがこの半夏生餅。アケはこれがとりわけ好きだというけれど、ユウは正直そこまでおいしいとは思わない。

 つきたての餅を祖母とふたりで丸めていく。手がべたつかないよう粉をまぶしながら、熱さでなかなか思うようにいかないユウの横で、祖母は手慣れた手つきで次々と餅を作っていく。

「ばあちゃん、早いなぁ」

「慣れとるからね」

 最後にきなこをかけて完成した餅を、祖母は四つとりわけて小皿に盛った。

「ユウちゃん、先に持っていきな。お母さんたちが帰ってくる前に。あとはばあちゃんがやっとくから」

「いいの?」

「ええよ」

「ありがと!」

 小皿を手に、ユウは二階の自分の部屋へと戻る。そのさなか、玄関の扉が開いた。ちょうど母と鉢合わせる形になる。

「ユウ、あんたそんなに食べるの?」

「あー、うん。宿題しながら!」

 そんなふうにごまかして、小言の続きを聞く前に退散する。

「ただいまぁ」

「おかえり。待ってたよー」

 アケはいつもどおりに出迎える、ようにみえて、待っていたのは半夏生餅の方だったらしい。差し出す前にひとつ持っていかれてしまった。

「アケー、ぎょーぎがわるいぞ。いつも大変なんだから」

「はいはい、ごめんて」

 悪びれた様子のない謝罪にため息をつくが、憎めない相方の姿に思わず笑みがこぼれてしまう。

 ふたりでひとつずつ餅をつまんで「いただきます」と唱和して食べ始めた。


 夕暮れと朝焼け、両親が好きだったものをもじってつけられた自分たちの名前。

 否、つけられるはずだった名前を、ユウは気に入っていた。だから、自分だけに見える、うり二つの相方を「アケ」と呼んだ。

 いつか、朝焼けのように儚く消えるその時まで、ユウはアケとともに在りたいと思うのだった。

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