文披月の短編集

唯月湊

第1話 傘

 今年の唐傘は、去年のものよりも少しだけ良い出来だった。紙もたわまずしっかりと張れている。開くときに少しきしむ音がなる程度にきつい傘が、個人的に好きな傘だ。

「ゆうちゃん、ええかね?」

 開けっ放しの玄関をごんごんと叩いて、役場の人が訪ねてきた。開いた傘を閉じ、手にしたまま玄関先へと急ぐ。

 そこに立っていたのは初老の町長だ。少し腰は曲がりつつも、齢九十を超えているとは思えない矍鑠とした女性だった。いつもどおりの装束姿だが、紫袴の彼女を見るのは一年ぶりである。

「そろそろお山参りの準備をせにゃいけんけど、用意はどうかね思うてきたんよ。しかし、良さそうじゃね」

 手にした傘を見て、町長は目を細めた。「見してもろうてもええかね」と、彼女は去年と同じように尋ねた。どうぞ、と差し出す手は、いささか緊張で強ばっていた。

 傘を閉じたまま、そのうち開いてためつすがめつ見た町長は、上手になったねぇと微笑んだ。

「これならうちのんと変わらんね」

「ありがとうございます」

 彼女の言葉にホッとした。個人的にも去年よりはいいものになったと思っていたが、それでもまだまだ町の人々が作るものには劣ると思っていた。

 自分で持って行きんさい、と町長から返された傘は、何も変わりがないはずなのにずっしりと重かった。

「なら、行こうか」


 町長とともに向かったのは、登山道の入り口に立つ小さな社の前だった。そこには既に小さな人だかりができており、合流はどうやら最後のようだった。町長がわざわざ呼びに来たのだから、それもそうかと思い直す。

 小さな社へ、自分の作った傘を提出する。きれいに並べられたその列に加えれば、社の神主である町長が幣を手に祈祷を始めた。


 この町に越して来て三年になる。

 空気の良さと引き換えに簡便さが遠ざかったような町だ。

 雨が降りしきる梅雨空に、うっかりバスで寝過ごしてたどり着いた、終点の町だった。

 折り返しのバスはすでになく、どうしたものかとうなだれていたところへ、声をかけてきたのが町長だった。バス停は町長の家の前だったから、目に入ったらしい。

 事情を話せば、部屋は余っているから寝床を貸してくれるという。

 少し迷いはしたが、この町から自分の家まで歩いて帰る気力はなかった。お言葉に甘えることにした。

 時折、同じようにやってくる人がいるのだとか。もっとも、部屋を貸そうと申し出れば、逆に怪しまれて逃げ出す輩も多いと言う。失礼な、と口にする町長だったが、それほど不快な思いをしているわけでもないようだった。


 通された部屋は広い畳の部屋だった。背の低い箪笥と書物机が置かれたそこは、誰かの私室のようだった。

 その部屋の隅に、唐傘が一本立てかけてあった。間近で見るのは初めてで目を奪われていると、町長は「街の人には珍しいかもしれんね」と声をかけてきた。これは町長が作ったものだという。

「近々、お山参りの時期じゃけぇね。町のどこでも同じもん作りよるよ」

 お山参りとは、半月後に行われる山開きの儀式だという。人が山へ入ることを山の神へ伝えるこの儀式は、なかなかに歴史のあるものらしい。その儀式で、町の人々は自作した唐傘を山の上にある神社へと奉納する。これはそのための唐傘らしい。

 言葉に甘えて、唐傘を手に取った。実物を見るのは初めてだった。

 お山参りの日はちょっとした祭りも催されるという。もし気になるようなら来るといい、と町長は告げて、部屋から立ち去っていった。


 半月後、お山参りの見学にやってきた。

 まさか本当にくるとは思わなかった、と町長は笑ったが、よそ者だからと煙たがられるわけでもなく、好きなように見学させてくれた。

 そして、ひと心地ついたらしい祭りの終わり頃。この町で、どこか定住できる家か部屋はないだろうかと尋ねた。

 当時暮らしていた部屋の契約更新日が迫っていて、ちょうど部屋を変えようと思っていた頃だった。リモートワークがもてはやされるようになった結果、都会の只中で高い家賃を払う必要はなくなっていた。


「傘の子どもがひとりふたり お山参りにまいります」

 御神体を祀る本殿へ向かう山道を歩むとき、人々は列をなして歌を歌う。登山者の祈願や、これから山が騒がしくなることへの詫びをこめてうたわれるものと聞く。

「神座抜けて細道歩みてつれづれに 入りて交じりてまいります」

 行列に参加するのは初めてだった。町中の人間がそれぞれに唐傘を作り、出来栄えの良い十三本の作り手だけが、この行列に加わることを許される。

 去年はなにぶん見様見真似の素人作で、箸にも棒にもかからない可哀想な出来栄えだった。無論、今年は少しはマシになったという程度であり、半分補欠合格のような扱いだったのは知っている。


 山頂に作られた本殿は、静かにそこに佇んでいた。簡素でありながらよく手入れのされた社へ、唐傘を奉納する。さして休むこともなく、再び歌を歌いながら行列は下り降りていく。最後尾をついていきながら、ようやく覚えた歌を口ずさんだ、その時だ。

 背後で、カラコロと音がした。振り返れば、ひとつの唐傘が開いた状態で社のうちに転がっていた。

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