第4話 触れる
憧れとは、絶対に距離をおいたままがいい。
近づきたくはないけれど、眺めるだけで幸せになれる。
そんな存在を、梨々花は初めて知った。
初めてその人を見たのは、三ヶ月ほど前のことだった。
昼休みの図書室は図書委員が貸出業務に当たる規則である。友人がどうしても昼休み中に片付けなければならない生徒会の仕事があるんだ、と図書委員代理を頼まれ、しぶしぶながら引き受けた。
幼馴染である友人はよく本を読む人間だったが、自分はといえばインターネットで無料の漫画を読む程度であり、図書室を利用したことはほとんどなかった。
図書室は外よりも少しひんやりとしていて、扉を閉めれば外の喧騒が一段階トーンダウンした。
たまにはこういうのも悪くないか、とカウンター内で携帯を取り出した。SNSを見ながら時間を潰しはじめたところへ、早速ひとり、図書室の扉を開けるものがいた。
静かに入ってきた女子学生のタイの色は紅。ひとつ上の学年らしく、見覚えはなかった。カウンターの中に座す自分を一瞥した後、軽い会釈を経て書架へと向かった。元々読む本を決めていたのか、迷う素振りもなく本を二冊ほど手に取ると、隅の席で本を読み始めた。少しうつむいた拍子に、下ろしたままのセミロングの髪が彼女の顔を隠した。
その一挙手一投足に、知らぬ間に見惚れていた。
昼休みが終わり、午後の気だるい授業もどうにかやり過ごした。放課後「助かったわぁ」と購買の紙パックジュースを差し出してきた友人に、食い気味に問いかけた。
「あの常連っぽい上級生だれ?」
「常連っぽい……あぁ、外崎先輩?」
外崎玲奈というらしいその上級生は、本を借りることはないが昼休みと放課後になると図書室にやってきて、ただ本を読んで帰っていくのだという。
「なんかあった?」
「なんかあった、じゃないわ。あの先輩やばい。めちゃめちゃ所作がきれい。特に手」
「出たよ手フェチめ」
「だってさーめっちゃ美しかったもん……いいもん見たわ」
呆れ顔の友人を尻目に、たった一度の邂逅を思い出してうっとりしてしまう。
「もっかい眺めたいな……図書室通おうかな」
「ストーカーかよ」
友人が紙パックのカフェオレにストローを突き刺しつつ嗜めてくる。
「そういうのって、お近づきになりたいとかそういうんじゃないわけ? 触ってみたいとか手をつなぎたいとか」
「そんな低俗な!」
ばん、と机を叩いた。そんな邪な思いで告げたわけでは決してないのに、どうして伝わらないのか。そんなことを告げてみれば、友人は眉をひそめた。
「いや意味わからんが」
「もう整った手と美しい所作はそれだけで完成されてんの。私ごときが触るだなんておこがましいでしょ」
「めんどくさいやつ……」
半眼の視線をやり過ごす。別に、認知されたいわけではないのだ。ただ、あの先輩の仕草を、所作を、美しい手を、眺めていたいだけだ。羨望の眼差しで眺めることを、誰が咎められるだろう。
その熱意は、友人に半分程度しか伝わらなかったらしい。「くれぐれも通報されないように」と再三に渡って念を押された。
そうして、週に何度か図書室へ通うようになった。ひとりでやってきても、正直本に興味はないし文字ばかりの本を見ていると眠くなる。かといって、本も読まないのに図書室にいるのはあまりにも浮いてしまう。
結果として、友人がカウンターに座るその日に、図書室へと足を運ぶようになっていた。
はじめのうちは、カウンターの友人と声量を落として喋りながら、先輩の本を読む所作を眺めていた。
ただ、そのうち我慢しきれなくなった。諸刃の剣とはわかっていながら、自分でも読める本を図書室で探して広げながら、本をカモフラージュに所作を見るようになった。
聞けば、外崎先輩は書道の心得があるという。そのたおやかな指でしたためられる書は、さぞ美しいことだろう。
ただ遠巻きに眺めているだけで多幸感に溺れるようだった。
決して触れることのない、この距離から眺める日々がどうか続きますように。
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