第5話 蛍

 玄関先、準備はできた? と尋ねる姉へ、コクリと頷く妹の所作は硬い。

 けれどもその両の目は期待の光に溢れていて、そのちぐはぐさに姉は愛おしそうに微笑んだ。

 不安と期待で胸がいっぱいな妹の様子が、どことなく懐かしかった。

 それじゃあ行こうか、と姉は顔の前へ布をおろした。妹もそれに倣って布をおろす。


 街灯もまばらで月のない、星明りだけの宵闇へ、面を隠したふたりは空いた手を繋いで歩き出す。

 繋いでいない手にはそれぞれひとつずつ、蛍火の提灯が下げられていた。中には灯籠ボタルが数匹入っており、あたりを仄かに柔らかく照らしていた。


 夏の盛りの暑い日手前、長雨の上がるころ、家の前に手作りの紙提灯を置いておく。紙提灯へ灯籠ボタルが住み着けば、それは彼岸の夜祭の招待状だ。灯籠ボタルの紙提灯が祭りの会場へと案内してくれる。


 姉は手先が器用な人で、かつて一度彼岸の夜祭に行ったことがあったという。その頃まだ妹は母の腹の中にいたそうだ。姉が行ったことがあるのなら、自分も行ってみたいとよく駄々をこねた。

 そして、母が亡くなった三回忌の今年、姉と妹どちらの紙提灯にも、灯籠ボタルが住み着いた。


 当てなく歩いているような、誰かに歩かされているような、不思議な感覚のままふたりは歩みを進めていく。町の道など知らないところはないはずなのに、宵闇に包まれた道は昼とは全く違った顔をしている。

 けれど、そのうちひとつ、ふたつと仄かな明かりが増えていく。灯籠ボタルの紙提灯に導かれ、彼らもまた常世の夜祭へ向かうのだろう。


 夜市に楽に踊りに明かり、この世では見られない夜祭が毎夜開かれているというが、命を持つものがそのまま彼岸に渡るには、灯籠ボタルの紙提灯が必需品だ。そうでなければ、どこかで命を落としてくるしかない。


 向かう先がぼんやり明るく見えてきた。そのうち笛の音が軽やかに風に乗り、太鼓の音が大地を渡って響いてくる。

 気づけば灯籠ボタルの紙提灯がなくとも歩けるほど、あたりは明るくなっていた。宙へ飾られた色とりどりの提灯と、参道に連なる夜市が煌々とあたりを照らしていた。

 参道の両脇を埋める夜市は賑わっていた。呼び込みだろうか、喧騒の中で威勢のいい声が時折飛び込んでくる。

 ただ、その言葉はどうも自分たちの知る言葉ではないようで、耳を凝らしても要領を得ない。人垣の間からチラと市の品物を覗いても、見たこともないような品々が並んでいる。客はどんなモノなのだろう、と妹はそっと視線を上へと上げた。

 けれど、そこで思い出す。常世の夜祭の掟。夜祭に参加するものは、必ず面を隠すこと。決して面隠しを外してはならぬこと。

 案の定、店主も客も皆面隠しをしており、その顔を見ることはできなかった。


 けれどこの喧騒も面隠しの風習も、決して嫌な雰囲気ではなく、妹はあたりを見回しながら、姉に手を引かれて参道を行く。


 たどり着いた本殿前の広場には舞台が組まれ、笛太鼓にあわせて祭りの参加者がめいめいに踊り明かしている。皆一様に面隠しをしてはいるが、人でないカタチの者も多くいた。

 けれど不思議と恐怖はなく、妹は姉の手を離して踊りの輪に加わった。作法も決まりもない踊りの輪は快く妹を受け入れた。

 そんな彼女から目を離さぬようにしながら、姉はあたりをさり気なく見回す。賑やかな祭りの中、いるともわからぬ相手を探す。

 確証はなかった。期待だけが膨らんでいて、後で寂しい思いをするのは嫌だと思いながら、抱いた仮説を降ろすことができなかった。


 以前、母と彼岸の夜祭にやってきたときは父の三回忌だった。

 彼岸と此岸のあわい、あの世とこの世の境で行われる夜祭は、亡きモノと縁者をつなぐ祭りなのではないか。

 縁のある者ならば、たとえ顔を隠したとしても決して見違えることはない。

 かつてやってきた夜祭で、母は父と幾年ぶりの再会を果たしていた。

 ならば今年もと思ってしまうのは仕方のない話だった。


 気が済むまで踊りまわっていた妹が戻ってくる。ずいぶんとご機嫌で、つられてこちらも気分が弾んできた頃、視界の隅にちらりと気配を感じ、そちらへと振り向く。

 そこには、こちらをじっと見つめている一対の人間らしき風貌のモノが立っている。その佇まいがあまりにも懐かしくて、笑みがこぼれた。

 気づいた妹が駆けていくその後ろを、ゆっくりと歩みを進めた。

 この夜祭へと導いた、灯籠ボタルにささやかな感謝をいだきながら。

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