第27話 渡し守
今自分の立つ本土と、目先にある対岸の島との間は90m。平清盛がたった1日で切り開いたとされる場所に、明日香はひとり立っていた。
大学の卒業論文の題材に関わる土地を旅行しよう、と思い立ったのは、論文提出間際のことだった。正直なところもう二度と書きたくないと思っているし、あまりにもひどい出来栄えだとは自覚している。
けれど、提出できなければ意味がない。締切とは理想と諦めをどうにか折り合わせるためのものだと、明日香は卒業論文を通して学んだ。
ただ、後味の悪いまま卒業論文の題材と別れるのは少々もったいない気がして、何か最後にいい思い出を作りたいと思った。
結果、今人生初めてのひとり旅をしている最中だ。
海岸線は道路が敷かれ、宅地は山を這うように立ち並んでいる。上を見上げれば朱色の橋がかかっている。かなり高いところにかけられているのは、この瀬戸を今も船が行き来するからだという。
事実、明日香がぼんやりと海を眺めている間にも、大小の船が行き来している。
あまり海には詳しくない明日香だが、潮の潮流が激しいため、この場所が「難所」と呼ばれていることは知っていた。見ていれば水流がぶつかり白波が立ったり、小さな渦を巻いていることは珍しくないようだ。
車に気をつけながら歩いていれば、小さなバス停のような小屋に「渡船」と看板が掲げてある。中には1人、案内人らしき人が立っていた。
対岸に渡るには橋しかないと思っていたが、船で渡ることもできるらしい。
「あの……次の便はいつですか?」
「あぁ、お客さんかね? えぇよえぇよ、乗りんさい。時刻表とか、そがなもんないけぇ」
そう手招きされる。勢いの良さに圧倒されつつ、船着き場まで行くが船がいない。
すると、案内人が大きく対岸へ向かって手を振った。
対岸にいる船がゆっくりとこちらへ向かって渡ってくる。
「お客さんがひとりでもおれば船出すことにしよんよ」
なるほど、時刻表がないわけである。ありがとうございます、と明日香は頭を下げる。
程なくして船がつき、おっかなびっくり乗り込んだ。生まれてこの方、船に縁がない人生を送っていた。少し緊張していた。
船は木造で、よくよく使い込まれていた。長く使い続けてきた船なのだと、船の渡守はどこか誇らしげに言う。
進み始めれば、海流で船が多少揺れる。
昔はここを竿1本の渡し船をしていたのかと思うと、船の揺れも相まって一層緊張感が増した。
「帰りも来たら乗せたげるけぇね」
渡守はそうニカッと笑った。よろしくお願いします、と頭を下げて、ひとまず島の散策へ向かった。
帰りも同じ船に乗り、本土側へと戻った。
「また来ます」
「その頃には、ワシはおらんかもしれんなぁ」
カラカラと渡守は笑ったが、その言葉はかすかな哀愁を帯びていた。
橋ができ、利用者も少なくなったこの渡し船は今月で廃業が決まっているのだという。
明日香は言葉に詰まったが、ただもう一度、ありがとうございましたと頭を下げた。
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