第22話 賑わい
「も~~無理だ~~」
正面のリリがノートパソコンを押しやるようにして机に突っ伏した。突然ノートパソコンが迫ってきて、同じく作業をしていた澄香は思わず驚いた声を上げた。ノートパソコンがガツンと音を立てる。
「リリ、またその発作か」
「だって文章浮かばないしこんなの誰でも書けるよぉ~~あ~~も~~」
そう投げやりになりながらもノートパソコンから手を離さないあたりはさすがといったところ。向かい側から身を乗り出して画面を覗いてみれば、一時間前から数ページは先に進んでいるようだ。
「ちゃんと進んでるじゃん。頑張れ頑張れ」
「間に合う気がしない~~!」
「千里の道も一歩から。書かなきゃ終わらないけど書けば終わるよ、ほら」
「……澄香はどこまで進んだ?」
「私はそろそろ本文がなんとなく形になるとこ」
「裏切り者ぉ!」
「もう一回二回推敲重ねないといけないからまだ全然だよ」
ほら頑張るぞ、と澄香はリリを励ます。
初めてリリと出会ったのは、大学の文芸サークルだった。
ふたりが所属した文芸サークルでは、年に二度、部員全員がお題に沿った掌編を書き、会誌として発行する。そこで初めて、彼女の文章に触れた。
リリの文章は美しい。さらりと読み込めてそれでいて求心力と読ませる力があると思う。自分が書いているものが、あまりにも稚拙に思えた。同じ年齢でこんな文章を書く人がいるのかと、純粋に尊敬した。その裏側にある醜い感情には、頑張って蓋をした。そのエネルギーは、自分の文章がうまくなる方向に活かすべきだと思ったから。
リリとは書くジャンルが近かったこともあり、自然と距離が近くなった。聞けば学部も同じとのこと。大学一年は必修科目がほとんどを占め、学籍番号での振り分けとなったためお互いに気が付かなかったらしい。
公私ともども付き合うようになるまで、それほど時間はかからなかった。
そんな彼女に、「ちょっと話がある」と切り出されたときの動揺は、三年経った今なお忘れることはない。互いに大きな引越もなく、都内での就職が決まった祝いの宅飲みでのことである。
「一緒に同人誌を作らない? 澄香と、あたしで」
澄香はそれまで同人活動というものに触れたことはなかったが、リリは友人に何人か、同人活動をしている友人を持っているのだという。
その友人たちとはジャンルが違うので誘うこともできず、ひとりで活動しようとも思えない。ただ、それより何よりの理由があるのだ、と彼女は熱弁を振るった。
「澄香とだったら、きっと楽しい。あたしは、澄香の物語がもっと読みたい」
これ以上ない口説き文句だった。
そうして、ふたりで年に三度ずつ、同人誌をつくるようになった。
時にはふたりで合作の合同誌を、時にはそれぞれ別の作品を、ふたりで計画を立てながら、時折どちらかの家に集まって学生時代のノリでキーボードを叩き続けている。
「ほら」
煮詰まりすぎて頭から湯気が上がっているリリへ、クリームプリンを差し出した。ようやく頭を上げた彼女は「ありがとぉ」とそれを受け取る。
「うー……おいしい」
「それはなにより」
澄香は自分のコーヒーゼリーを一匙掬って口へと運ぶ。夏になるとどうにも食べたくなるものだった。
「同じ原稿に向き合ってると死にたくなってくる……」
「毎度言ってるねそれ」
ふたりで合宿のように執筆をするようになって驚いたことは多い。自分と書き方が全然違っていること、そしてなにより、彼女は喋りながら原稿ができる人だということ。
その喋っている内容が、大体自分の創作についてのダメ出しと弱音であること。
うまくなりたい、が彼女の口癖だ。澄香も同じことを思っているけれど、それが口に出せないのは、自分の弱さだと澄香は自覚している。
「本当にこれ面白いの病は不治の病なんだよ……」
「まぁ、わからんでもないけど」
「澄香はどうやって乗り越えてる?」
「……枯れ木も山の賑わいだと思ってやり過ごすことにしてる」
「?」
ただ自作を卑下しているわけではもちろんなかった。今はこれだけの力しかなくとも、次はもっとうまく書けるはず。書けるように努力していけるはず。そう、思い続けているだけだ。
目指す先が、眼前の進捗に苦悩する親友であることはそっと隠して、澄香は笑う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます