第8話 こもれび
あたりを満たす雨音はもう聞き慣れたものだったけれど、今回ばかりはため息が出た。
レインコートを目深にかぶったまま、神立は天を仰いだ。
降り注ぐ雨は頭上を覆う葉に遮られ、神立のところまではほんの少ししか降ってこない。かといってこの雨の中、初めてやってきた森を奥へ進み続けるのは困難だ。
かといって、雨止みを待つのが不可能であることもまた事実。
自分がここにいる限り、この雨は止まない。まだ雷鳴が響いてこないあたりマシな話ではあるが、それもいつまでもつか分からない。
「だから言ったじゃん……」
こぼす独白を聞くものは誰もいない。
「木漏れ日の道を通っておいでよ。それがうちまでの道標だから」
ほんわか笑うクラスメイトの魔術師見習いルーチェは、そんなふうに神立を自宅へ誘った。お互い異郷の魔術学校に通う者同士、自然と一緒にいることが多くなった矢先の夏休みのことだった。
「あー……無理じゃねぇかな。悪いけど。近くまで行ったら声飛ばすから、迎え来てくんない?」
俺の「体質」知ってんだろ、と神立は言ったが、ルーチェは「大丈夫大丈夫」と取り付く島もなかった。
そうしてやってきた当日、神立の「体質」は見事に空を雨模様に変えた。
神立の「体質」 それは「初めての場所では必ず雨が降る」というものだ。
初めて行く場所では必ず雨が降る。ひどいときには雷雨になる。それは神立を中心として街ひとつを覆うほどの範囲に威力を発揮し、どの程度滞在すれば「初めて」の定義から外れるのか、それは未だ分かっていない。
少なくとも、魔術学校のある敷地は神立が足を踏み入れてから三日三晩雨が続いた。
学校が水没しないよう尽力した治水関係者に延々イヤミを言われたが、しばらく雨に恵まれていなかったから助かったと礼も言われ、どういう顔をしたらいいのか分からなかったのは記憶に新しい。
ルーチェの故郷はもちろん「初めて」の場所だ。十中八九確実に雨が降る。事実、ここへ来る道中もずっと雨だった。
神立は山に近い村の生まれだったが、異郷の森を歩けるほどの知識はない。山と森は似て非なるものである。
一応、ルーチェにも連絡はしておいた。任意の相手へ声を届ける魔術は初級で習う。相手が受信用の媒体を持っていることが前提ではあるが。
ただ、その連絡に返事はない。少々ふわふわした性格のルーチェのことだ、受信用の媒体をどこかに置いたままにしているとか、なんとかなるだろうと楽観視している可能性も否定できない。
もう少ししてから再度連絡をしてみるか、と、雨宿りさせてもらっている巨木を見上げた。地元ならきっと注連縄を飾り祀るような立派な樹だ。しばらく休ませてもらいます、と合掌した。木に背中を預けてぼんやりと雨の森を見る。
そのうち、少しの違和感を覚えて頭上を見た。
少しずつ、空が明るくなってきた。雨音も少しずつ小さくなっている。雨の上がる気配が近づいてきていた。
「ダチー!」
呼ぶ声に視線をやれば、晴れ色のレインコートを着たルーチェが元気よく手を振っている。そして、ルーチェの立つそこは光に照らされ草木が雨に輝いている。
ルーチェの元へ、ゆっくりと歩み寄る。神立の傍では降り続いていた雨が、ルーチェの前へたどり着く頃にはすっかりやんでいた。
「一緒にいれば、ぼくの方が強いね」
ルーチェも神立と同じく特異体質者だ。その体質とは「今いるところを晴れにする力」 神立と能力の競合が起きた場合、ルーチェの力のほうが強いことは知っていた。
「だから、一緒に連れてってくれって言ったじゃん」
神立はフードを取りつつそう告げたが、ルーチェは「そうだねぇ」と笑むばかりで取り合おうとはしなかった。
「ただね、このときが一番きれいだから、見せたくてさ」
ほら、と促されるまま視線を向ければ、雨露をまといきらめく木漏れ日の道が、ふたりの前にのびていた。
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