第14話 お下がり

 それでは、行ってまいります。

 食卓に座す両親と弟ふたりへ頭を下げて、綾は席を立った。

 歩きだそうとしたところで、袴の裾を末の弟が握っていた。

「ねえちゃん、ごはんは?」

 朝と夕の食事を、綾は家族とともに囲まない。昼は一緒に食べるのだが、その理由を弟にはまだ話していない。

 弟は先日数えで7つを超え、神に召し上げられることなく人の子となった頃合いだ。そろそろ話してもいいのだろうが、説明をするのは綾の役割ではないだろう。綾も数えで17になったが、まだまだうまく言えないことは多いのだ。

「ご飯は今から食べてくるんだよ」

 綾の袴を握る弟の手をそっと外しながら告げたのは母だった。行ってらっしゃい、とその目が語っている。軽く会釈をして、向かう先は神棚のある小さな部屋だ。

 神棚の前には1人前の膳が供えてある。綾の両親が朝に食べたものと同じ、白米に味噌汁、焼き魚に漬物というラインナップだ。

 神棚へお定まりの礼拝をして、膳の前に星座をする。向きを正して、再度手を合わせた。

「いただきます」

 味噌汁の椀を手に、ひとくちすする。

 すると、ひとつ瞬きする間に周囲の景色がガラリと変わる。

 狭い小部屋だった場所は戸もなく開けた部屋へと変わり、パタパタと駆け寄ってくる若干騒々しい足音がする。味噌汁を膳に戻した。今日の「小神様」は随分とご機嫌らしい。姿が見えたあたりで、膳を持ち上げた。

「あーーやーー!!」

 タックルもかくやという形で正面から抱きついてきたのは、見たところならば弟と変わらないような年頃の子どもだ。白髪は床につくかつかないかという程度に長く、綾と同じく神道の装束を着込んでいる。

 危うくはあったものの、抱きつかれた反動で後ろに倒れ込まずに済んで、綾はほっと息をつく。

「綾、今日は面白いモノをみたぞ!」

「それはようございました。ですが、瑞稀様。まだ食事中なのですよ。綾を飢え死にさせるおつもりですか?」

「おぉ、そうか、疾く食べよ」

「あまりに急いては体を壊してしまうものなのです。しばしお待ちくださいませ」

 ようやく身体を離したところへ膳を起き、手早く食事を始める。

「とはいえ、綾が食事をしている間でも、お話しくださって構いませんよ。瑞稀様のお話を綾も楽しみにしていますので」

 眼前に座る子どもーー瑞稀はそれなら良いかと綾の前へ座り、楽しげに口を開いた。

「星が降るぞ! 霊峰麓の湖へ向けて」


 古くから、砥峰家の女は不可思議な力を持っていた。砥峰家は代々続く神社の家系だ。記録をたどれば平安あたりに起源を持つとされる。

 砥峰家に生まれた女は、いわゆる「カミ」と語らう力を持っていた。

 今、綾の眼前でご機嫌に話し続けている子どもが砥峰神社の祀る神である。その権能は「先見」 先の未来を夢に見るそうで、代々この神の言葉を砥峰家の女が聞き、託宣として現世へ持ち帰っていた。

 神との語らい方は昔から変わらない。毎朝夕に供える神饌のお下がりをいただく。

 そのため、朝夕の食事を綾は家族とは取らない。幼い頃は不思議に思いもしたが、お下がりを貰い受けて神である瑞稀と語らうことができるようになると、なるほどとすんなり納得できた。


「星が、降る?」

「美しく熱い星よ。古にもあの場所に星が降ってな、あの湖を作ったのよ」

 また見たいと思うておったのだ、と瑞稀は至極楽しそうである。

 砥峰神社は霊峰を御神体としている。確かにその麓には湖があり、それは星が降ってきたせいで生まれたモノだという言い伝えが残っている。

「……瑞稀様にとっては楽しいことかもしれませんが、生きる我々にとっては大変なことになります」

「であろうな。望月の頃ぞ。心して伝え備えよ」

 昨日はきれいな上弦の三日月が浮かんでいた。日付の逆算はできそうだ。

「まだまだ綾と遊びたくはあるが、人死にが多いと穢れが増す。今日は髪結いだけで帰るといい」

 食事が終わった頃、瑞稀は自身の長い髪先を持ち上げた。食べ終えた膳を脇に避けて、瑞稀の髪を手に取った。

「お心遣いに感謝いたします」

 髪を結う間も、瑞稀は大小様々な出来事を語った。それをひとつ残らず覚えて帰る。初めの頃はなかなかに難しくもあったが、最近はようやくそれも慣れてきた。

 かんざしでひとつにまとめ上げ、ご満悦の瑞稀に頭をひとつ下げる。居住まいを正して、手を合わせた。

「ご馳走様でした」

 その言葉とともに、綾は馴染みのある小部屋へと戻ってきた。忘れぬうちに、と立ち上がり、両親の元へと急いだ。

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