第20話 甘くない

「ちょっと実家とモメてくるわ」

「なにそれ」

 同居人の真人がそう切り出したのは、シフト制で働く家主ーー晶がちょうど帰宅した日曜日の午後のことである。

 同居人の言う「実家」とはなんでも「由緒正しい家」とのことで、そろそろ当主が身罷るようだから次期当主を決めるための家族会議に参加するよう、直々に「お迎え」がきたそうだ。

「……華麗なる一族?」

「引くよなぁ」

 だと思うわ、とげんなりした顔をする真人の態度で、彼が嘘を言っているわけではないのが理解できる。

「え、お前そんなやんごとない身の上だった?」

「俺もそう言いたい。つい2時間前まで知らなかったわそんなもん……」

 真人は恨み節で柔らかくなったバターと砂糖、そして卵をボウルで混ぜ続けている。

 彼は、いつも休日になると何かしらの菓子を作るのが日課だった。ストレス解消の意味もあるらしい。


「第一、お前身寄りはみんないなくなった、って言ってなかった?」

「いないと思ってたんだけどなぁ」

 真人は小麦粉をふるいつつ、ボールへ入れる。

 彼の出自を、晶はほとんど聞いたことがない。聞かれたくないようだったし、こちらもあまり愉快な話ではないから自分の出自は話したくないと思っていた。

「まぁでも「コレ」見せられたら信用するっきゃなかったんだよなぁ」

 トン、とボウルを置いて、パチンと指を鳴らす。するとボウルの横に2匹の小型犬が乗った。

 小型犬といっても、普通の人間には見えない犬だ。興味があるのか、2匹ともボウルの中身の匂いを嗅いでいる。仕草は犬そのものなのだが、尾の先は青い炎となって燃え上がっている。


 憑物筋、という血筋がある。

 動物霊が血筋に憑き、その家に災いをもたらすとされている。晶もざっくりとした聞いたことはなかったが、真人が「犬神憑き」と言われるたぐいのものなのは知っていた。

 ただ、どうにも真人はこの「犬神」を祓う気がないらしい。犬神によって悪さをされている感じはしないから、とのこと。合図するまではきちんと隠れている「良い子」だ。

 実際、霊が見える体質の晶も、彼が見えたことで何か不利益を被ったことはない。


 そんな「犬神憑」の家の者が迎えに来た。次期当主のお家騒動の話を持って。ムシャクシャして作り始めたクッキーはこれで3セット目だという。すでにアイシングクッキーが冷蔵庫に眠っているらしい。

 道理で、まだ焼き始めてもいないのに部屋が甘い香りで満たされていると思った。晶はそう苦笑する。

「で、戦争にいくわけだ」

「行かないと何があるかわかんないからな……」

 犬神を人にけしかけることはできる。そんなことをしようと思わないが、彼の「実家」はどんな手段に出るか分からない。

「どうする? 霊能力者バトルロイヤル! みたいな話になったら」

「まるっとお見通ししてくるわ」

 昔のドラマの決め台詞を引用しながら、第一陣のクッキー種をオーブンへと投入した。

 いつもの休日の甘い香りが漂ってくる。


 そして、真人は翌週の日曜日に出ていった。つまり今日だ。

 仕事を終えて家に帰ってくると、どうにも味気ない気配に嘆息した。

 甘くない休日は久しぶりだった。実のところあまり甘いものは好きではない。

 それでも、なければないでどこか口寂しく思うようになっていた。


 1週間連絡がつかなかったら探しに行こう、と決めていた。晶の傍らには、真人が残した犬神の片割れがいる。たどり着くことはできるだろう。


 真人が「すげぇ家だったけど全部燃えたわ!」と、ツッコミどころ満載の言葉と共に帰ってきたのは6日後のことだった。

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