第14話 花と舞う


「イノシシ、うまい!」


 私は久しぶりの肉の味に、体に力が灯るのを感じた。


 けんじぃが作ってくれるものは、本当に美味しい。

 良い肉がおいしいのは当たり前なのだけど、なんだかセネクデウの山で食べていた肉よりも、とても美味しく感じる。一体何が違うのだろうか?


 肉の脂が火へと滴り、「ジュウッ」っと煙を立ち昇らせる。

 風向きが変わり、けんじぃは顔に白い煙をかぶって苦しそうだ。

 鼻先に酢を塗られたような表情をしているけんじぃを見ていると、おかしくてたまらない。


「ふふふっ、あはははっ、けんじぃ、顔、変」

「いや、うぇほっ、これしんどいのっ分かるだろ‼」


 けんじぃは涙をぽろぽろ流しながら、「うまい! うまい!」と肉を口に運んでいる。けんじぃはとても食いしん坊だ。

 …あっ、その肉は私が狙っていたのに‼


 少し拗ねていると、けんじぃが怯えるように私を見ている。

 けんじぃは、たまに私のことを獣か何か知恵の無い者だと思っている時がある。とても失礼だ!


 そんな私の怒りを知ってか、けんじぃはまた何か新しい料理をしてくれるようだ。


「あ、ニンニク!」


 数日前に食べた、強い香りを持つ野菜だ。

 あれに火を入れると、臓が一斉に活気づく位、本当においしそうな香りが出るのである。この肉とアレを合わせて食べるのか…きっと美味しいに違いない!


 心が弾むようにそれを凝視していたら、けんじぃは更に荷物から小さな包みを取り出している。黄色味がかったその四角いカケラは、何かの脂を固めたようにも見える。


 けんじぃがそれを銀の器にニンニクと一緒に入れると、しゅわりと音を立てながら、その場を良い香りをが包み込む。


「なっ…なっ…なんっ」


 ニンニクと合わさったそれの匂いは、私の口の中に大水を引き起こした。


「おいおいよだれを肉に落とすなよ?」

「そっ…そんなこと、しない!」

「はははっ。バターってのは何でこんなに良い匂いなんだろうなぁ、単なる乳脂肪とはとても思えん。発酵させてるのが良いのかなぁ…」


 けんじぃはまた独り言のように喋りながら、銀の器の中を焦げないように、串でくるくるとかき混ぜている。


「うぅ…けんじぃ。それ、いつ出来る?」


 器から立ち昇る香りは、私の心をどんどんとそれに惹きつけ

て、たまらず体がソワソワとしてしまう。


「はいはい今出来ますよー」


 けんじぃは焼きあがった猪の臓を、銀の器にいくつか入れて絡ませると、「どうぞ、お嬢さん」といって指し示した。


 私は魔術師が何かをしたのではないかと思うほど、心を高ぶらせる匂いに吸い寄せられながら、バターとにんにくを纏ったピカピカと輝く肉を串で刺して頬張った。


「あふっ…あうっ…!」

「ははっ。火傷するなよ?」

「んんっ! ふぅんん…っ」


 幸福だ…この小さな銀の器には幸福が詰まっている…!

 ニンニクとバターの甘い香りを着させられた肉は、ざくざくと気持ちのいい歯ごたえと血の旨味で、口の中を濃厚な幸せで満たしてくる。

 まるで美味しいもので心を殴られているようだ。


「けんじぃ! これっ、駄目‼」

「えぇっ、なんか味変だったか⁉」

「これ、心、堕落する‼ 私、駄目になる‼」

「えぇぇ……? じゃあ、残りは俺が食べようか?」


 けんじぃは口をぽっかりと開けて困ったような顔をすると、私にそんなことを言う。


「それも駄目‼」


 けんじぃは私の言葉に一瞬目を剥くと、お腹を抱えて笑いだすのだった。



 ♢



「あぁ~~、食ったぁ~~」

「私…駄目、に、なった。私、弱い」

「あははっ、まだそれ言ってるのかよブノ」


 ブノは結局、「駄目になる。駄目になる」と言いながら山ほどの肉とホルモンを平らげてしまった。もちろんガリバタも堪能しまくっていた。


 綺麗な銀色の眉を八の字にしながら恍惚に震える様はまるで、罪を犯しながら懺悔をする聖職者のようであり、非常に面白い絵面で楽しかった。

 俺がガリバタに醤油を垂らした時には、悪い魔術師だなんだと叫びながらそれも食っていた。


「そういえば、ブノの種族のこの時期にやる祭儀って、肉を集めて果物集めて捧げて、それで終わりなのか?」

「うん。祭壇、作る。捧げる……あっ!」


 なにかを思い出したようにブノは飛び起きると、羽織っていた上着を脱いでテントの中へとしまう。


「どうしたんだ?」

「踊り、する! 精霊、喜ぶ!」

「あぁ、そういうのもあるんだな。というか今やるのか?」


 祭儀に関しては後日あらためてやろうと思っていた俺は、力を抜いて崩していた姿勢を正してブノを見やる。彼女は体をひねるようにして伸びをし、踊る前の準備をしている。

 というかあれだけの量の肉を収めたというのにブノの腹はすっかりとへこんでおり、「おい肉は何処へ消えた!」とその代謝の凄まじさに顎を落とす。


「……私は、踊り、下手。練習、する。」


 少し硬い表情をしたブノは、「タンッタンッ」と革靴でリズムを刻むように足を跳ねさせると、次の瞬間すらりと長い足を中空で延ばしたまま、ぐるんと宙返りしてみせた。


「おお‼ すごいな‼」

「…ふふ、跳ぶ、得意」


 着地をしてはまた飛び跳ね、くるりと体をひねって美しい銀髪を夏の日差しに煌めかせる。


「けんじぃ、手、叩く」

「あ、手拍子?」


 何拍子かも分からず俺はブノの動きに合わせてなんとなくの手拍子をおくる。

 その手拍子に乗るようにブノは、指先をしならせ、足を振り上げ、しっかりとした足場でもない山中で実に器用に舞っていく。


 わずかに汗を額ににじませながら踊る彼女に、凄い凄いと手拍子をする。ブノはしなやかに体をひねりながら、にっこりと笑顔を向けてくれる。


「綺麗だ」


 ブノのことを綺麗だと思ったことは何度となくあったが、緑の鮮やかな夏山で、銀髪をなびかせながら踊るブノはまるで山の精霊のように見え、超然とした存在としての美しさを放っていた。


 そんな風に俺が見とれていると、突然ぱたりとブノは踊りをやめてしまう。


「あ…おしまいか?」


 ブノはこくりと無言で頷くと、テントに膝を抱えて収まってしまう。


「もっと、練習、する。また、今度」

「そっか。でも凄くよかったぞ。全然下手なんかじゃなかった」

「けんじぃ……甘い」

「ぐっ…、まぁ素人判断だからな…」


 おもむろに空を見やると大分と日が傾いてきていた。食事の片づけをして俺はブノと一緒にまた肉を沈めてある沢へと向かうことにする。


 いくら冷たい川の水でも今は夏だ。何日も置いていては沢山の肉を駄目にしてしまう。いくばくかの肉を残して、あとは俺の家で保存しておくとブノに言うと、山の入り口まで運ぶのを手伝ってもらった。


「今日もウチで泊まっていかないか? 大仕事だったから疲れたろう」

「……‼」


 ブノは驚いたような顔をしてからうつむくと、首を左右に少し振って、「戻る」とだけ言って山奥へ帰っていった。


「なんだかちょっと様子が変だったなブノ」


 首を傾げながら家へと着いた俺は、ほとんど中身は入っていなかったにも関わらず、上から下までみっちりと猪で埋まった冷蔵庫を前にして、残った骨をどうしようかと頭を抱えた。



 ♢



 ――「綺麗だ」


 私の踊りを見てそう呟いたけんじぃの声がまた頭の中で響いている。


『…なんっ、なんで、そんなことっ』


 胸の中が熱くなったり、急に冷たくなったり忙しく心が動き回っている。


『けんじぃはまた私をからかっているんだ!』


 ひどいヒト族だ! また私を笑おうとしているに違いない‼

 フンフンと鼻息を荒くして腕を強く振り山道を登っていく。

 ずんずんと足を踏みしめて進んでいくと、少しずつ心が落ち着いてくる。


 小さかったころ、不器用な私の踊りを村の者が馬鹿にするように笑った事があった。思えばあの頃から私は得意な狩りばかりをするようになり、狩りでは絶対に笑われはしないと懸命になっていた気がする。


『そうだ。私は…踊るのが、好きだったんだ』


 もうすぐ私の元居た山ではアデイラの美しい花が咲く頃だろう。


『もっと、練習しよう』


 掌をぎゅうと握りしめると私は、暮れる日に影を伸ばす山道を急いだ。


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